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127話

漫画版3話がコミックPASH!様にて公開中です。タイトルの3分2を回収。


「中! お主何を考えておる!?」


 田栄が去った直後、蒙恬が掴みかからんばかりに駆け寄ってきた。

 田広も、華無傷も、高陵君まで。皆が俺を囲んでいる。


 迫力が。暑苦しさが。


「いや、あの、前時代に縦横家という者達がいたでしょう。各国を渡り歩き、その弁で国と国を結んだり、他国にあって祖国のために働いたり」


「お主がそれをするつもりか」


 蒙恬が叱るように問うてくる。


 皆、俺が楚へ鞍替えするとは一切思っていないようだ。

 俺は鼻の奥の痺れを耐える。



「まぁ真似事ができればと。俺にできるのはこの口を動かすことですから」

( )


「……楚へ行かれるのですか?」


 田広が不安そうに確認する。


「幸い楚の将軍には面識がある人もいますし、武信君にも一度お会いしています。斉の田横将軍の元校尉(こうい)というなら、楚王に会えずとも側近くらいは話を聞いてくれるでしょう」


 田広は俯き、返ってくる言葉はない。


「しかしこの使者の往復によって、楚は斉に悪感情を持ったでありましょう。門前払いならまだよいが最悪、斬られる危険もございます」


 続く高陵君の危惧に、俺は苦笑で応える。


「俺は斉を追い出された身ですから」


 皆が唸り、空気が重くなる。



「中殿……」


 田広の悲し気に俺の名を呼ぶ。


 随分と背が伸びたなぁ。

 いつの間にか目線が同じくらいになったが、その愛嬌は変わらない。

 今はシュッとした大型犬の雰囲気だ。


 これ以上周囲が沈まないよう、俺は努めて楽観的な予想を口にした。


「それに楚も西行する背面に敵対する国を作りたくはないでしょう。一度や二度の交渉決裂で断交するとは思えません」


 自分に言い聞かせるよう、願いも込めて。


「私も楚へは斉との関係を断たぬよう進言するつもりです。一度敗れたとはいえ秦は未だ強大で章邯は強い。このまますんなりと勝てる相手ではありません」


 それは皆も理解していることだ。


「しかし難敵であっても無敵ではないことが、章邯の敗北によって証明されました。秦に勝った後、次代への布石を考えておかなければなりません」


 足元ばかり見ていたら、道が失くなっていることに気付かない。


「その布石とやらを打ちに行くのか」


「横殿」


 少し離れた所で聞いていた田横は、厳めしい顔でゆっくりと近づく。


 怒ってんのかな。

 相談もなく、決めちゃったからな。


「……」


「横殿はどうか栄殿を説得し、対秦の兵を。援軍でなくとも兵を秦へ向けて頂ければ、楚への協力だと説きましょう」


 敵の戦力を分散とかなんとか嘯くことができるだろう。


「一人で行くのか」


 田横がボソリと尋ねる声色。

 独断への非難、友を気遣う優しさ、同行できぬ寂しさ、色んな想いを感じる。


「横殿でなければ栄殿を説得できないでしょう。それに斉国一の将軍なんですから、たまには国内にいなきゃ」


 申し訳なさと嬉しさ、そして気恥ずかしさが込み上げ、少しおどけて応えた。



「……死ぬなよ、中」


「ゲホッ」


 大きな拳が俺の胸をゴツリと打つ。力加減……!


