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122話

「第12回日本タイトルだけ大賞」にて本作が、個人賞「山田真哉賞」を頂きました。

ありがとうございます。

 東阿の城門を抜け、城へと向かう。


 その道すがらに見える兵や民の様子は、ここを出る時とは大違いだ。

 重苦しい雰囲気から解放され、道行く俺達への感謝の声と歓声の雨が降り注ぐ。


 こそばゆさを感じながらも、やはりこうして笑顔で迎えられるのは気分がいい。


 頬を緩ませる俺は、やはり笑顔の田横と目が合う。


「手でも振り返したらどうだ、英雄殿」


「それはあなたの役目でしょう、英雄殿」


 今くらいは喜びに浸ってもいいだろう。

 いつもの軽口はさらに軽く、互いにニヤリと笑う。


 門で待機している田解達も今頃仲間に囲まれて、胸を張っているだろう。


 いいな、こういうの。

 本当によかった。


 ◇


 城で暫らく休憩した後、俺達は再び集まり今後について話し合う。


「四散した秦軍はこの周辺に再集結するかもしれぬ。そうなる前、小さな集団の内に各個討伐しておかねばならん」


 田横の懸念に、まだ赤い目の龍且が応える。


「南については帰還しながら私が掃討いたしましょう」


 田兄弟の絆に感動したのか、とても協力的である。


「それは助かる。兄上は一刻も早く臨淄へ戻り、太子へ即位を告げねばならん」


 田市(でんふつ)が王か……。


 これからは若い田市を宰相である田栄が、全面的に支える形となる。


 若いだけでなく性格的にもちょっと弱いところがある田市では、田栄に掛かる負担はさらに大きくなる。


「そうですね」


 自身もそれを憂慮しているのか、田栄は言葉少なに頷く。


 龍且のいる手前、その辺りの不安要素を表に出すわけにはいかんよな。


「龍且将軍が南を担当してくれるならば、俺達は北と西へ逃げた秦兵を追い散らそう」


 田栄に頷き返した田横は、俺を見ながら言う。


 俺もか。

 また戦いになったら、御者させられんのかな……。

 いや、ここには田突(でんとつ)がいるじゃん! 交代だな、交代。


「兄上には御者と護衛として突を付けよう。東に潜んだ敵は居らぬと思うが、突の馬捌きなら万が一も回避できよう」


 ……そっすか。


 まぁ、裏をかいて斉国内部に逃げた秦兵はいないとは限らない。


 一族きっての御車、乗馬技術を持ち、戦闘もできる田突なら現在斉の最重要人物である田栄の護衛にぴったりだ。


 仕方がない、武器を取って戦えと言われないだけマシだ。

 ……俺を御者とするのは田横なりの気遣いだろう。


「俺達も太子の戴冠に間に合うよう、一回りすれば急ぎ臨淄へ戻る」


 俺はそう続ける田横に頷いた。


 なかなか臨淄に戻れんが、この後始末が終われば帰れるはず。


 そしたら蒙琳さんと結婚か……。


 ……。

 …………。

 グフッ…………いかん、頬が弛む。


 慌てて顔を引き締める俺に、田兄弟が小さくため息を吐く。


 見られてた。



 咳払いをした田栄は龍且に向かって畏まり、謝意を伝える。


「龍且殿、此度のこと誠に感謝いたします。楚へは臨淄へ戻り次第、正式に使者を送ります。その旨、楚王と武信君にお伝え願います」


 龍且は胸を張り、その謝意の言葉に応える。


「承った。田兄弟の絆の強さ、斉の団結力は共に秦を討つに値すると武信君に伝えよう」


 拱手し、部屋を辞する龍且の姿を見送りながら、俺はこの辛く厳しい籠城が終わったことを改めて感じ、深く安堵の息を吐いた。



 ◇◇◇



 ここは咸陽の宮中。


 二世皇帝から全幅の信頼を受ける趙高の元へ、使者が訪れていた。



 快進撃を続けていた章邯が楚の項梁という男に敗けたという。


 この悲報を主上に、と青い顔で使者は趙高を急かす。


 あの常勝であった章邯が敗れたのである。

 援軍を送るなり徴兵するなり何か対処を仰がねばならない。


 しかし、


