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137話

いよいよ本日書籍3巻、コミカライズ1巻発売です。

特典など詳細は活動報告に挙げております。どうかよろしくお願いいたします。

 宋義が斉へ向かった暫くの後。


 俺は今、濮陽(ぼくよう)から定陶(ていとう)へ移動する準備をしている。

 準備といっても大した荷物持ってきてないし、特にすることないんだけどね。



 濮陽攻略は、章邯率いる秦軍の激しい抵抗に戦況は停滞していた。

 章邯の籠る城の守りは固く、城壁に取り付こうにもその前に築かれた(るい)に阻まれた。


 塁の一部を破壊しても、夜を徹して修復作業が行われているのだろう、一昼夜で元通り。朝には泥と石で固められている。



 ここでまた破れることになれば形勢は一気に楚へ傾く。そうなれば例え章邯でもその勢いを止めることはできなくなる。

 それが兵達にも判っているのだろう。秦軍も必死だ。


 そんな中、俺の陳情を受け入れてくれた項梁は定陶へ戻ることとなったが予定が少し変わった。


「主力軍も濮陽を引き上げるそうです」


 この膠着状態でいたずらに時間を浪費することを嫌った項梁は、章邯が息を吹き返さないうちに項羽や劉邦達に済水沿いを西進せよとの指示を出した。

 持久戦に焦れていた項羽などは喜んで準備を整えると、直ちにここ濮陽を離れた。


臨済(りんさい)の辺りまで落とせば濮陽への援助も難しくなり、章邯も退かざるを得んという計図でしょう。さらにこの西進で、定陶(ていとう)へ行く武信君の安全もより高くなる」


 ほうほう。


「済水沿いを落とせば、章邯の退くべき場所も限られます。奴らが邯鄲(かんたん)の友軍と合流するとなれば、趙との挟撃が謀れましょう」


 はぁ、なるほどなぁ。


 やることのない俺は護衛の無口で無愛想な死んだ目をした衛士と、濮陽撤退について話していた。


 てか戦略とか戦術とかになったら饒舌なのね。

 目にも若干、活力が見えた。

 若干だけど。


 この分野ならコミュニケーションがとれるのね。

 それ以外の時は本当『はい』と『いいえ』しか言わないんだもん。

 スマホのアシスタントの方がまだ感情的だな。


「前回の章邯への勝利から武信君の戦略が変わってきました」


 表情は変わらないが、やはり好きな分野のことは語りたいのか衛士は語り続ける。


「そうなのですか?」


 このままご教授願おうと、俺は相槌を打つ。

 時間をもて余しているし、この衛士の話はなかなか勉強になる。


「慎重さを脱ぎ捨て、積極的に勢力を拡げようとする意図が感じられる。それを自信と捉えるか、(おご)りと捉えるか」


 ……宋義と同じようなことを。


 やはり項梁が変わったというのは、わかる者にはわかっているのか。


「目の前に章邯のいる状態で軍を分けて項羽将軍達を西進させるというのも、今まででは考えられぬ戦略」


 訳知り顔……でもないけど、淀みなく語る衛士の語り様にだんだん心配になってきた。


「軍を分けては定陶では守りきれないと思いますか?」


 衛士は少し眼差しを落とし考えたが、すぐに顔を上げて答えを出した。


「軍を分けて良いのは兵数が大きく勝っている時です。我が軍と章邯軍との兵力差はそこまで開いてはいない。しかし武信君は定陶の城に移り、固く門を閉ざせば問題ないと踏んだのでしょう。定陶は要所の城の一つ。城壁も高く、北は済水で守られています。まぁ、落ちることはありますまい」


 ほぅ、なんだよ大丈夫なのか。ちょっと安心した。でも。


「戦に絶対はありませんが」


 ・・・・・・だよな。


 俺は衛士の付け加えられた言葉に、重々しく頷いた。




 しかし衛士さん、君凄いね。

 項梁の思惑を完全に理解しているんだな。

 語る言葉にも、なんか説得力があるし。


「将となれば歴史に残る功績を残せると自負しております」


 抑揚のない声で(うそぶ)く衛士。

 自信満々だな、軍を率いた経験はあるの?


「誰にも最初というものはございます。私には未だそれが訪れていないだけのこと」


 逆上することもなく淡々と応えるが、衛士は小さく溜め息を吐いた。


「なかなか上には認められませんが」


 どうやら現状の護衛という身分には不満があるようだな。

 俺が水を向けると、衛士の口からポツポツと愚痴が溢れる。


 利にもならぬ争いを避けるための行動を臆病者だと揶揄されている。

 そのせいかは知らぬが、何度も献策をしても取り上げられることがない。

 表情が乏しいためか、粛々と仕事をこなしていても不満気だと捉えられる。



「……このままでは軍を率いることができるかどうか怪しいですな」


 そう言って改めて自身の置かれた立場を振り返った衛士は、無表情の顔に微かに諦観の色を見せた。


「働くことにおいて、それはかなり難しいところですからねぇ。私も以前は苦労しました」


 上役との相性の問題ってのは現代日本でも古代中国でも変わらないな。

 合う合わないってのはあるからなぁ。


「田中殿もですか。斉も窮屈なのですな」


「あ、いえもっと以前の故郷の話です」


 俺も現代日本では入社してから何年かは、親身になりすぎるなとか余計なことはするなとかよく言われて、なかなか業績が上がらなかったな。

 元ラグビー部の部長が転属してきて、お前のやり方でやってみろって言われて漸く業績が残せるようになった。


 それまでは転職のことばっかり考えてたもんなぁ。


 斉では逆に期待が大き過ぎてちょっと困ってるってのはあるが、直属の上司は気の利くいい男だし、その上役も少し頑固だが誠実で優しい人物だ。



 おお、そうか。


「衛士さん、思い切って仕える主を変えるのも一つの手だと思いますよ」


 斉とかどうよ。いい上司に恵まれますよ。

 まぁちょっと強引な奴だけど。

 いやかなり。


 俺の勧誘の言葉に衛士の、深い黒色の瞳が大きく見開らかれた。


「主を変える、ですか」


 考えたこともなかったのか、衛士の眼に驚きと何かしらの火が灯ったような意思を感じた。


 おっ、脈ありかな。

 まぁ、ちょっと一族経営みたいなところがあるけどさ。正しく評価してくれると思うよ。君の頑張り次第でどんどんキャリアアップが目指せ……って、聞いてる?


 衛士は目を伏せ、顎に手を当てて思考の海に沈み、俺の声も届いていないようだ。


 おーい。


「ああ、斉ですか。今のところ将来性に乏しいですな。この楚よりも飛躍するならば考えますが。貴方も先を見越して此方へ移ったのでは?」


 違うわ。

 全然脈ねぇじゃん。


 しかも勝馬に乗りたい現実主義というか功利主義というか、そういうタイプか。

 意外だな。自身に自信があるみたいだから、自力で国を押し上げてやるってタイプかと思ったが。

 うーん……やっぱよくわからん男だな。


 その後も衛士はずっと何かを考えているのか黙り込み、俺は所在なく定陶への出発を待つしかなくなった。



 斉へ行く可能性を考えてくれてたら嬉しいんだが、そういう訳でもなさそうだ。

 やっぱ変わった男だな。

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