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120話

 戦いの波の中へ再び潜る。


 陣を割られ細かく分断された秦軍は、蜘蛛が足掻いて手足を振り回しているようにあらゆる方向へ伸びていく。


 その足掻きすら許さぬとばかりに楚軍は指揮の届かぬ秦兵を散らせる。



「あそこだ! あの集団が指揮官だ!」


 砂塵の舞う中、田横の指した方向にやや大きな集団が見えた。

 戦車を守るように半円に陣を組み、(げき)を振りながらジリジリと退いている。


「龍且殿!」


 田横は大声で隣を走る龍且を呼び、空に掲げた戟を集団へ指し示した。

 龍且は、その戟の先を認めるとこちらを向いて頷く。


「行くぞ!」


 並走する二台の戦車。


 龍且も戟を集団に定めると、龍且の騎馬隊が二人の戟を追い越す。


 龍且の戟を通して、意思が伝わっている。

 よく訓練された騎馬隊に感心してしまう。


 騎馬隊が円の守りを剥ぎ取るように駆け抜け、中心の戦車が露わになった。


「中、突き進め!」


「う、うぉいやぁ!」


 田横の掛け声に裏返った気合いの言葉で応え、敵の指揮官目掛けて突っ込む。


 交錯する戦車。


「おう!」


 田横の戟が御者を吹き飛ばし、指揮官の戦車が横転する。


 投げ出された指揮官は体勢を立て直す暇もなく、続く龍且の戟が駆け抜け、その首は空を舞った。


「龍且殿、お見事!」


 ◇


「お前達の将は討たれた! さぁ、()められたくなくば逃げろ!」


 龍且の戟に首が掲げられ、脅迫の怒声が響き渡る。


 エグいが一目瞭然の効果であり、その言葉も楚軍の襄城(じょうじょう)での行いを知っている者にはただの脅しではない。

 龍且は項羽の悪名を上手く使っている。



 頭を失い、霧散する秦軍。

 龍且の言葉は楚兵全体に拡がり、戦場のあちらこちらで繰り返される。


 武器のぶつかり合う音、敵味方入り混じっていた怒声が次第に味方の勝鬨に変わっていく。



 やがて戦場が落ち着きだした頃、追撃をかけようと龍且は配下を集めていた。


「追撃は不要」


 いつの間にか現れた項羽が追撃を止める。


「龍且と田横将軍は休息の後、東阿城に向かわれよ。迎撃の軍が討たれ動揺する今が好機。内外から一斉に攻め、城を解放せられよ」


「項羽将軍は」


 田横が訊ねる。


「私と劉邦殿はここから軍を返し、叔父上の元へ向かう。大魚が釣れているかもしれん」


 ……章邯か。

 釣れていなくても兵数が心許ない項梁と合流した方がいいか。

 いや、東阿の秦軍が討たれたことを喧伝し、動揺する章邯軍に攻め込むつもりか。


 どちらにしても。



 常軌を逸する体力と機動力、恐れを知らない精神力、指揮の巧みさ。



 この楚軍は普通じゃない。



 ……。

 …………。

 いつか、この……。

 項羽率いるこの楚軍と戦わなきゃならない時が来るのだろうか……。



 短い休息を終え、俺達は東阿城を目指す。


「これで兄上たちを救える。中、なかなかの御車だったぞ。どうした?」


 未来の強大な敵を想い、大勝の喜びに浸れずにいる俺を田横は訝しむ。



 今、尋ねるべきではないかもしれんが……。


「楚軍の強さ……あれが敵になった時、俺達は対抗できるでしょうか」


 俺は思わず尋ねた。

 周りの楚軍に聞かれぬよう声を落としたが、気持ちが焦ってか思いの外大きな声になった気がしてドキリとする。


 田横は俺の言葉に真剣な眼差しを寄せ、


「確かに並はずれた強さだが、今は頼りになる援軍だ。この勝利は彼らのお陰だ」


 俺が頭を下げると、田横は顔を寄せて低く呟く。


「申し訳ありません。水を差すようなことを」


「俺もそれを考えていないわけではないさ。並はずれていようとも人は人。戦い様はある」


 田横の小声に俺は驚き、見返す。


「と思う。実際に戦わんことにはわからんがな。それより今は兄上たちだ。彼らにはもうひと働き、頼るとしよう」


 ニヒルに片頬を上げた表情が何とも似合う。


 そうだな……。

 いつかは争わねばならないかもしれないが、それは今じゃない。


 それに争わずにすむ未来もあるかもしれない。

 このまま友好的な関係を続けられるよう、なんとかしたいな。



 ◇◇◇



 私と劉邦殿は東阿の秦軍を打ち倒した後反転し、行きと同じ速度で戻っている。


 もうすぐ章邯の背中を捉えることができる。


 流石にもう気付かれているだろうが、章邯は退くだろうかそれとも戦うだろうか。


 交戦を選ぶならば、決死の覚悟で南の叔父上の軍に突っ込み活路を開くだろう。

 叔父上には伝令を飛ばし警戒を促した。


 守りに徹し、少しの時を稼いで下さればそれこそ我らの餌食。

 背後から襲い壊滅に追い込み、章邯の首は我が(げき)の上に乗るだろう。


 西に退いても、我らの速度ならその尾を踏むことができる。

 秦兵には、項羽の名を聞けば逃げ出すようになるほどの悪夢をくれてやる。



 それにしても。


 田横将軍率いる斉兵には少し驚いた。

 祖国のためとはいえ、我ら楚軍でも辛い高速の行軍に耐え、数に勝る秦軍相手によく戦った。


 田横将軍を中心に一丸となったあの結束力、無視できるものではない。


 将軍はあの田中という貧弱な男に御者を任せていたが、戦馬車の扱いは上手かった。


 意外である。

 頭だけの口煩い男かと思ったが、なかなか度胸もあるようだ。


 そういえば、反論を許さぬ口調で私に意見してきたな。

 ああいう范増(はんぞう)翁のように厳しい正論の中に優しさを含ませる物言いは(いか)るに怒れん。


 苦手……かもしれん。



 東阿の秦軍を破った後、彼等とは別れ龍且(りょうしょ)と共に東阿城へ向かわせた。

 城を囲む残りの秦兵も、内外から攻めれば蜘蛛の子を散らすように逃げ出すだろう。


 これで斉も政の中枢が動きを取り戻し、斉王を(うしな)った混乱から回復へ向かうだろう。


 斉王といえば盱眙(くい)に旧王族を、こちらに断りもなく独断で楚王が保護したと耳にしたが、王はどういうつもりなのか?


 叔父上が何も仰らないということは、捨て置いてよいとの考えか。それとも手札として置いておくつもりで黙っているのか。


 近頃、盱眙の旧貴族どもが宋義(そうぎ)を中心に独自に動いている節がある。


 叔父上は軍権を犯さぬ限り放っておくと言ってはいるが、恩を忘れ我らを蔑ろにするようなことになれば、私が……。



 私の眉がつり上がり機嫌が悪いと勘違いしたのか、青い顔の伝令が遠慮がちに報告を伝えてきた。


 どうやら奴等は陣を纏め直し、西への撤退を選んだようだ。


 秦軍の肝、章邯を生かすならそれが順当だろう。


 我が兵達の疲労も極限だ。

 素早く追い、素早く倒す。


 我が弓は逃げる章邯の胸に届くか、否か。


「章邯は今や逃げる鹿だ。我らは虎狼の如く、それを追うぞ」

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