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8話

 (はい)県の東、泗水(しすい)のある酒家。

 昼間にも関わらず若者が(たむろ)している。

 皆、一見して堅気には見えない。

 うだつの上がらない者達ばかりだ。


 そこに、その場には似合わぬ生真面目そうな男が、眉を吊り上げ、赤い顔をして怒鳴りこんできた。


亭長(ていちょう)(りゅう)亭長はおらぬか!?」


 全く違う理由で赤い顔をした者がニヤニヤと笑いながら大きな声でからかう。


「これは蕭何(しょうか)殿、蕭何殿も酒ですか?」


 蕭何と呼ばれた男は額に青筋を立てて、酔っぱらいよりも更に大きな声で怒鳴る。


「ふざけた事を申すな!昼間から酒に浸りおって!劉邦(りゅうほう)が来ておろう、何処だ?!」



「そんな大きな声を出さんでも此処にいるよ、蕭何殿」


 酔っぱらい達の中心にその男はいた。


 身体は大きくない。

 しかし、面長な顔に、高く伸びた鼻、ギョロリと大きな目、そして豊かな髭と眉が、龍を思わせる迫力がある。



「劉邦!こんな所で何をしている!仕事はどうした!?」


 蕭何はこの大物然とした男に怒りをぶつける。


「亭長の仕事は治安維持だろう?だからこうして、罪を犯しそうな奴らを監視しているのだよ。」


 劉邦がそういうとドッと笑いが起こった。


「そりゃないですよ、劉の旦那!俺らみたいな善良な民をつかまえて!」


 酔っぱらいの一人が言う。


 それを聞いた蕭何は額の血管が更に浮き出る。


「何が監視だ!昼間から酒を呑む役人がどこにおる!それに亭長の仕事には宿場の管理もある!」


 劉邦は、蕭何の怒鳴り声に五月蝿そうに耳の穴をほじり、わざとらしく真剣な表情を作り、口に手を当て囁く。


「酒家に来て酒を呑まんと怪しまれるだろう。擬装だよ、擬装。

 それに宿場の管理は(えい)にやらせているよ」


「くぅぅ!屁理屈ばかりを並べおって!

 私や曹参(そうさん)が苦労して県令に推挙したのに…。首になっても知らぬぞ!

 それと夏候嬰(かこうえい)はお主の手下ではない!県の厩舎(きゅうしゃ)係だ!勝手に使うな!」


 劉邦は、これだけ蕭何に怒鳴られても堪える様子もなく、今度は心配そうな顔をして、


「蕭何殿、頭の血管が切れますぜ」


 また酒場がドッと沸いた。

 蕭何は頭に血が上りすぎて、気が遠くなりそうだ。


 劉邦は苦笑いを浮かべた後、今までの芝居がかった表情を消した。


「まぁまぁ、落ち着きなよ。蕭何殿、あんたには恩があるし、いいやつだ。

 だから言っておくがここだけの話、この国はもうダメだ」


「何?」


 劉邦は自分の前にある杯に酒を注ぎ始め、


「法で縛られた民が耐えきれず賊になる。

 賊が民を襲い、税が払えなくなる。

 税を払えぬ民が法を恐れて、また賊になる」



 杯が満たされていき、やがて溢れた。




「賊が溢れる」




 劉邦のただならぬ迫力に押されながらも、蕭何は反論する。


「それを鎮圧するのが我ら役人の」


 蕭何の言葉を龍のような男が遮る。


「民の全てが賊になってもかい?

