125話
漫画版「項羽と劉邦、あと田中」はまだ第2話までですが、要所を捉えた非常に面白い物となっております。
コミックPASH!様で公開中ですので是非一度。
田栄は咳払いをすると、会議を再開させた。
「楚へ救援の礼品を持たせ、使者を送りました。先ず楚王のいる盱眙、その後前線の武信君の元へ向かわせました」
楚のこれがちょっと引っ掛かるんだよな。
龍且も『この救援は武信君の意向』ってはっきり言っていたし、楚王は傀儡で項梁が完全に牛耳ってるのか?
しかし国の頂点は王な訳だし、それを無視して項梁と話を進めるわけにはいかん。
一応順序として王に挨拶して、その後項梁へ、ということになる。
「武信君はこの機を逃さず章邯を追い、濮陽を攻めるそうです」
項梁率いる楚軍は、常勝無敗だった章邯を敗退させ、下火になりかけた反乱の炎を再び燃え上がらせた。
この熱波を利用しない手はない。
「そして武信君は、さらに西へと歩を進めるため、我ら斉にもこの西征に参加を促してきました」
……なるほど、窮地を助けたんだから今度は手を貸せよってことだ。
まぁ、秦とやり合ってるのはこちらも同じ。
協力するのはこちらにも大いに利がある。
しかし気になるのは、
「兄上、それは楚の傘下に入って従えということか」
田横が鋭く尋ねる。
そこだ。その参加を促すというニュアンスが気になる。
今回のことを笠に着て、顎で使われるようなら毅然と対応しなきゃならん。
「いえ、使者の話では武信君は、あくまでも共闘を誘っているということです」
ふむ。
会った時は気位の高そうだと感じたがその辺りの配慮はあるようだ。
甥の天然毒舌とは違うな。
心内ではどう思っているかわからんがな。
現在、というかこれからは対秦の勢力の中心は楚で間違いない。
優将の多さ、兵の強さ、勢い。全てにおいて間違いなく頭一つ抜けている。
このまますんなり秦を倒してしまうのではないか、と思ってしまうが……そうはいかない。
史実では項梁は、章邯に倒されるはず。
そして章邯と直接対峙することとなっている今……。今がその時なんじゃないか?
項梁が倒れる時、斉はどう動いていたのだろう。
楚と共闘していた? それとも共闘を断り、独自に動いていた?
全然覚えがない……歴史の裏側だ。
しかし項梁が生き残れば、また違った未来があるかもしれない。
項羽と劉邦が争うことなく、楚を盟主とした国家連盟が創られるような。
楚を盟主とすることには、多少のわだかまりがあるかもしれないが、かなり現実的な案だと思う。
国家連盟の一国としてこの斉が残るというのは、決して高望みではないだろう。
となれば、項梁を助けられる可能性を高めるためにもここは協力した方がいい。
「盟友としてというなら問題なかろう。互いに益のある話だと思うぞ」
蒙恬が理由は違えど、俺と答えを共にする言を田栄に提する。
腕を覆う副え木はなく、自然に腕を組み替えるその姿を見て安心する。
腕の怪我はもうすっかりいいようだ。
「私もそう思います」
それに乗っかり、俺も賛同する。
だが、田栄は首を振った。
「問題はあるのです」
田栄は意外な一言を放つと、少し痩せた端正な顔を険しく歪めた。
「横と中が得た情報を、先日送った楚への使者が確認しました。楚王の下に田安達がいるようです」
そうか、あいつらが楚にいるんだった……。
「なに?! あやつら、どこへ逃げたかと思えば……」
蒙恬が驚きの声を上げる。
先代斉王、田儋が魏の救援で戦死した混乱を突き、臨淄を奪おうと襲撃してきた田安、田都達。
留守を守る蒙恬達のお陰で事なきを得た。
本人は田安達を倒しきれなかったのを悔やんでいるようだが、臨淄を守りきり少数とはいえ東阿への援軍を送ってくれたことは、俺達の光明となった。
蒙恬の大きな功績だ。
田安達が楚王の下へいるという情報は、亢父で劉邦からもたらされ、俺達が東阿へ戻った時、田栄に報告していた。
臨淄に戻った田栄は、すぐに使者を送ったのは奴らの所在確認のためもあるのだろう。
「奴らが楚にいる限り、楚と手を結ぶことはできません」
蒙琳さんの誘拐の件もあるし、俺も奴らを許す気はないが、国と国との関係に私事を持ち込むべきではない。
だが田氏にとっては王一族の争い。国に関わる大事である。
大事ではあるんだが……。
「田安達の件と西行の件、引き離して考える訳にはいきませんか? その、奴らを匿っているのは楚王であり、共闘を呼び掛けているのは武信君ですから……」
遠慮がちに田栄に聞いてみた。
その話は置いといてって訳にはいかないのか?
秦へ共同であたるという実利を取るべきだと思うが……。
田栄は俺の問いを強く嗜めるような口調で応える。
「田安達は曲がりなりにも王一族。それは斉という国の根幹に関わること。これを無視する訳にはいきません。政敵を匿う国と手を結べば、楚に頭を垂れたと他国からも侮られます」
……そこまでのことなのか。
確かに古来から中国人は面子を大事にすると義兄も言っていたが、俺はその辺の機微が未だにしっかり理解できていないのだろうか?
「兄上、現在の情勢では中の言うことも一理あると思う。先ずは秦を打ち倒すことが最優先では」
田横は柔軟に考えているようで、俺の意見を援護してくれた。
咸陽での出来事やその後の経験が活きて、いや田横は彭越の義賊に参加したり、元々柔軟か。
そんな田横の言葉を田栄は手で制し、しっかりと弟を見据え、応えた。
「右手で手を結び、左手で争うようなことはできません。奴らの首が届けられぬなら、こちらも兵を送ることはできません」
この強い正義感、誠実性。
早くに両親を亡くした田栄は家長として、また狄の田氏の補助など若い時から重責を担ってきた。
他にも、豪快で奔放な弟の養育とかな。
それが田栄を創ったのだろう。
そして田儋の死、田市の補佐など斉の政治の中枢として、今まで以上に重くのし掛かる使命が田栄の心を硬くしているようにも思う。
しかし、融通の効かない田栄に、もどかしさを感じながらも、誇り高い彼を眩しくも思う。
田横も同じ気持ちなのか、俺に向かって苦笑混じりで微かに首を振る。
ここは退けってことだ。
うーん……田安達をどうするのか、今は楚の対応に期待するしかないか。
劉邦の言っていた楚王の旧王族としての仲間意識というのが気にかかるが、軍事を一手に担う項梁の意向がこの返答を左右することになるだろう。
項梁は斉の協力が必要なはずだが、こちらも助けられた借りがある。
斉の力と、田安達の身柄と救援の貸し。
この天秤はどちらが重いのか。斉の戦力の方と信じたいが……。
いずれにせよ、どこか落とし所を探ってなんとか楚と手を組む方向に持っていきたい。
とりあえず、今は田横の指示通り退却だな。
俺は頭を下げ、これ以上の発言を避ける。
しかし、この件が頭から離れることはなく、もやもやするような、焦れったいような鬱々とした気持ちを抱えたまま、長い会議は終わりを迎えた。