「敗けたといっても一局での敗退。王離(おうり)将軍が趙に居り、魏へ戻れば章邯将軍の軍もまだまだ健在である。いらぬ心配で主上の御心を惑わせてはならぬ」


 そう趙高は甲高く濁った声で叱りつけ、使者を下がらせた。


 ――むしろ私にとっては吉報である。


 趙高は心の内でほくそ笑む。


 ――秦に英雄はいらぬ。

 ――一人が特出するような事態は避けねばならぬ。



 もちろん趙高自身を除いての話だ。


 趙高の意向は今や、二世皇帝の口から発せられ、二世皇帝の意向ということになっている。



 ――この敗戦で章邯を盛り立てようとする者達の声が小さくなったのは善い機会である。

 ――この機に、はっきりと秦の権を表からも掌握しておくこととしよう。


 そして。




 ――この命尽きるまでこの国を掻き乱そうぞ。


 ◇


 自身に従わぬ公官達に無実の罪を着せて処刑してきた趙高は、遂に最高位の三公に手をかけ始める。


 ――先ずは李斯(りし)からだ。



 あの帝位継承における密事への後悔か、それとも恐れか、今や急速に老いた李斯は邸宅に籠りがちである。


 だが、先代の頃からの左丞相(さじょうしょう)であり、数々の政敵の追い落としてきたその弁知は侮れない。


 そう警戒する趙高は李斯の邸宅を訪ねた。


 趙高を内心恐れてはいても会わぬ訳にはいかぬ李斯は、この宦官を迎え入れその言を聞く。


「国を荒らす群盗が蔓延(はびこ)るこの難事の最中、主上は阿房宮(あぼうきゅう)の造宮に徴用を増やし、また遊興に(ふけ)り無用の財を浪費しております」


「……それは嘆かわしきこと」


 趙高は頷き、悲しげに袖で顔を覆う。


「真に真に……。私がお諌めしようにも、主上は(いや)しいの宦官の言葉など、聞く耳を持っては下さらぬ……」


 耳障りな声が口元を隠した袖の向こうから、聞こえてくる。



 ――皇帝即位に画策し、奔走した趙高の言葉を聞かぬということがあるのか。


 李斯はその趙高の嘆きを訝しんだ。

 それを察したように趙高は言葉を続ける。


「天位に()き、枷のなくなった二世皇帝は……こう言ってはなんですが、慢心なされておられます」


「うむ……」


 李斯は思わず口を噤む。


 あり得ぬ話ではない。

 二世皇帝の性情はよく言えば純粋であり、悪く言えば軽易(けいい)である。


 思考に沈む李斯に、趙高が袖から覗く顔を深く下げた。


「この賎しい小職の諫言(かんげん)は聞かずとも、先代からの信頼厚く、人臣最高位である丞相殿の御言葉であるならば主上も耳を傾けましょう」


 あの趙高に頭を下げられ嘆願された李斯は困惑しながらも、取り繕うように首を振る。


「お諫めしようにも主上は宮中の奥深く。お主でなければ拝謁(はいえつ)することも叶わぬ」



 現在、二世皇帝への謁見どころか上奏(じょうそう)も、趙高を通さねばできぬようになっている。


「臣下にみだりに姿を見せてはなりませぬ。先代もご自身を真人(しんじん)とし、宮中の奥へお隠れになりました。皇帝とは神聖であり、神秘であればこそ人臣を従える威容が備わりましょう。主上が関わるまでもない諸事は、この小職にお任せください」


 そう二世皇帝に吹き込み、趙高に都合の悪い案件を握り潰しているのである。



「確かに拝謁は主上のご意向次第。しかし書であれば、この卑しい小職(しょうしょく)でも主上へお届けすることくらいはできましょう」


 自身が二世皇帝との謁見を阻んでいることなど素知らぬ態度をとり、趙高は下げた頭の前で拱手した。


「章邯将軍が敗れたことはお聞きなられたでしょう。今、お諫めせねば国が滅びまする。どうか上書(じょうしょ)していただきたく……」


「ううむ……」


 ――この宦官の思惑は読めぬがそれを抜きにしても、現在のこの苦境にあって主上の遊興をお諫めせねばならぬのは確かか……。


 深く下げる趙高の頭を見詰め、李斯は唸る。


 頭上から降り注ぐ李斯のその唸り声を聞き、床を向いて隠れている趙高の顔には裂けたような口元に笑みが浮かんだ。

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