 まぁ全ては言い過ぎだが、大半の民が賊の側に立てば、それはもう賊ではないよ」


 溢れた杯を口へ運び、飲み干す。


「蕭何殿はそうなった時、どちらの側に立つ?民か?秦という国か?」


「…。」


 蕭何は答えられない。


 劉邦はその様子を見て、微笑し雰囲気を和らげた。


「そこで迷うところが真面目で、しかし民を想う蕭何殿の美徳よな」



 蕭何は急に誉められ、今度は怒りではなく顔を赤く染めた。


 からかうだけからかって、最後には誉める。

 外見も相まって、皆劉邦の魅力にやられてしまう。


「まぁ、俺も時が来たらどうするかねぇ」


 この人たらしが皇帝まで登り詰めることになるが、今はまだ沛県の小役人である。



 ~~~~~


 江南地方、会稽(かいけい)郡の呉。

 ここに旧楚の民にとって特別な人物がいる。

 秦が中華統一を目指して領土を拡大していた頃、その秦を苦しめた楚の大将軍、項燕(こうえん)の子、項梁である。


 今、項梁は自室の机に向かい、竹簡に何か書き付けている。


「叔父上」


 そこへ一人の若者が入ってきた。

 堂々たる体躯に、長い手足、艶のある黒髪と同じ色のつり上がった太い眉、そしてその目は虎の様に鋭い。


 項梁の甥、項羽である。


「また賦役の手配ですか?」


 書き物が終わり、竹簡に目を通している項梁に問う。


「うむ。今度は陵墓と宮殿らしい」


 項羽は鋭い目を更に鋭くし、


「叔父上、いつまで郷の長老のような事をしている!ここには項燕将軍の子である叔父上を慕う者が多くいる。叔父上がひとたび立てば数千の兵が集まる!」


 項羽の怒気と猛獣の咆哮の様なその声は、それだけで人が殺せそうな迫力だったが、項梁はさして気にも留めず、竹簡に目を落としたままだ。


「まだその時ではない」


「何を悠長な!叔父上は祖父項燕将軍の、楚の怨みは忘れてしまったのか!」



 旧楚の王、懐王は秦に騙され続け、最後には監禁され、そのまま死んでしまった。

 この事で旧楚の民は秦を深く怨んでいる。



「忘れるわけがない」


「しかしやっているのは賦役の手配や葬式の仕切りばかりではないか!」


 項梁は顔を上げ、項羽を見据えた。


「っ」


 項羽は自分より遥かに小さなこの叔父に怯んだ。


 大将軍の子として楚の滅亡を目の当たりにし、一時は投獄され死罪となる所を助命された。

 その後、人を切り、仇持ちとなりここ呉に隠伏している。

 項羽とは潜ってきた修羅場が違う。


「お前の様に堪え性のない者達が、反乱を起こしている。今、それは小さな乱ばかりだ。

 しかし、そのうち一地方では終らん大きな乱が起こるとみている。その乱に乗り、秦を倒し楚を再び興す。

 秦を倒すには兵の数だけ多くても勝てん。纏める者も多くいる。

 こうして顔役をしていれば人材の情報が手に入る」


「そうでしたか」


 項羽は期待に満ちた声で謝辞を表す。


 項梁はそれに頷き、血気盛んな甥を諭す。


「羽よ、わしには子がいない。お前が家督を継ぐ事になるだろう。

 お前は直情過ぎる。物事を深く考え、本質を見極めよ。

 剣は力まかせ、書も名が書ける程度、兵法も中途半端。

 いつか手痛い失敗をするぞ。

 始皇帝に取って代わりたいなら、全てを学ばねばならんぞ」


 項羽はきまりが悪そうに聞いていたが、すぐ開き直り、


「剣なら学ばずとも誰にも負けたことはありません。他の事も部下に任せればいいでしょう。始皇帝も万事自ら行っているわけではない。

 私が項家を継ぐ頃には多くの者達が従っているはずです」



 その任せられる部下を見極めるために学べ。と言いたかったが無駄の様である。


 項梁はこの若い虎の将来を憂い、ため息をついた。




 龍と虎はまだ雌伏の時である。


用語説明

亭長 (ていちょう)

治安維持・旅客管理・民事処理を行う役職。下級役人。


 

更新について活動報告に書いております。

読んでいただければありがたいです。

完結目指して頑張りますのでよろしくお願いいたします。

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