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31話

前半、後半が蒙毅視点、中盤が三人称視点となります。

「留守は頼んだ。秋には帰れよう」


 そう家宰にいい、私は旅立った。


 もっと田中に釘を刺しておいた方がよかったか。

 あやつの口が我が娘に向けられると思うと……。


 私は蒙毅。この中華を初めて統一した偉大なる初代皇帝の臣である。

 切っ掛けは将軍である兄蒙恬の功績であったが、私は文官として出世し、主上には馬車に同乗を許されるほど目をかけられ、上卿という分不相応な地位まで頂いた。


 秦の永劫の繁栄を図る事こそ、主上に賜った恩に報いる事である。


 そのためにも、卑劣な趙高の企みを阻止せねばならない。

 皇子胡亥様はまだ若く、流されやすいご性情だ。

 大方甘言で唆されたのだろうが、このままではあの蝮の傀儡に成ることは目に見えている。


 なにより胡亥様と現太子の扶蘇様とは器が違う。

 帝(しゅん)のごとき風格を持つ扶蘇様が皇帝として立てば、この秦は更なる繁栄を約束されよう。


 趙高の悪謀とは逆に、この機に扶蘇様を赦し、咸陽へご帰還されるよう上申せねば。



 ~~~~~




 様々な思惑が交錯するこの巡遊の目的は、東南に立つ天子の気を始皇帝が感じたためであった。


 鬼神を崇め、神仙に憧れる始皇帝は己の霊感を信じて疑わない。


 ――そういえば近頃、病気とまではいわないが体調は思わしくない


 ――あの東南の気に自身の天の気が吸い取られたのかもしれぬ。あの気を取り込み、再び天子としての力を取り戻さねば


 始皇帝は真の目的を誰にも告げず、ただ東南の不吉を祓うためといい、巡遊に出掛けた。



 劉邦のいる泗水(しすい)、項羽のいる会稽(かいけい)に程近い秣陵(まつりょう)を目的の場所と定めて。





 巡遊に出て三ヶ月。

 始皇帝は秣陵での気を取り込む儀式を終え、咸陽への帰途へ馬車を走らせる。来た道は通らず、北へ大きく回って咸陽へと戻る。

 この巡遊には各地の視察や、その権威を見せつけ畏怖させる目的もあった。


 やがて日が落ち、馬車は停まる。今日の移動はここまでである。


 始皇帝は儀式の疲れからか食事の大半を残し、早々に横になった。


 ――これでまた暫く天子として世に有り続けられる


 ――しかし、またこのような事態が起こるかもしれぬ


 ――不老不死は叶わぬ望みだった。次代を考えねば


 ――咸陽に戻ったら、そろそろ扶蘇を呼び戻す事としよう。蒙恬の元で、甘いだけの男から変わっているだろうか



 そして、取り込んだ気が落ち着けば身体も良くなろう、と思いながら。


 始皇帝は眠りについた。



 その夜半過ぎ。



 眠る始皇帝の傍らに、小柄な死神が立っていた。



 ~~~~~



 巡遊に出て三ヶ月、未だ趙高側に目立った動きはない。

 奴等が主上に近づく時は常に私も主上の側にいるようにしている。

 私の周囲も田横が気を配り、安全を確保してくれている。


 主上は秣陵で不吉を祓う儀式を行って以降、暑さの為か食欲もなく、すぐに床に着かれる。


 ご就寝される隣に居る訳にもいかないので、田横と共に自身の営舎へと戻る。

 さすがに眠っている主上を起こしてまで上申することはないだろう。主上の勘気に触れ、太子どころではなくなる。



 その日の深夜、営舎で寝ていた私は田横に起こされた。


「皇帝の側つきの宦官が来ております。火急の用件だと」


 衣装を整え、外へ出る。

 控えていた宦官が慌てて小走りに近寄り、耳許で囁く。


「主上から密かにお招きせよと。主上の容態悪く、身罷(みまか)られそうです」


「何!」


 まさか、お疲れの様子ではあったが、そんな……。

 私は驚愕し、主上の元へと走る。


「お待ちを!護衛を」


 田横が後を追ってくるが、今はそんな暇はない。


 私は主上の営舎に辿り着くと、そこには趙高がいた。


「趙高!」


 私は掴みかからんばかりに趙高へ駆け寄った。


「お静かに」


 趙高は冷静に大声を出した私を制す。そして私にしか聞こえぬ程の小声で語った。


「主上は私と貴方様を密かに召集されました。まだ我らしか知らぬ事。そこにおる護衛にも伝えておりませぬ」


 そう言って奴は、主上の営舎の護衛に顎をやる。


「主上は」


 私は声を潜めながら趙高に問うた。


「主上より(しょう)が下ります。さぁこちらへ。……貴様は入れぬ。ここで待て」


 田横が止められ、私を中へと促す。


 一瞬罠かと考えたが、今はそれより主上の容態が気になる。それに荒事に向かんといっても宦官一人ごときには遅れをとらん。


 私は主上の寝所へと早足で向かう。



 そこには、





 胸に短剣を突き立てられた、偉大な初代皇帝が横たわっていた。





 唖然とし、ヨロヨロと主上に近づく私の背中に何かがぶつかった。




 振り返ると趙高が、死神が、手を紅く染め、邪悪に笑っている。




「蒙毅の乱心ぞ!主上を刺した!蒙毅が皇帝を(しい)したぞ!」


 甲高く、嗄れた声が響く。


 奴が逃げていく。


 追わねば。


 畏れ多くも主上に、手をかけた大罪人を。

 あの人の形をした悪鬼を。


 動けぬ、なぜだ。

 口から熱い物が溢れる。声も出せぬ。

 行かねば。


 その場に両膝をつく。


 誰かが私に駆け寄ってきた。


「蒙毅様!」


 田横。争ったのか返り血を浴びていた。


「趙高!」


 田横が私の体を支えた。


「ちょう、高が、……しゅじ……ょうに、……て、を……」


 言葉が出ない。


「ふ、……そ…さ、……あ…に、………北…、……へ………」



 伝わっただろうか。

 何が?

 わからなくなってきた。

 私は何を?主上は?

 そうだ、主上の元へ行かなければ。


 暗い。どこだここは?寒くなってきた。





 ふと、(りん)の笑顔が浮かんだ。

 明るい髪に暖かそうな陽が当たり、黄金を纏っているようだ。






 しかし、ここは、暗くて寒い。






 用語説明

 帝 舜 てい しゅん

 中国神話の五帝の一人。儒教では聖人として崇められている。

 実の父と継母に命を狙われ続けるが親孝行を尽くし、その噂を聞いた帝 堯に認められ、堯の二人の娘を娶らせ摂政させた。

 やがて堯から帝位を譲り受け、平和な時代を築いた。



 詔 しょう

 皇帝(天子)からの命令。



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