表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/169

41話

趙高(ちょうこう)、趙高よ」


 扶蘇(ふそ)を自害させ、蒙恬を連行している頃、太子となった胡亥(こがい)は激動の巡遊を終え、咸陽に戻ってきた。


 傍らにはその全ての画策者、趙高が控えている。


「趙高よ、私はいつ皇帝になれるのだ。父上が崩御され、私が太子なのだから私はもう皇帝ではないのか」


 胡亥は落ち着きなく、浮わついた様子で趙高に尋ねる。


「先ずはお父上、初代皇帝の葬儀を執り行わなければなりません。その後胡亥様の即位の儀を行います。丞相(じょうしょう)李斯(りし)殿とご相談して、急がせます」


「そうか、父上の葬儀が先か。そうだな、父上を埋葬せねばな」


 胡亥は何かに焦っているように、忙しなく口と目を動かす。




 彼は真実を聞かされていない。


 しかし、あの忠順であった蒙毅(もうき)が本当に皇帝を(しい)したのだろうか。



 ……今、目の前にいる者が。



 胡亥は首を振り、考えるのを止めた。



 考えなければ、

 口に出さなければ、自分は皇帝になれるのだ。


 天の代理人、神にも等しい存在になれるのだ。




「で、では李斯を呼び、父上の葬儀と私の、いや、朕の即位の段取りを、話し合うとしよう」



 趙高が柔らかく微笑む。


「胡亥様は巡遊から戻られたばかり。お疲れでございましょう。

 それに天子(てんし)たるもの、みだりに臣下にお会いされてはなりません。初代様も軽々しく臣下に引見なさりませんでした。

 皇帝に謁見できるというだけで、光輝な事なのです」



 天子。皇帝。謁見できるだけで光輝。


 胡亥は趙高の言葉を受けて天上人となった自分を想像する。

 そしてそれは妄想ではなく、すぐ先にある未来なのだ。


「そうか、そうだな。天子たるもの軽々しく引見してはならんな」


 胡亥は上機嫌に何度も頷く。


「仰る通りでございます。李丞相との諸事は万事この趙高にお任せください」


 趙高は手を組み、深く頭を下げる。


「うむ、うむ。趙高、お前に任す。なるべく早く、わた、いや朕を天子にするのだ」


「承りました。では早速、李丞相の元へ伺い、ご相談して参ります。」


 趙高はさらに頭を深く下げ、そのまま退室していった。



 部屋を出、頭を上げたその顔には笑みはなく、垂れた瞼の奥に鈍く光る目があった。



 ~~~~~



「李丞相」


 李斯の執務室に笑みをたたえた趙高が訪ねてきた。


「これは趙高殿……」


 返事をしたのは初老の男。

 真っ白に染まった髪と、目元と眉間に深く刻まれた皺が実年齢より老けてみせている。

 巡遊から戻って、さらに老け込んだようだ。


 李斯は筆を止め、疲れた様子で趙高に席を勧めた。


「初代様の葬儀の件でお伺いいたしました。陵墓(りょうぼ)は完成したのでしょうか」


「うむ、後は盗掘を防ぐ仕掛けを施せば完工だ」


「それは重畳(ちょうじょう)。早々に初代様の葬儀を行えますな。

 ところで、仕掛けを造る工匠はどうされるおつもりでしょう」



 李斯は意味がわからず問い返す。


「どう、とは」


「工匠の口から仕掛けの内容が漏れれば盗掘される懸念がございます」


「それについては決して口にしないよう厳しく下知しておる。口止めとしての給金も出す予定だ」


 それを聞いた趙高は嘆くように首を振り、


「甘うござります。人の口には戸は立てられませぬ。皆生き埋めにしましょうぞ」



「な、何をいう」


 李斯の額に汗が流れる。


 趙高は神妙に言葉を紡ぐ。


「仕掛けの内容が漏れ、初代様の遺品が盗掘されれば国家の威信に関わりまする。それを数十名の犠牲でおさめられるのです。尊い犠牲ではございますが、初代様のお供にもなりましょう」



 そう平然と言う小柄な宦官が、李斯はとてつもなく恐ろしい。



 枯れたとはいえ李斯も弁知を武器に人臣最高位まで登り詰めた男である。



 あの巡遊中の凶事の真相は容易に想像できる。



 しかしあの時我が身可愛さに、この者を糾弾することが出来なかった。

 己の保身と、主上に手を掛けるという天をも恐れぬ暴挙に恐怖し、口を(つぐ)んでしまった。



 巡遊中、扶蘇と蒙恬へ賜死(しし)の詔を下す事になったがせめてもの抵抗に、二人への使者を傲慢なだけの能のない者に、同行する兵は練度の低いやる気のない隊を差し向けるよう指示した。


 これで扶蘇と蒙恬が反発し、兵を挙げてくれたら……。


 扶蘇達はどう考えているのだろう。

 丞相である自分と、扶蘇には『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』の件などで確執があった。


 自分が趙高を(そそのか)し、陰謀を企てたと思われているだろうか。



「李斯殿」


 趙高の声に、考え込んでいた李斯の身体が跳ねる。

 彼は何かヌメリとした物に、身体に絡み付かれた様に感じた。



「李丞相、初代様の葬儀が終われば胡亥様が二世皇帝に即位されます。二代に渡る丞相の地位。まことに栄誉な事にございますな」



「う、うむ」


「胡亥様も李丞相を信頼し、期待されておいでです。謂わば私と貴方が二世皇帝の車の両輪。

 どうかその事お忘れなきよう……」




 逃れられない様に締め付けられ、ゆっくりと呑み込まれていく。



 李斯は考える。

 この人ではない化け物から逃れる術があるのかを。

用語説明

 

 賜死 (しし)

 死刑の一種。君主が臣下、特に地位の高い者に対して自殺を命じること。


感想、ご指摘、評価、ブックマーク頂けたらとても嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