43話
蒙恬達の部屋を辞し、俺達は別室を入る。
田栄が田広の前に立つ。
「広、見違えるほど逞しくなりましたね。いい目をしている。背も伸びているようだ」
田栄は肩を抱き、嬉しそうに田広を労る。
「父上……」
狄を出て一年余り、親元を離れ様々な事を経験し、大きく成長した田広。
父親に誉められ、目を潤ませている。
感動の再会だ。
「横、中。広が世話になりました」
田栄がこちらに礼を述べるが、田横は笑顔で首を振る。
「いえ、広はこの一年余り、自ら考え、行動し、経験を糧にしておりました。もう狄にいた頃の気弱な子供とは違い、本当に頼りになる男に成長しました」
その言葉に俺も大きく頷く。
「広殿に助けられ、支えられた事は数知れません。
元から持っていた優しさに加え、横殿に鍛えられた武芸、蒙家で学んだ知識、追い詰められても粛々と事を運ぶ心の強さ。多くを得て今、栄殿の前に帰ってこられました。お慶び申し上げます」
田横と俺の言葉に田広は感極まったのか、潤んでいた目から涙が落ちた。
「私が成長出来たのだとしたら、叔父上と中殿のお陰です。
叔父上からは武の強さだけでなく、それを持つための心を。
中殿からは新たな知識や相手を洞察し、使い分ける臨機応変な弁知を。
お二人の御供が出来た事は、何よりも勝る経験でした」
田広が涙ながらに語る。
田栄は息子の言葉に、嬉しそうに頷く。
そんな真っ直ぐ感謝されるとは。
結構自分の事でいっぱいいっぱいだったんだけどな。
いやいや照れるね。
そんな風に見られてたのか。
いやー、やっぱ田広はいい子だね。
「あと、中殿には稽古を休む言い訳や、女性を口説く言葉も沢山学びました」
おいコラ田広。
何余計な事いってんの。
上げて落とすとかそんな高度なテクニック教えた覚えはないぞ。
やっぱりちょっと性格黒くなってない?
それも俺の影響?
「ほう」
田栄が笑顔をこちらに向ける。
目が笑っていない。
怖えよ。寒いよ、視線が冷たい。
「まぁ、兄上、それは後でゆっくり聞けばよろしかろう。今後の事だが、やはり暫くは動けぬか」
田横が話を変える。
ありがとう、でも後でゆっくりはご勘弁を。
「そうですね。ここ臨淄で潜伏しながら蒙恬様に学ぶ事になるでしょう。栄殿、咸陽の情報は?」
俺は田栄に尋ねる。
「蒙家の客にならなかった咸陽に残っている者へ、補充の人員を送っています。これからは宮中に伝はなく、市井の情報にはなりますが」
流石田栄、抜かりはない。
こちらへ向けて軍でも出れば、多少なりとも噂になるだろう。
咸陽に間者がいれば、大きな動きだけでも知れる。
「残った者からの情報では、胡亥が初代皇帝の葬儀を行い、それに際して陵墓の建設を行った工匠数十名を生き埋めにしたと。さらに初代の後宮で子のいない者も全て、一緒に埋められたそうです」
「なんという……。喪中に関わらず、どれだけの人を死なせるのか」
田横が呆れ、憤る。
「そして阿房の宮殿の建造を急がせるため、また賦役が課せられました」
すでに人の道から外れている。
いや最初からだ。
胡亥の歩く道は、常に血に濡れている。
その道を造っているのは、趙高。
「すでに胡亥と趙高の悪業が始まっています。近いうちに民は限界を迎えます」
「いつまでも隠れているわけにはいかんし、こうしている間にも、民の命は地を這う小虫の如く踏み潰されている」
田栄、田横は悔しそうに語る。
田栄、そして狄で待っている田儋は民のため。
田横はそれに加えて蒙毅の仇討ちもある。
耐え忍ぶのも限界があるよな。
俺の記憶では、即位から一年経たずに陳勝達が反乱を起こすはず。
しかし歴史が変わった今、必ず起きるとは言えないが。
「一年、いや半年」
皆がこちらを向く。
「半年、耐えましょう。
蒙恬様に軍学を教わり、仲間を集め、半年後、どこかで反乱が起きていなければ、田家が旗となって立ちましょう」
この状況で一年も待つのは耐え難いだろう。半年ぐらいが限度か。
単独の反乱はリスクが大きいが、史実と違ってこちらには蒙恬がいる。
俺達が立てば、項梁や他の歴史上の英雄達が加わってくる可能性もある。
劉邦は……わからんな、あいつはなし崩し的に反乱した感じだし。
「わかった。この半年で蒙恬様から兵法の技、しかと学ぼう」
「私も頑張ります!」
田横と田広がやる気に満ち、頷く。
田栄は少し意外な表情をし、そして笑顔で、
「わかりました。しかし横と広は、随分と中を信頼しているのですね」
「はい!中殿は大いなる智者だと思っております!」
田広が自慢気に語る。
「斬新な発想、様々な情報、要望から皆の納得する形を提案する能力、そしていつのまにやら丸め込まれる恐ろしい弁舌。
中は我が田家に足りなかった物を持っています。その才に幾度となく助けられました」
田横も、若干気になるところはあるけど、手放しに褒めてくれる。
褒め殺しか。
ここまで褒められると、褒められて伸びるタイプの俺でも背中が痒くなるぞ。
「そうですか、それほどですか。うむ、従兄にも伝えておきましょう」
そして田栄は笑顔を収め、皆を見据える。
「ではこの半年力を蓄え、時を待ちましょう。度々連絡の者を寄越しますが、従兄と私も危ういようならどこかへ隠れます。その時は各自の判断に任せます」
俺達は頷く。
遅くとも半年後には戦争が始まる。
俺はその言葉を口の中で呟いた。
用語説明
喪 (も)
この時代より前からの風習として、親が亡くした場合は三年、官職を辞し、粗末な寝床を建て、粗衣、粗食で過ごし、人と交わらす、故人を偲ぶ生活をする。
しかし時代が進むに連れ形式的なものになり、秦の時代では期間は一年、禁欲的な生活も緩くなっていたが、喪中に処刑を行ったり、政務に関わることは異例。
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