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148話

「楚王が田安達をかくまう、その御心みこころは」


 俺の問いを遮り、宋義は苦笑混じりで応える。


「王は彼らに斉を継がせようと画策して保護している訳ではございませぬ。我が王は篤実な方」


 そして大きく手を広げ、楚王の誠実さを語る。


「古来斉国の覇者、桓公(かんこう)は晋の重耳(ちょうじ)が亡命してきた折、骨を斉に埋めようと思わせるほど歓待し、手篤く養護いたしました。我が王もそれに倣ってのこと。斉の元王族として、それなりの暮らしをしてもらおうと望んでいるだけです」


 桓公と重耳の話は知っている。

 命を狙った管仲かんちゅうを宰相に任じて当時の覇者となった桓公。そして重耳は次代の覇者となった晋の文公のことだ。

 斉の歴史は田広にちょくちょく教えてもらってたからな。


 楚王としては本当に名君に倣ってのつもりなのかもしれないが、この切れ者の宋義には別の思惑があるだろう。


 俺は気合いと共に空気を吸い込み、ふっと息を吐き出した。


「その時代は斉が覇国であり、国内が泰平であったからの桓公の行いでありましょう。そして重耳は放浪の後に晋へ戻り公位を得、覇者となりました。重耳と田安、比べるべくもない徳や器ではありますが、疑念を生む行いは避けられた方がよいでしょう」


 田安が斉へ戻って王位に就くとまでは考えていないだろうが、桓公と重耳の逸話は持ち出したのは逆効果だ。


 宋義の眉間に皺が生まれる。

 敢えて斉に関した例を挙げたようだが、悔いているようだ。


 ここで畳み掛けたいが、開き直られるのが一番まずい。


「楚王が誠実な方であるのは存じております。しかしこれは王の人となりの問題ではなく、もはや国同士の問題です。今楚はその懐に斉を混乱させる剣を持っている。楚王がその剣を抜く気はないと仰れど、懐から光る刃が覗く者をどうして信用できましょう」


 あくまで予期せぬ不慮のこと。

 斉を脅かす意図を持っていないことは理解していると言明する。


 しかし俺が直接、楚王へ言及すれば人格や王としての資質の否定だとされる可能性もある。

 あくまで宋義から国家間の問題であると提起してもらいたい。


「宋義殿、貴方は楚王が立って以来、常に王の傍らで輔弼(ほひつ)されてこられた方。そして此度の任命で、忠と更には軍才を認められ軍を束ねる立場となられました」


 あからさまなとも言える佞言(ねいげん)だが、宋義の誇りを(くすぐ)る言葉だ。


「楚の王が情に厚く、全てを懐に入れる憐れみ深い方であることは賛称(さんしょう)されるべきで、名君の資質の一つ。ならば厳粛さを持って厄を捨て(のち)の幸を選ぶのは、次席で治政を(つかさど)る者でありましょう」


 改めて示された『次席』の言葉に喜色が鈍く光る。

 項梁の亡き後、名実ともにナンバー2となったことには慊焉(けいえん)たるものがあるようだ。

 甘い主君に諫言を呈して国を引っ張る。

 宋義みたいなタイプには、理想の宰相像だろう。そしてなにより、


「長子宋襄殿が斉の重職に就かれる此度、この取捨選択は宋襄殿の働きを支援することになりましょう」


 宋襄の立場が悪くなるのは目に見えている。


「……ふむ。考えていなかった訳ではないのですが王の信条に反すること故……。しかし田中殿の言葉で腹が据わりました」


「では」


 宋義はゆったりと手をかざす。


「彼らには軍を預け、巡遊している最中。今すぐにとはいかぬが然るべき時に楚王に献言し、田中殿の意に沿うよういたしましょう」


 どこか含みのある言い方だな。


「私の要望は田安達の引き渡し。奴らが楚で生きている限り、楚と斉は真に手を結びあうことはできませんよ」


 俺は斉の要求をはっきりと言葉にして念押しする。

 宋義は苦笑まじりに首を振り、


「私としても長子がしちとなることは理解している。どうかその時を待たれよ」


 斉で重職に就くとはいえ、他国に一人。

 何かあった時はその非難を一身に受けるどころか、その命さえ危うい。

 それを承知の上での宋襄の出向だ。

 大事な長子を人質としてでも、斉との繋がりを持とうする野心。


 そら恐ろしく思う反面、だからこそこの地位にいる人物なのだろう。



「くれぐれも約定違えぬよう、お願い申し上げます」


 俺は拱手し頭を下げた。



 ◇◇◇



 はぁぁ、疲れた……。

 しかし田安達の引き渡しを誓わせることができた。

 この件に関しては信用してもいいかな。


 口約束とはいえ、宋義がこれを欺いたり、誤魔化したりなどすれば子の命に関わることになる。

 流石に長子の命を天秤にかけることはないだろう。


 しかしまぁ、田安達が素直に従うとは思えない。


 逃げるとしたら。

 ちょうは秦軍に囲まれているし、魏豹ぎひょうが旗を挙げて再興に奮闘しているようが、まだ小勢力。

 残るは……えんくらいか。


 燕の王は韓広かんこう

 張耳、陳余を従えて趙王となった武臣ぶしんの元配下で、燕へ派遣され武臣から独立して王を名乗った人物だ。


 怒った趙に攻められたが逆に武臣を捕らえて王と認めさせ、武臣が配下の李良りりょうに殺された後も北の地で領地を守っている。


 田安達を受け入れるかどうかは予想がつかんな……。


 武臣と和解した後は目立った動きはとらず、自国の増強に励んでいるようだ。

 どちらかといえば慎重な性格なのか。


 しかし今回の趙の鉅鹿への救援は、流石に軍を出すだろう。

 秦から遠い地の利と趙という国が防壁となっていたが、その趙が落ちれば秦の脅威が迫ってくる。


 そんな時に斉と揉める種を拾うかな。


 燕は戦国時代、斉に内乱につけ込まれて滅亡寸前まで追いやられたらしい。

 名将楽毅がっきによってその怨みを晴らしたとはいえ、心情を考えると関係が良好とは言い難い。


 俺が田広君から有名な話だと習ったほどだから、燕の王族とは縁なく王となった韓広だって承知しているだろう。


 そんな斉の元王族を匿った時の燕の国民感情を思えば、田安達を受け入れる可能性は少ないと思いたいが……。

 それに燕へは趙か斉を経由せねばたどり着けない。

 趙は件の通り戦火の真っ只中。

 斉では今でも顔も効くところもあるだろうが、監視の目の方が多いはず。


 田安達が燕ヘ行くのは危険が大きすぎるか。

 いやしかし、最悪を想定しておかないと。


「斉国内を通る方があり得るか……」



 道すがら独り言を呟き、うんうん頭を捻っていると、


「相変わらずの独り言ですね、中殿!」


 よく通る声で名を呼ばれた。

 別れてからそんなに時は経っていないが、その声に驚きと喜び、そして懐かしさが溢れてくる。



 俺の前に現れたのは愛嬌を残した涼やかな目元、すらりと通った鼻筋、紅い薄い唇に笑顔を湛えた、もう美少年ではなく美青年といっていいだろう。


 斉の宰相田栄の息子、田広が喜色あらわに立っていた。

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