30話
後半三人称視点に変わります
「留守は任せた。秋には帰れよう」
出発の朝、俺は田広、田突や蒙琳達と蒙毅を見送っている。
家宰と少し話し、蒙毅は蒙琳と話をしている。
やがて蒙毅はこちらへ向かってきた。
「田中、お主も留守を頼む。何かあればお主の弁知で家宰を助けてやってくれ」
「かしこまりました。非才の身ですが精一杯努めます」
そして冷たい目をしながら低い声で、
「私が不在だからといって娘に手を出すなよ。殺す。逃げても殺す。草の根分けてでも探し出して必ず殺す」
もう心の声じゃないじゃん。直なの?死罪じゃなくて直接手を下す事になってるの?
「ははっ、まぁまぁ蒙毅様、田中にそんな度胸はありませんよ。さて出発に遅れますよ。中、広、突、留守を頼む」
隣で聞いていた田横が笑い、出発を促す。
「では行ってくる」
いつまでも俺を睨みながら、蒙毅は旅立っていった。大丈夫かな。
あの人本当に真面目で有能なんだろうけど、融通がきかないというか、不器用というか。まぁ田横が付いているし、信じて待つしかないか。
うん、田横なら大丈夫だ。
「叔父上が暫く不在だと、剣も教えて貰えませんし、寂しいですね」
田広が少し悲しげに呟く。
この子は蒙家に来ても時間を見つけては、稽古をつけてもらっていた。お陰で俺も三回に一回は付き合わされ、毎回酷い目にあっていた。
「そうですね。しかし横殿がいなくても剣の稽古は出来ますよ。『男子、三日会わざれば刮目して見よ』といいます。帰って来た横殿を驚かせてやりましょう」
「なるほど、では中殿も毎日一緒に頑張りましょう。ところでその『男子、三日会わざれば』というのは誰の言葉ですか?いい言葉ですね」
あ、これ三国志の呂蒙の言葉か、四百年くらい後の言葉だわ。
「私の故郷の言葉ですよ。あと私は遠慮しときます」
「え、そんな。一緒に強くなって叔父上を驚かせましょうよ」
あのね、俺もう三十路超えてるの。君みたいに寝れば元気回復!とかじゃないのよ。十四、五の若者相手に毎日稽古なんて無理なのよ。
筋肉痛だって二日後に来るの。忘れた頃に。
なにより俺は剣より愛と平和に生きるのだよ。ラブ&ピースだよ。わかる?
あ、蒙琳殿!
お父上が長く留守をされるので不安でしょう。ええ、ええ、わかりますよ、さぞやご心配でしょう。
そんな時は花でも観て心を落ち着かせませんか?春になって咲く花の種類も増えたことでしょう。
美しい花を観てお話でも。しかしそんな花より美しいのは…いえいえ、こちらの話です。では参りましょうか。
あ、広殿も一緒にどうですか?え、行かない?あれ、その半目はどうしたの?どこ行くの?お花を見に行かないのー?
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宮中の一室、始皇帝の巡遊の出発前、少年といってもいい程の年若い男がもう一人に詰め寄っている。
「趙高、趙高よ、蒙毅の奴が近頃何やらコソコソ探っておったが、我らの計画に感づいたのではないのか?」
趙高と呼ばれた者は男ではない。無論女でもない。
さらにいえば人でもなく、宦官という皇帝の影のような存在であった。
髭はなく、眉も薄いその顔には無数の皺が寄り、細い目から覗く小さな黒い瞳が不気味に光る。鼻も細く尖っていて、口は大きいが唇は薄い。まるで悪鬼のごとき外貌である。
小柄で華奢な上に背中が丸まっていて、さらに小さく見える。
「はて、そうかもしれませんな。あやつめこの巡遊中、主上の側から離れぬなどと言っておったようですな」
甲高く少年のような声だが嗄れたようでもある。
「趙高、どうするのだ!?蒙毅が父上から離れぬなら、計画が台無しではないか!私が太子になれないではないか!」
「落ち着きなさいませ、胡亥様。他にもやり様はございます。側を離れぬと申しても主上がお眠りになるときまでご一緒ではございません」
胡亥と呼ばれた少年は、唾が飛び散るほどの勢いで問いただす。
「愚かなことを!父上が寝ていれば我らの話も聞けぬではないか!起こせというのか!?父上の怒りを買うだけだ!」
「そうではございません。まぁ、小職にお任せください。必ずやあなた様を太子に、そしてすぐに皇帝に即位させて差し上げましょう」
そんな胡亥をさらりと躱し、趙高は彼にとって耳心地の良い言葉を囁く。
「そ、そうか、趙高、それでは李斯はどうする?丞相が蒙毅と共に反発すれば面倒なことになるぞ」
胡亥は気を取り直しつつある。
「心配ごさいませぬ。今のあやつに往年の冴えはなく、己の身可愛さに保身に走る小物に成り下がってございます。
確執のあった扶蘇様が即位すればどうなるか、胡亥様が即位すればこのまま丞相の地位を約束すると申せば、こちらに靡きましょう。」
「そうか……そうか、趙高、事は成るのだな?私は太子になれるのだな?そして皇帝に……」
青年は完全に気分を改め、自身の光輝な未来を思い浮かべている。
「あなた様の願い通りに……」
趙高は頭を深く揖礼をした。
その下を向く顔には恐ろしく冷たい笑みが浮かんでいた。
用語説明
呂蒙 りょもう
三国志時代の呉の武将。武一辺倒であったが、ある日主の孫権に諭され学問に励み、知勇兼備の武将となった。久々にあった同僚の魯粛は感心し、その事を伝えると、「男子三日会わざれば刮目して見よ」(男は三日も会わないでいると驚くほど成長しているものだ)と答えた。
原文は「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」
宦官 かんがん
去勢を施され、皇帝や後宮(皇帝の妃や妾が住まう場所)へ仕える官史。
当初、刑罰や異民族の捕虜がその任を担っていたが、皇帝の身の回りの世話など権力者に近く、やがて重用されるようになり、自ら去勢をして宦官になるものが出てきた
小職 しょうしょく
官職についている人が自分をへりくだっていう語。
揖礼 ゆうれい
両手を胸の前で組んで頭を下げる礼。
真相を引っ張ってしまいましだが、明日の投稿で史実より最悪な事件が起きます。
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