「死なぬように、頭の固い兄上をなるべく早く説得してくださいよ?」


 俺も力を込めて、田横の胸を打つ。セイッ。


「任された」


 田横は、身動ぎもせず頼もしく応えた。


 ……ま、いいけどね。



 そしてそれぞれの励ましを貰い、その場を後にする中、俺は蒙恬と田横を呼び止めた。



 ◇◇◇



 旅の支度を済ませた日。


 雨上がりの夕刻、俺は蒙恬の屋敷に馬車を牽き、門を叩く。



 一室に通され、静かに佇む蒙恬と夕陽の朱に照らされた華やかな衣装を纏った女性。


「迎えに参りました」


 俺が蒙恬にそう告げると、蒙恬は目を閉じ、


「うむ」


 一言だけ応えた。


 俯く女性の微かに震える手を取ると、馬車まで導いた。


 雲が流れる夕闇の中、無言の馬車は進む。


 俺の借家の前で馬車は停まり、俺達はまた女性の手を引き、自室へと(いざな)う。



 向かい合う形で座り、俺は改めてその人を観る。

 その人も大きく明るい色の瞳で俺を観ている。


 夜の帳が降りた部屋。

 雲間から差しこむ月の明かりが、銀の装飾のように亜麻色の髪を幻想的な美しさに彩った。


「琳殿」


「中様」


 形だけ整えた儀礼、仲人も田横の家宰の老夫婦に急遽頼んだ。


 宴も何もない。

 明日には臨淄を出ていく。


 そんな時に俺は蒙恬に頼み込み、蒙琳さんとの婚姻の儀を行った。



『琳はお主以外の所へ決して嫁がぬであろう。これ以上待たせるのは酷であるしな。簡略に済ませよう』


 完全に俺のわがままだったが、意外にも蒙恬はそう言って快諾してくれた。


「琳殿、宴もなく、こんな簡単な儀になって申し訳ありません。そして明日には俺は……でも、どうしてもあなたと夫婦になっておきたかった」


 蒙琳さんはゆっくりと細い首を振る。


「中様に嫁ぐこと、豪華も簡素もその喜びに何ら変わりはありません。離れようとも中様と私は夫婦となりました。私にしてくれたように、あなた様を慕う人々に風と水を運んであげて下さい」


 そして微笑み、


「そして……いつか必ず、私の所へお戻り下さることを信じております」


 俺の迷いを払い、背中を押してくれる。

 そして待っていてくれる。


 蒙琳さん、俺にとってあなたこそ風であり、水であり、大地だと思うよ。



 ……ありがとう。



「……あ、そうだ。一つ琳殿に知っていて貰いたいことがあります。俺の本当の名前は……」



 そして俺と蒙琳さんは一夜だけ、夫婦として過ごした。



 ◇◇◇



「行ってきます」


「はい、どうかご無事で」


 家の門前で蒙琳さんと短く挨拶を交わし、馬車を牽く。


 一度だけ振り返ると、蒙琳さんはまだそこにいた。その表情までは見えない。


 大きく手を振り、前を向く。


 もう振り返らない。




 街を抜け臨淄の門まで行くと、見送りの人達が集まってくれていた。


 田横、田広、田突、蒙恬、華無傷、それに高陵君も。

 あれは東阿で一緒に籠城した兵達だ。俺に付いてくれてた文官達も。


 ……結構いるなぁ。

 この国で俺がしてきたことの結果が、この人達なのかな。


 …………いかんな、ここ数日涙脆いな。


 これからだ。

 これからが正念場なんだからな、デンチュウ。



 俺が感傷に浸っていると、高陵君が珍しく話しかけてきた。


「田中殿、楚王へ謁見したいのならば宋義(そうぎ)という男を訪ねられよ。楚王の側近でございます。多少の(よしみ)があり、私の名を出せば話くらいは聞いてくれましょう」


 ……意外だな、実はなんとなく俺のこと嫌ってるというか、対抗心を感じてたんだけどな。


「ありがとうございます」


 高陵君に礼を言うと、


「この国のためです」


 礼を言うと高陵君は素っ気なく短く応え、人混みの中へ去っていった。


 恥ずかしがり屋さんめ。



 入れ替わりで田広が進み出て、何かを差し出してきた。


「中殿、これを」


 田広から手渡されたのは、仕立ての良い衣装。

 この時代の正装である上衣下裳(じょういかしょう)だ。


「これは?」


「何度か袖を通した物ですが、あなたが持っている衣装よりましだろう、とのことです。弁舌をふるう場で、みすぼらしい姿では説得力に欠けようと」


 田広は微笑み、続ける。


「体格が似ているのは、以前も譲ったから知っているそうです」


 最初にくれた着物……!



『私と背格好が同じ位でよかった。横の物だと大きすぎますからね』



 俺は随分と昔に思えるその言葉を思い出し、握り締めた衣装に顔を(うず)めた。


 ……いかん、いかんぞ。

 皆が全力で俺を泣かせに来てる気がする。


「ははっ、折角の正装に鼻水がついてしまうぞ」


 田横がからかってくるが、喉が詰まり応戦できない。


 俺の意図は田栄に伝わっていた。

 これなら胸を張って、斉の名を出せる。



「中」


 一つ息を大きく吐いて、俺が顔を上げると目の前に岩のような、それでいて太陽のような暖かな眼差し持つ男が立っていた。


「お主の為すべきことを為せ。こちらは任せろ」


 その一言だけ。

 でも、その一言で充分だ。


 俺が力強く頷くと、田横は大きな手のひらをこちらに向けて上げた。


「お主の国では景気をつける時や励ます時に、こうやるのだろう?」


 あぁ、いつか田広に教えた覚えがあるな。



 見れば田横の後ろで田広、田突、華無傷、蒙恬も手を上げている。

 高陵君は流石にしてない。恥ずかしがり屋さんめ。


 俺も手を上げて目一杯の力を込めて、田横の手を叩くと、続く皆の手も叩いて行く。


「行ってまいります!」


 大声で皆に叫び、馬車に乗り込む。


 ハイタッチで痺れる手で手綱を握り締め、俺は門をくぐり抜けた。

活動報告に書きました通り、更新を週一から書き貯めして連続で更新する方法に変えようかと実験したく思います。

つきましては今話か次話をもちまして暫く更新を休止し、ある程度貯まった時点でまた更新させて頂きます。ご了承頂きますようよろしくお願いいたします。



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