36話
しばらく不定期な更新になると思います。申し訳ありません。
俺達は急いで安邑へ向かい、その近くの河の畔にある小さな漁村へとたどり着いた。
ここで空き家を借り、皆を休ませている。
あまり長居は出来ない。
俺と田横は河のすぐ側に建てられた、小さな漁師小屋を訪ねた。
漁師小屋には数人の男が屯していた。
男達は一斉にこちらを見るが、すぐに興味を無くしたように自分達の話に戻っていった。
その中心にいる男に目が行く。恐らくあの男が頭だろう。
その男は頬まで髭で覆われ、詳しい歳を窺う事が出来ない。四十過ぎくらいだろうか。
髪は雑に纏められ、細身に見えるが粗末な衣服から覗く腕は逞しく、太く長い眉毛から覗く目は鋭い。ただの漁師にしては剣呑な雰囲気を醸し出している。
「今日の漁はもう終わった。魚も全て売れて残ってないぞ」
男はこちらも見ずにそう言い、追い払うように手を振る。
「魚を買いに来たのではない。人を借りに来た、彭越」
周りの男達が一斉に立ち上がる。
一瞬にして取り囲まれた。
……怖えぇ。どこここ?ヤクザの事務所?
ある意味正解か。
田横がいうには彭越は昼は漁師、夜は盗賊なのだという。今俺達を囲んでいるのも仲間なのだろう。
彭越と呼ばれた男はこちらを向き、そして口をニヤリと歪めた。
「誰かと思えば、狄の青二才ではないか。久しいな。また義賊になって秦の打倒を誘いに来たか」
「もうその青二才は止めてくれ。十分、分別はついた」
彭越はカカッと笑い、
「わしから言わせれば、まだまだ青二才よ。それで?」
「官吏に捕縛された人物を助けたい。手を貸してくれ」
「ほう」
彼は笑いを収め、太い眉を上げる。
「つい最近上郡にいる太子が自害したという噂が流れ、将軍が捕らえられたな。巡遊に出ている皇帝一行も、何故か帰路を急いでいる。皇帝が暗殺されたとの話もある」
「さすがに耳が早いな」
「主だった地には諜者を置いている。大軍が来たら逃げなきゃいかんからな」
そう言ってまたカカッと笑う。
「しかし何故お前が蒙恬を助ける。勝手に内輪で揉め、名将を始末してくれれば秦を倒しやすくなるぞ」
田横は茶化す彭越を真っ直ぐ見つめ、
「蒙家に恩義がある」
そう言い、これまでの経緯を語り始めた。
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「なるほどな、趙高か」
彭越は頬髭を掻きながら、思案している。
「頼む、蒙毅様は助けれなかったが、せめて蒙恬様だけでも助けたい」
「断る」
彭越は素っ気なく返事を返した。
「頼む、報酬なら狄から運ばせる」
田横は食い下がる。
「駄目だ。今、この場で報酬が払えぬなら、例えお前でも信用せん。それに蒙恬を救ってもわしらに益はない。死んでも生きていても変わらん」
「益はございます」
「ああん?」
俺の声に彭越が睨みを効かせてくる。
う、怖え。今まであった中で一番怖いかも。これが梟雄って奴か。
「誰だ、この虫も殺せぬようなやさ男は」
彭越が田横に問うと、田横は得意げに笑顔で答えた。
「俺の太公望だ」
周りからドッと笑いが起こる。彭越も笑っている。
横殿、太公望は言い過ぎなんじゃないですかねぇ。
「随分間抜けな面の太公望だな、おい。太公絶望の間違いではないのか」
そう言いうとまた笑いが起こる。
上手いこと言うね。
「おい、絶望殿よ。今、わしらにも益があるといったな。蒙恬を助けて何の益がある?」
彭越が笑いながら聞いてくる。しかし目は笑っていない。
ふぅ、落ち着け。
俺は一つ小さく息を吐き、語り始めた。
「はい、蒙恬様ほどの大物を逃がすとなると、これから始まる胡亥と趙高の支配に暗雲立ち込め、前途がないと世に知らしめる事になりましょう。天が認めていないのでは、と」
これだけじゃ弱い。
「これからの奴らの悪政に反乱が頻発するでしょう。ましてや天に認められていないとなると、その数は膨れ上がりましょう。
彭越殿もいつかは義賊から反乱軍へ名を変え、秦の打倒を目指す御方と見えますが、いかがですか?」
「さぁ、どうかな」
彭越の目が細くなる。
「その反乱の中に、名将蒙恬様の名があれば官軍はどうなるでしょう」
これが本命。
彭越はもう笑っていない。
他の者も俺の言葉に聞き入っている。
「蒙恬将軍まで反乱軍に付いた。蒙恬将軍に対抗できる将が今の秦にいるのか?
もしかしたら将軍を慕って、こちらに靡く将も出てくるかもしれません」
「蒙恬が素直に協力するか?あの男は秦に、皇帝に強く忠誠を誓っておった」
彭越が疑問を投げ掛ける。
「扶蘇様が自害なされたのに、蒙恬様は捕縛というのが違和感があります。
恐らく詔に疑いを持ち、自害を拒否されたのでは。
そして疑う様なら、連行して咸陽の民衆の前で見せしめに処刑、という事になったのではないでしょうか。
悪辣な趙高の考えそうな事です」
「……」
「自害を拒否されたということは、その鉄の忠誠心は揺らいでいるのではないでしょうか?
助け出し真実を伝えれば、奮い起つでしょう。なにせ扶蘇様と弟様の仇です。道を誤った秦を正道へ戻す事にもなります。
蒙恬様が立てば、彭越殿も他の反乱者達もやり易くなるでしょう」
彭越はため息を吐き、
「わかった。しかしさっきいったように、わしらも只では動かん」
そうだろうな。千人食わすのは並大抵じゃない。公官を襲っているだけでは成り立たないだろう。
財貨ならある。
用語説明
太公望 たいこうぼう
古代中国殷の国を打倒し、周の建国を導いた名臣。
文王の祖父(太公)が望んでいた人物といわれ,太公望と号した。
武王が天下を定めた後,封ぜられて斉の国を建国した。
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