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136話

書籍3巻、コミック1巻共に6月26日発売です。

どちらにも短編書き下ろし、さらにコミックも亜季乃先生のおまけも付いております。

よろしくお願いいたします。

 俺の硬い顔に何か誤解したのか宋義は一つ咳払いをした後、先程までの悠然とした声とは違う俺だけに届くような低く重い声を発した。


「ここだけの話、武信君は(おご)っている」


「え?」


 急な話の変換に思わず問い返す。


「私に対し、あのような冷たい物言いはなかった」


 宋義は嘆くように首を振り、


「確かに呉より出でてから破竹の勢いで突き進み、我が王を奉戴し、あの常勝章邯をも退け、中原にその名を轟かせた」


 また大袈裟な仕草と表情で演説が始まった。


「それをいいことに武信君は盱眙(くい)に王を押し込め、軍を我が物のように扱っておる。そう、まるで自身が王となった如く……」


 ここに自国の者がいないためか宋義は憚らず項梁を非難をする。

 しかしそれを何故俺に聞かせるか、だが。


(こう)として独自の軍を持つことは当然のこと、それに王より軍を任されておられるのでしょう? 盱眙に王を置かれているのもこの争乱から王を護るためでしょうし」


 とりあえず一般論をぶつけてみる。

 楚王に帰属したので名目上は王の軍ではあるが、それでも元々項梁が集めた軍だろう。

 確かに言葉少なで冷たくおっかない印象は受けるが、人の言葉に耳を貸さない訳じゃないし、わりといい上司って感じだがなぁ。


「そういうことではないのだ、田中殿。形式上の問題ではなく、王や私を迎えた時との心の変わり様が私にはわかる。私や王を疎ましく思い始めていることが」


 そりゃあんたが、戦いに専念したいのに面倒な権力の綱引きを持ちかけてくるからだろう。


「戦勝の急流に乗ったのを自身の泳ぐ速さと思い違い、己で泳ぐことを忘れた魚はそれに気付いて逆らおうともがいても、流されるままとなろう」


 宋義は全てを口にせず、目を伏せる。そして、


「今はその速さが心地よく、それを諫める私を煩わしく思っていようが遠からず……」


 ゆっくりと俺に視線を向ける。



「田中殿。貴方は斉と、楚を結びに来たはず……。楚とは誰か?」


 今まで通りの柔和な笑顔と、今までにない低く抑えた声で俺に告げた。


「どうか結ぶ相手を見誤らぬよう……」


 ◇◇◇


「つ、疲れた……」


 宋義との会談を終え幕舎を出た俺は暫く歩いた後、その場にしゃがみこんだ。


 先ずは良い方向に進めたと思うが、色んな大物を相手にして神経を磨り減らされた。


 特に宋義。

 あの男の頭の切れと話術に翻弄された。

 しかもそこに野心が見え隠れして不信感が拭えん。


 項梁ではなく楚王と、いや宋義自身が俺を通して斉を取り込もうとしているのがありありとわかる。


「どうすっかなぁ……」


 宋義の予言は不吉ではあるが、とりあえずは項梁を死の危険から遠ざけたと考えていいと思う。


 となると、このまま項梁が権勢を(ふる)うことになる。

 宋義と手を結ぶのは敵対とは言わんが、距離を保っていた方がいいか。


 そうなると楚王との関係がどうなるかだよな。

 田栄の性格的に楚と関係を深めるならば、名目上の最高権力者である楚王とということになる気がする。


 宋義は項梁が楚王を煩わしく思っていると言っていたが、本当のところどうなのか。宋義は煙たがっている感はあるが。


 宋義を通してしか楚王の意向が示されていない現状、奴を無視するわけにもいかんしなぁ。


「……すな」


 答えの出ない問題を整理するため、地面の砂に関係図を書きながら唸っていると、不意に周囲が翳った。

 誰かの影のようだ。


「……殿ですな」


 影の先に視線を向けると、背の高い男が立ち、俺を見おろしていた。



 田横や項羽ほどではないがしっかりとした体躯。筋の通った鼻と薄い口。形の良い細い眉が色白の顔に乗せられている。


 しかしそんな印象を吹き飛ばすような……。


「田中殿ですな」


 再度の呼び掛けに我に返った。


「は、はい。私がたな……田中(でんちゅう)ですが……貴方は……?」


 未だに咄嗟にデンチュウという名に慣れん。


「武信君より護衛を仰せつかりました」


 男は抑揚のない声で応えた。


 この人物が俺の護衛か。


 項羽の分かりやすい暴力的な怖さや、鯨布や彭越のような法の外で生きている怖さもなく、さっきの宋義のような絡み付くような怖さもない。


 背筋の通ったその立ち姿。腰元に見える、使い込まれているであろう手垢でやや黒く染まった剣の柄。理知的で静かな顔立ち。


 普通なら頼もしく思えるが。



 それを無に帰すような、その目。


 まるで剣で切り裂いたような切れ長の目の中心に、一切の光を通さないかのような漆黒の瞳。


 俺を見ているのか、それとも遠くを見ているのか。

 何の感情も読み取れない、そんな目。



 なんか怖いな、この人……。


 いや、まぁこういう人に限っていい人だったりとかね。

 うん人を見かけで判断するのは良くないね。


「あ、この度はご面倒お掛けします。えーと、お名前は……」


 男は俺の問いかけに、やはり何の感情も乗っていない声で応える。


「一介の護衛の名など覚える必要はありますまい。只の衛士とお呼び下さればよいでしょう」


 ……。

 …………。

 感情がないように見えて実は怒ってんの? その無表情は不貞腐れてんの? つまらん仕事を任された、とか思ってんの?


「田中殿の宿所へご案内いたす」


 俺を見下ろしていた衛士は俺の返事も待たず踵を返し、振り返りもせず陣中を進んで行く。


「あっ、ちょっ」


 俺は慌てて立ち上がり、その黙々と歩く後ろ姿を追う。


 一応さぁ、これからさぁ、結構な時間一緒にいるわけじゃん?

 仲良くしようとまではいかなくてもさぁ、ちょっとはさぁ、お互いやりやすくするためにさぁ、コミュニケーションをさぁ。



 ちょ待てよ。


 待てって。

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