10話
それから馬車と乗馬の練習をしたり、濡らした布で尻を冷やしたり、数日を過ごした。
今日も練習を終え、分家に戻り田栄、田横と食事をとりながら今後について話し合う。
県令から田横の賦役の引率の許可が下りたようだ。
「県令は平静を装ってましたが、喜色を隠せない様子でしたよ」
田栄が苦笑しながら教えてくれた。
「兄上、賦役の数は集まりましたか?」
「前回も大分取られましたからね。本家とこの家から多めに出して何とか集まりました」
他に田横の従者の人選などを話し合っている。
会話が一段落したところで俺は田栄に声を掛けた。
「そういえば先日、儋殿のご子息と栄殿のご子息にお会いしましたよ」
「市と広ですか」
田栄が愁眉を寄せた。
「市は従兄によく似て剛胆な若者です。しかしそれは表面だけで、本質は臆病です。
若さからか自尊心が強く、思慮が浅い。
本家の後継ですから、もう少し腰を据えてもらいたいですね」
辛口ですね、田栄さん。
「私の息子は…、」
田栄が更に眉を寄せた時、
「し、失礼致します、父上」
噂をすれば影、田広本人が入ってきた。
「広、どうしました、急用ですか?そうでないなら後にしなさい」
「お、叔父上と中殿にお願いがあります」
田広は声を震わせながら話す。
「ほう、広が願いとは珍しい。何かな?」
田横が笑顔で尋ねる。この人の笑顔は人を安心させる。
田広も少し落ち着いたのか、先程よりしっかりした声で、
「私も咸陽に同行させてください!」
田栄は暫し唖然としていたが、広を強く諌めた。
「広、何を言っているのです。咸陽行きは遊びではないのですよ」
「まぁ兄上、理由を聞こうではないですか。広よ、何故咸陽に行きたい?」
田横が田栄を窘め、田広に促す。
「父上が、気が弱くいつも市従兄の後を付き従っている私を、苦々しく思っている事は存じてます。
私自身も情けなく思っており、何かきっかけを掴み、自分を変えたいのです!」
「それが咸陽行きだと?」
田広は頷く。
「従者としてでも構いません。お願いします!」
「旅には危険が付きまといます。それに咸陽についてからの方が危険かもしれません」
田栄は我が子の成長しようとする心を知った嬉しさと、遠く離れる憂いとで微妙な表情だ。
「兄上、広はどうやら本気のようです。旅や咸陽での様々な経験は、広の器を広げるでしょう」
「聞けば中殿は遠く東の島から来られたそうで。中殿でも一人で狄まで辿り着けたのです。叔父上や中殿、他の方々も一緒です。大丈夫です!」
ふふっ田広君、それ誉めてないよね。俺の事ディスってるよね?
まぁいいか、素直でいい子そうだし、気弱でも芯はしっかりしてそうだ。
「栄殿、俺の国では、かわいい子には旅をさせろという言葉があります。旅を経て一回りも二回りも大きくなった広殿を迎える喜びは何事にも代えがたいでしょう。ここは横殿に預けられたらいかがですか」
俺も援護をすると田栄は一つ大きくため息を吐き、田広を見つめた。
「横のいうことをよく聞くのですよ」
「父上!ありがとうございます!」
田広は大きく揖礼をして、旅の準備をしてきますと慌ただしく退室していった。
「兄上、広のことは任せて下さい。必ず無事帰します。
しかし、あの広が一端のことを言うようになりましたな」
田横は穏やかな笑みを浮かべ、田栄に近づき彼の杯に酒を注いだ。
田栄はまた、ため息を吐き少し寂しげな様子で、
「いつまでも子供ではないのですね」
そう言って杯を空けた。
「親の知らぬところで子は成長しているものです」
田横は楽しげに応えた。