147話
平時なら令尹が最上位の役職となるのだろうが、今のような戦時であれば軍を掌握する者の方が実質的な力を持つ。
この先のことを考えると軍の頂点は項羽となるのだろうが……。
項羽は斉に対し良い印象を持っていないし、言い争った後で話し難い。
それはそれとして項羽にはちゃんと謝罪しとかなきゃな。
俺も余裕がなくて、大人気ないことを言ってしまった。
敵に回したくないって打算もあるが、なんというか嫌な奴じゃないんだよな。真っ直ぐというか。
強引で大口を叩くが実力が伴っているし、敵も多いが部下や兵に対して面倒見のいいところがあって慕われる者には慕われている。
今も武官に偏ってはいるが多くの人に囲まれている。
お陰で話しかけることができないが、早いうちに関係の修復に動きたい。
そんな理由もあり、現状で楚王への繋ぎや田安達の対処を頼むなら宋義だろう。宋義も宋義で話しやすいタイプではないが。
楚王の覚えめでたく上将軍となった宋義は、長子を斉の要職へ送る約定を交わし、現斉との強い繋がりができた。
章邯の急襲で混乱の中、なかなか会談する時がなかったが今なら少しは話せそうだ。
さっき楚王が退席した後、宋義がこの場を離れていくのが見えた。
田安達の件、人の居る所で話すことではないので都合がいい。
◇
「宋義殿なら楚王の元へ行かれました」
宋義を探してうろうろしていたが、すれ違う官吏を何人か捕まえて漸く宋義の居場所を知る。
王のところか。近づき難いな。
王の居室から出てくるのを待つしかないか。
楚王の居室から続く廊下で待っていると、やがて目当ての宋義が数名の官吏を伴ってやって来た。
官吏は皆、年配の文官らしく、どうやらこれが宋義派の主要な集団なのだろう。
「宋義殿」
彼は俺を認めると官吏達と二、三言葉を交わしその輪から抜け出して、一人でこちらへ近づいてくる。
「田中殿も議が長引いてお疲れの様子。漿でも呑みながら一息つかれますかな」
柔和な笑みで部屋まで誘う宋義。流石に察しがいい。
「いやはや楚王におかれては武信君への哀惜、此度の叙任と対秦の方計、実に心労かさむ日々をお過ごしであられる。身に余る位を賜った小職も王の煩慮の欠片でも補佑できればと腐心しておりますが、なかなか……」
一室に通され、僕人が漿を用意する間、宋義は苦笑を浮かべ愚痴とも取れぬことを語る。
「さて私に何か御用ですかな」
漿を啜り、笑みを崩さず尋ねる宋義。
俺が来た理由など百も承知だろうに。
俺も出された温いそれを一口含んで喉を潤し、口を開いた。
「楚王に匿われている田氏の件です。斉が楚と真に手を結ぶには田安達の存在が障害となることは宋義殿も認識しておりましょう」
「ふむ」
本題を切り出した俺に、宋義は否定とも肯定とも取れる曖昧に頷きを見せた。
暫く口を噤んでいた宋義だがすぐにまた余裕のある笑みを浮かべ、一つの手札を切った。
「現斉国には吉と言える報がある。田假殿が亡くなりました」
田假が?
秦に滅ぼされた旧斉、最後の王の弟。田假が死んだ?
「楚に辿り着いて間もなく、穏やかに逝去されました。旅の疲れか、はたまたここでの生活で緊張の糸が切れたのか。あの御仁は我が王が扶助の中で充足に暮らしており、斉へ返り咲くことを望んでいるようには思えませんでしたぞ」
嘘……ではなさそうだ。
いつかちらりと覗いた田假はかなりの老齢だった。
楚までの長旅で消耗していたのだろう。
国の滅亡と再起を狙った反乱と壮絶な人生だったが、あの集団において田假は随分と目立たない存在だった。
そもそも彼は田安、田都と思想を同じくしていたのだろうか。
田安という兄、田建の孫に振り回されていただけなのかもしれない。
もしそうであるなら楚王の庇護の下、最後は安らかに逝けたのだろうか。
確かに田假の死去は現斉の政権にとって大きな話ではあるが、重要なのは野心明らかな残り二人の存在だ。
「王族相応の、とはいかぬが葬儀もさせて頂いた」
考え込んでいる俺に、宋義は恩着せがましくならないように簡素な言葉で語る。
しかし聞いた相手の方から負い目を感じるような言葉選びだ。
そこが憎らしいというか、いやらしいというか。
葬儀云々で貸し借りの話を持っていかれてはまずい。図々しくいこう。
「敵対しているとはいえ田一族の最期を看取って頂き、その上送葬まで。真に恐縮いたします。それで、残された田安と田都の様子は」
感謝の意を一言で済ませ、強引に田安達の話に戻す。
宋義は不躾な応答にやや眉を顰めたものの口には出さず、田安達について話始めた。
「田安殿達は田假殿を看取った後、楚のために働きたいと秦の討伐を志願なされました」
田安達は兵を手に入れたいってのと、将として使えるところを見せておき楚での地位を確保しておきたいといったところか。
「こちらとしても将はいくらいても足りない現状。特に楚王が直接命を下せる優秀な将は少ない状況でしたからな」
盱眙に引っ込んでいた楚王の直属の兵の質は高くないだろう。
武信君の配下には精良な将が揃っているが、楚王がその将達を動かすには先ず武信君に命を下さねばならない。
楚王が、恩義ある武信君に遠慮して下知を出せなかったというのは想像に難くない。
「では彼らは今」
「西以外にも秦に与する城や日和見を決めた邑は多くある。それを巡り、楚の治下に置くことは前線で戦う軍の援けとなると田安殿は訴え、我が王もそれを善しとして兵をお与えなされた」
楚王としても、地場の安定に繋がるその提案は渡りに舟だろう。
そして未だ兵を得ようとする奴らが、諦めていないのは明らかだ。
またあの臨淄での騒動を繰り返すわけにはいかない。
ここで宋義を動かさねば。
漿
重湯。
煩慮
様々なことで思い煩うこと。憂慮。