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133話

「大方のところは范増から耳にした」


 項梁の物腰柔らかいが、どこか冷めた声が場に響く。


 項羽、范増、劉邦……は途中で逃げたが、彼等との会談の翌日、俺は項梁との謁見に臨んでいた。


 因みに劉邦はあの後、営舎の外で待っており、


「わりぃな、カカッ。あの爺さんはどうも苦手でな。蕭何(しょうか)よりおっかねぇんだ」


 そう顎を擦りながら苦笑し、俺を悪びれもなく迎えた。



 項梁の営舎には項梁を始め、項伯、項羽、范増、劉邦他主だった将、そして昨日すれ違った楚の令尹(れいいん)宋義と楚の中心人物が集まっている。


「田中殿、貴方は高陵君と共に斉の外交を担っておったと聞く。また斉一の将、田橫将軍の校尉として戦場を駆け、東阿戦では田橫将軍の御者もしたとか」


 こうして端から聞かされるとまるで自分のこととは思えんな。

 どこの文武両道の武将だよ。


「田氏でありながら、そして高位の官を捨ててまで我が国と斉を繋ごうと奔走していること感に堪えぬ」


「恐れ入ります」


 全然心動かされてない気がしますが。


「しかし」


 下げた俺の頭に項梁の言葉が降り注ぐ。


「劉邦や龍旦などから聞き及んでいる田中殿の誠実さを疑う訳ではないが、范増が言及したように斉には諸々確認をとらねばならん。先ずは使者を出そう」


 これに関しては范増にも言われていたし、想定内だ。むしろ使者を行き来させる理由となるなら願ったりだ。


 田栄が頭を抱えながらも上手いこと言ってくれると信じている。


『田中? そんな男、煮るなり焼くなりお好きに』とは言わんだろう。

 ……言わないよな?! 今、着ている正装くれたのは田栄だもんな?!


「それまで陣中ではあるが、ゆるりと過ごされよ。諸事困らぬよう、護衛も兼ねて人を付けさせて頂く」


「重ね重ねありがたく」


 今は斉に悪意を持つ者もいるだろうし、護衛はありがたい。

 まぁ実際は俺の監視だろうが。


「知勇兼ね備えた弁士を迎えれば、打倒秦への道も早まろう」


 ……この人わざと言ってんのか。皮肉にしか聞こえん。

 泣きながら馬車を御してた奴のどこに勇があろうか。


 むず痒い気持ちを奥歯で噛み締め、俺は再度頭を下げた。

 そしてちらりと范増に目を合わせると、彼は頷き、僅かに顎をしゃくる。


 俺は息を一つ吐いて気合いを入れ、項梁に向かって切り出す。


「早速でありますが、武信君に一つ上申致したいことがございます」


「……ほう、何かな」


「楚はすでに勇将、猛将が揃い、武信君が本陣まで出でて指揮を取らずとも秦を打ち倒すことができましょう」


 俺は昨日項羽と范増と話した内容を伝える。



 項梁は俺の話を静かに聞き、そして長い時の黙考の後応えた。


「章邯が私を狙ってくるのは理解しておる。先の戦闘ではそれを逆手に取り敗走させた。敵の狙いが明らかであれば対応しやすい。私が戦場にいる価値はある」


 やはり項梁は退がる気はないようだ。


「確かに価値はありますが、それが等価とは思えません」


「私の命を高くみてくれるのはありがたいが、王より軍権を預かる身。指揮を取る者が安全な後方で眺めているというのは楚のやり方ではない」


 項梁は言葉を選んでいるが、はっきりと否定する。

 楚人の矜持もあるのだろう。やはりいきなり現れた俺に言われても、はいわかりましたとはならんよな。


 しかし、ここで范増が口を開いた。


「わしは元々御身で敵を釣り上げるような真似は反対であった。替えの効かぬ貴君の命と秦の一将軍とを秤に掛けることは賛成できぬ」


 項羽も范増に続く。


「あの時は最初に楚の強さを印象付けるためと献策しましたが。叔父上、一つ一つの戦に一々命を賭けては身が持ちませぬぞ。それに叔父上が退けば叔父上を守る兵を攻めに回すこともできましょう」


「……」


 二人の援護に乗じて俺ももう一押し。


「枝葉は縦横無尽に伸びますが幹は一つ、その場から動かず天に向かって伸びるもの」


 項梁の目がスッと細められた。そしてその視線を周りに向ける。


 知の范増と武の項羽が揃って賛同したことで、場は項梁の身を案ずる雰囲気に流れており異見を挙げる者はいない。劉邦もニヤりと笑って頷いている。


 そして最後に項梁は范増に何かを問うように、やや首を俺に向けて傾けた。


 范増は少しだけ口の端を歪ませ、頷く。



 それを見た項梁はいつもの冷静な表情を崩し、可笑しげに笑った。


 言っちゃ悪いが笑顔が怖い。何か企んでいる風にしか見えん。


「どうやら縦横家を名乗るだけあって根回しも上手いようだ。葬儀の段取りなど任せれば見事にこなすだろう」


 皮肉交じりにそう言うと、項梁はすぐにいつもの沈着さを纏わせた。


「現在、堅牢化した濮陽を落とすには準備が足りぬ。ここで章邯が城から出てくるのをいつまでも待っているのは時の浪費だ。濮陽へは最低限の兵を残し、項羽、劉邦は済水沿いを進み臨済(りんせい)を攻めよ。章邯を孤立させる」


「叔父上は」


定陶(ていとう)に戻る。定陶ならば北は済水に守られ、城壁も高い。一先ずそこに腰を落ち着け、指示を出すとしよう。……これで不満ないかな、田中殿」


 敵から遠くとはいえないが、声が届く範囲で、堅城で、臨済沿いの城を落とせば、定陶が攻められる危険は格段に減る。


 項梁のできる限りの譲歩が見えた。


「ご賢察でございます」


 これで万が一、定陶を奇襲されても項梁の危機感への意識付けもできたはず。

 よっし! とりあえずはこれで項梁と章邯が直接戦う可能性は低くなった。


「待たれよ」


 一際大きく称賛する畏まった声が響く。


 声の行方を追うと、柔和な細い目が垂れ下がった糸にしか見えないような宋義が両手を広げていた。


「武信君の身は王も常々案じておられる。なにせ楚復興の礎となった英雄であらせられる。しかしながら」


 広げた手を縦横無尽に踊らせながら、宋義は語り始める。


「ここで攻勢を弛めるようなことは章邯に時を与え、力を再び蓄えましょう。楚人は熱し易く冷め易い。熱の冷めぬ内に激流の如く攻める時ではあるまいか」


 柔和な表情は崩れぬままだが、その奥に僅かに光る目が熱を帯びている。


「項羽殿を始め諸将の指揮に異義があるわけではないが、やはり武信君が居てこその……」


「令尹」


 武信君が宋義を呼ぶ。


 その一言は、宋義の演説の熱を全て地中に沈めるような冷たい声だった。


 宋義は凍ったように動きを止め、僅かに顔が項梁に向けられた。


「軍務に関しては、王よりこの私に委ねられておる」


 深く暗い目で宋義を見つめた項梁は重々しく短く、言った。



「……僭越でございましたな」


 宋義は目を伏せたが、頭は下げずに胸の前で手を組んだ。


 この宋義もなかなか肝が太いな。

 あんな眼光と声で言われたら、俺なら速攻土下座するよね。


 さすがは楚の令尹。ただの楚王の御機嫌取りって訳じゃなさそうだ。

本話にてストックが切れました。申し訳ございませんがまたお待ち頂けます様、よろしくお願いいたします。

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