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143話

ありがたいことにアニメ「くまクマ熊ベアー」内のPASH UP!のCMにて、拙作「項羽と劉邦、あと田中」も登場させて頂いております。

 彭城(ほうじょう)に着いた宋義は、城壁を補修し(るい)を高く築き守りを固めた。

 彭城が楚にとって最重要の地と位置づけ、敵が来るならばここで迎え撃とうという思惑だ。


 意気衝天(いきしょうてん)の面持ちで待ち構えていた宋義だが、秦軍が北ヘ向かったと知ると、深く大きな息を吐いたという。

 その相手がいきなり章邯ということで、かなり肩に力が入っていたようだ。


 軍才を披露する機会を逃した宋義だが、それに気を緩めることはなく最も得意であろう政事に素早く着手した。



 まず楚王の側にいる上柱国(じょうちゅうこく)陳嬰(ちんえい)と協議し、盱眙(くい)から彭城に楚王を迎えた。


 首都が盱眙では戦場から遠く、王の威光が届きにくい。

 また項梁が倒れて消沈する兵の士気を鼓舞するため、敢えて王が敵に向かって前進することで、楚は逃げぬという姿勢を内外に表すためだ。


「彭城は盱眙よりも大きな城であり、王都に相応しい要地でございます。武信君は王の安全を何より考えて王都を盱眙としましたが、亡君の遺志、兵の奮迅のため、どうか声の届く場所へ」


 民の安寧、楚の栄達を望む陳嬰の私心なき言葉を楚王は聞き届けた。



 ◇◇◇



 数日後、俺は共にいた范増の元に転がるように報告に来た官吏の言葉を聞いた。


「こ、項羽将軍が戻られて……」


 言い淀んだ官吏の次の句を待たず、范増と俺は部屋を後にした。


 城門から入ってすぐ。

 遠巻きに様子を見守る人だかりの中心に、嵐のように荒れ狂う若者がいる。


「どういうことか、説明しろ!」


 雨の中も駆けて来たのだろう。

 泥に濡れた鎧もそのままに、官吏の胸ぐらを掴み、締め上げている。


 その恐ろしいほどの膂力は官吏の身体を持ち上げており、気道の詰まった官吏は声にならぬ悲鳴を上げている。


「落ち着かれよ。それでは声も上げれまい」


 項羽は己を戒める声に射殺さんばかりの眼光を向けたが、それが范増だと解ると今にも泣き出しそうに顔を歪めた。


「范翁……」


 自身が発した弱々しい声に我に返ったのか、項羽は顔をまた厳しい表情に戻し范増に詰め寄った。


「范翁、何がどうなっている……。叔父上に何が」


「武信君は定陶の城壁から転落して命を落とし、直後秦軍が現れたので令尹指揮の下、彭城まで退いた」


 簡潔にして正確。事実のみを伝える范増。

 項羽は震えるほど怒りを露わにし、范増に食ってかかる。


「それを唯々諾々と受け入れられるわけなかろう! 章邯の手に依るものか?!」


 やはり事故死とは考えていないようだ。


「そう考えるのが大勢ではあるが、他の可能性もなくはない。……真相は闇に消えた」


「しかし、叔父上は……叔父上がっ」


 納得のできる答えに、苛立ちを募らせる項羽は拳を握りしめ、地面に叩きつけた。怒りと哀しみの拳は地深くまで響かせるように幾度も振り下ろされ、項羽の涙が震える地を濡らす。



「項羽殿、拳を痛めます」


 俺はいたたまれなくなり声を掛けると、赤い目がこちらを睨んだ。


「田中……。叔父上が居なくなって、やりやすくなったと思っておるのか」


「え?」


「宋義の長子は斉で要職に就き、お主も楚で役職を与えられる。叔父上が何かと目障りとなると思っておったのではないのか!」


 俺が疑われているのか……?


「そんなことは!」


 俺の否定の言葉に項羽は蔑視を向け、大きな声で糾弾する。


「そもそも斉は東阿(とうあ)へ援けた我らの共闘要請を何かと理由を付けて兵を出さず、寄越したのは細枝のような男一人!」


 またそれを蒸し返すのか? 兵を出さない訳ではないし、遅れている理由も伝えたはずだ。


「それにお主が叔父上に定陶へ退けなどと……」


 ……ちょっと待て。


 俺は項梁の死を回避しようと、ここまで来たんだ。

 身内を亡くし荒れているのは解る。

 しかし、そこまで言われる故はないんじゃないか。



『計らずも田中殿の言われていたように、主が替わることになりそうです』



 衛士の嫌味とも取れる言葉が頭に浮かんで血が沸き、頭が熱くなるのを感じる。



「兵は田横が出していると伝えたはずです。遅れている理由も。武信君に前線から退くよう進言したのは確かに私ですが、項羽殿もその言に乗ったではないですか」


 俺のいつもより低い声が辺りに響く。


「なにっ」


 俺だって項梁の死を回避しようとここまで来た。


 戦場から遠ざけ、それは成功したかに見えた。

 でも無理だったんだ。


 歴史を少し知ってるだけの、ただのサラリーマンが何やったって……!


「俺は退く具体的な場所は言ってない。それに最後に決断したのは武信君本人でしょう。それとも武信君はたかが一弁士の、俺の言葉にその身を委ねるほど判断力がなかったんですか」


 ここで反論しなきゃ、このまま楚軍には居られなくなるだろう。

 そう思い、強く返したが後悔が胸に突き刺さる。


 俺自身もこの不測の状況に振り回され、冷静ではないのだろう。


 亡くなった人の身内に向ける言葉ではない。

 感情的になった者の心を逆撫でするような言い方だ。



 自分の嫌な部分が露呈して、泡立つような自己嫌悪が身体の中で弾ける。



「言ったな……この減らず口が!」


 項羽が腰にさげた剣の柄を掴み、その赤い目は獲物を狙う肉食獣のように俺の姿を捉えて離さない。


 ヤバい、言葉をまずったな……。

 殴られるくらいは覚悟してたが、剣はまずい!

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