42話
蒙恬を助け出してから一ヶ月。
俺達は洛邑を経て、臨淄という大邑を訪れていた。
狄から済水という河を挟んで東南に位置する元斉の首都であった臨淄。
現首都である咸陽程ではないが大きな都市である。
秦の前の時代、春秋戦国時代を通して最大の都市であり、学術が盛んで、最盛期には『肩が摩れ合わないと通りを通れぬ』と揶揄されるほどの栄え様であった。
久々に説明ありがとう、田広。
俺達は今、その臨淄のとある空き家にいる。
大きな商人の元別荘であったらしく、十分な広さと部屋数がある。塀も高く外から中を伺うのは難しい造りだ。
さて、なぜ狄ではなく、臨淄の空き家に来ているかというと。
「横、広」
「兄上」
「父上!」
現れたのは、田横の兄であり、田広の父である男、田栄だ。
相変わらず筆のような髭に、涼しげな目元、柔らかな笑みを携えたその姿は、男の俺から見ても惚れ惚れするほど格好いい。
田栄は弟の肩を叩き、俺達を見回す。
「横、広、中、皆ご苦労でした。大変な任務になりましたね」
「兄上……。兄上達にもご迷惑をかける事になった。申し訳ない」
田横は頭を下げるが、田栄は首を振り、
「報告は聞いています。本来の目的から大きく外れましたし、横で無理なら誰も趙高の陰謀を阻止できなかったという事です。他の者であれば趙高に殺されていたかもしれません」
優しく微笑む。
「さて、もっと多くを語り合いたいところだが、まずは客人に会いましょう」
そう言い、蒙恬達の待つ部屋へと向かった。
部屋には蒙恬と蒙琳、そして部屋の角には蒙毅の家宰が控えていた。
「蒙恬様。田横の兄、田栄と申します。この度の大難、労いの言葉も見つかりません」
田栄が揖礼し、挨拶をする。
「田横殿には命を救われ、我が弟の最後を知ることも出来た。そして何より姪の蒙琳を保護してくれた事、感謝する」
蒙恬も頭を下げる。
「蒙恬様方と我が弟は追われる身。狭い狄ではすぐに官史に見つかってしまうでしょう。ここ臨淄ならば狄からも近く、人も多い。暫くこの屋敷にて力を蓄え、機を伺って頂きたく思います」
「うむ、過分な配慮を賜り、重ねて感謝いたす」
田栄は少し微笑み、そして蒙恬に問う。
「もはやこの問題は仇討ちの意義を超え、国を揺るがす戦いになりましょう。その戦いにおいて、我ら田家に力を貸していただけると考えてよろしいでしょうか?」
蒙恬は黙り、そして少しうつむき、語り始めた。
「……思えば、わしや弟は秦という国でなく皇帝個人に忠誠を捧げていた。
その皇帝が残した秦という国を永世残したい気持ちはある」
彼はそこで言葉を切る。
「しかしこのままでは、苛烈で厳しかったが数々の偉業を成した初代様より、二世の汚名や悪政が、後世に語り継がれる事となろう」
フゥと息を吐き、こちらを見る。
「そこの田中の口車にのせられた感もあるが。
秦という名を終わらせる事になろうとも。
初代様の名誉の為、太子扶蘇様の仁の為、弟の無念の為。
この老骨に出来る事はいたそう」
そう言ってゆっくり手を組み、揖礼をした。
「ご英断ありがとうございます。秦の名将蒙恬様のお力を借りられれば、これほど心強いものはありません」
田栄は揖礼を返す。そしてニッコリと微笑み、
「とはいえ、今は雌伏の時です。機が熟すまで見付からぬ様、なるべく屋敷から出ないようにお願いいたします」
蒙恬に釘を刺す。
「う、うむ、わかった」
活動的な爺さんだもんな。ずっと屋敷に籠っているのは辛いかも。
横から田横が話しかける。
「蒙恬様、私もこの屋敷に籠らねばなりません。暇潰しにどうか私に兵法をご教授願いたい。また秦の有力な将なども教えて下さいませんか」
おお、それはいい。田横が強いとはいえ、大勢の兵を率いての実戦経験はないだろう。
蒙恬は北の異民族相手に大軍を指揮していた現役の将軍だ。学ぶ事は多くあるだろう。
「そうじゃな、わしの知る限りの事、田横達に伝えよう」
達?あ、田広か。え、俺も?
「太公望が兵法を知らんでどうする」
蒙恬がニヤリと笑う。
もうそのネタ止めてよ、田栄が噴き出してるじゃん。
「太公望とは頼もしいですね、中」
「いえ、それは横殿が彭越殿に見栄をきるのにですね……」
皆が笑い出す。
田横も笑っている。いやお前が言ったんだからな。
まぁいいか、臨淄について皆少しは安心したのだろう。
道中ずっと張り詰めっぱなしだったからな。
ため息を吐き、俺も笑う。
ひとしきり笑った後、田栄はその笑顔を蒙琳へ向け、
「蒙琳様も長旅お疲れ様でございました。蒙家とは比べるべくもない小さな屋敷ですが、ご不便なきよう下女も手配しております。ご自分の屋敷と思いご自由にお使い下さい」
その笑顔に、蒙琳は顔を紅く染め頭を下げる。
グハッ。
もーりーんさーん!
ダメです!奴は既婚ですよ!奥さんいますよ!
あんな顔して鬼畜です!いやあんな顔だから鬼畜です!若い時から女をとっかえひっかえです!いや知らんけど!多分そう!
……うすうす感じていたけど蒙琳さん、ちょっとファザコンだよね。年上の物静かな感じがタイプだよね。
いるね、ドストライクの男が。目の前に。
ああ、嫉妬で目から血が出そう……。
「横、広、中、突はここで暮らすように手配しています。私は頻繁には来れません。怪しまれますからね」
来てほしいけど、来てほしくない……。
用語説明
仁 (じん)
中国思想の一つ。儒教の最重要な倫理の一つ。他人に対する親愛の情、優しさ。
感想、評価、ブックマーク頂けたらとても喜びます。




