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119話

12月になりました。年内にはコミカライズも始動します。

よろしくお願いいたします。

 東阿を囲む秦兵への攻撃を控え、田横は二千の斉兵の前に立った。


「皆、聞け。これより我らは龍且将軍と共に先陣として秦軍を攻める」


 兵達は静かだ。


 それは疲れからか、それとも恐れからか。

 彼らの長田解(でんかい)の表情も固い。


「国を担い、国を守る人々が東阿に閉じ込められている。東阿が抜かれれば臨淄(りんし)に残る戦力では秦軍に抗うことはできぬだろう」


 そんな俯く彼らをゆっくりと見回し、田横は語り始めた。

 低く心地好い声が響く。


「秦の支配の鎖を断ち切り、斉の国を再び立てた斉王は友国を救おうと()を抱きながら討たれた」


 田横の眼差しに一瞬影が差すがすぐに表情を和らげ、話を続ける。


「俺はそんな斉王を、従兄を誇りに思う。そしてその義の行いがこの援軍を呼んだのだ。義が繋いだ援軍だ……我らはその援軍に全てを任せて傍観しておればよいのか」


 顔がぽつりぽつりと上がり始めた。



「我らの国なのだ。我らが国を救う英雄にならねばならん」


『英雄』の言葉が、前を向く人数を増やす。


「我らは木々を掻き分け城陽(じょうよう)を探り、土埃にまみれながら亢父(こうほ)の援軍と合流し、足が折れるほどの常外の行軍に耐え、ここにいる」


 博陽(はくよう)を出てからは満足な寝食も取れず、とにかく大変な行程だった。


「今、この時のためだ」


 田横の声に熱が帯びる。


「こうして東阿へ援軍を連れてきたということに自信を持て。そしてその苦労を共にした我らの結束は秦兵の及ぶところではない」


 今度は表情を確かめるように、顔の上がった兵達を再び見回す。


「斉王の無念を知る者達を救い、再び斉を輝かせるため。先ずは援軍と共に眼前の秦軍を蹴散らし、我ら救国の英雄となる」



 兵達は静かなままだ。

 しかしその沈黙は先ほどとは違い、田横の熱が伝播し表情の乏しかった兵達の顔を赤く染めていた。


 その想いを背に、田解が前に進み出て力強く胸の前で手を組む。



「我ら二千、英雄譚の一節に加えさせて頂きたく、将軍の剣となり盾となりましょう」



 疲れと恐れを、決意と覚悟に変えた兵達はその田解の言葉と共に、一斉に拱手した。





「さすがの求心力でしたね。皆の気力が満ちていくのが見えるようでした」


 俺は楚に借り受けた戦車で戦闘準備に入る田横に話し掛けた。


「お主の言葉を借りたからな」


 田横はホッとしたように笑った。

 兵達がやる気になって安心したようだ。


「横殿の声であったからこその言葉かと」


 俺が話してもああはいかんだろう。田横のカリスマがあって初めて活きる演説だろうな。


「ふむ。……言葉を借り、声を貸す。悪くないと思わんか」


 田横はふと気が付いたようにそう呟き、ニコリと暖かな笑顔をこちらに向けた。



 ◇◇◇



「まだ相手は整っておらぬ! 行くぞ!」


 楚軍先陣の将、龍且の掛け声に太鼓が打ちならされ、歩兵が大地を踏み鳴らす。


 騎兵や戦車も地を叩き土煙を上げて、敵陣目掛けて放たれた矢のように駆ける。



 そして、その中に俺もいた。


 田横の戦車の御者として。


 うん、場違い感が半端ない。

 あと怖い。

 スゲー怖い!


 やっぱり断ればよかった……!


 ◇


 戦闘では足手まといの俺は、どこにいるべきか思案していた。


 やっぱ生き残るには、歩兵隊の後ろの方でコソコソしてる他ないか。

 なんかそれも迷惑になりそうだが……。

 確か先陣の俺達が穴を開けて、後ろから黥布の部隊が詰めるんだよな。

 グズグズしてたら後ろから味方の馬に轢かれる気もするな……。



「中、お主が俺の御者だぞ。気を入れろよ」


 そう言って、オロオロ迷っていた俺を田横が呼び止めた。


 え?


「今、俺を除いた中ではお主が一番馬の扱いが上手い。普通の兵より遥かに御車経験は多いからな」


 確かに一般の兵よりは馬に触れる機会は多かった。

 いろんな場所を巡り、その度に馬に跨がるか馬車を御していたが……。


「しかし……」


 戦闘となれば勝手が違うだろう。


 ……俺で大丈夫なのか?

 下手を打てば、俺だけじゃなくて田横も危険に晒すことになる。


「俺は弓を引き、戟を振るわねばならん。お主の御する馬車なら癖もわかるので戦いやすい、ということもある」


 最前線ってやつですか……?


 しかし後ろでチョロチョロしてるより、田横の側で指示通り動いている方が皆の邪魔にならないかもしれん……。


 今さら己の身の安全を気にするのは情けないし嫌になるが、それでも俺は死にたくない。

 待ってくれてる人がいて、漠然としているが目標もある。



 いや……皆、それはそうか。


 兵達にも待ってる人がいて。

 この先の目標があって。

 死にたくなくて。


 それでも戦っているんだよな。

 俺だけじゃないよな。



 ――役に立てることがあるなら役立ちたい。



 そう思ってあの時、東阿から田横に付いてきたんじゃないか。

 俺の御車が他のことよりマシなら、……やるしかない。



 ……あと田横の側の方が安全かもしれんしな。



「……指示くださいよ?」


 青い顔で承諾する俺に田横は、


「おう、逐一指図してやろう。こちらの命もかかっているからな」


 と豪胆な笑顔で俺の胸を叩いた。


 ◇


 そんな訳で俺は前線真っ只中で戦車を走らせている。


 眼前に迫る秦軍から矢が放たれ、所々で悲鳴があがるが、楚軍の歩みは止まらない。逆に速度を上げて秦軍へと突き進む。


 待ち構える秦軍はまるで防波堤のように厚く固く見える。

 しかし、まだ来るはずもない楚軍が現れたことに動揺があるのか、その場に留まりこちらへ向かってくる様子はない。



「龍且軍に遅れるな! 速度を上げろ!」


 俺への指示なのか、斉兵達への指示なのか。

 田横の大声が響き渡る。


 龍且軍の太鼓に合わせ、そこに組み込まれた斉兵達も地を蹴る。




 丘を走る津波のように騎馬隊を先頭に秦軍へ衝突した。

 その波は強固に見えた堤の一部を破り、あっという間に侵食していく。


「中! 行くぞ!」


 その様子を手綱を握りしめて見ていた俺は、田横の声に我に返る。


「あの(ほころ)びへ突っ込め!」


 田横が指示すると同時に龍且軍の戦車も、その傷口を拡げるべく敵陣に飛び込んで行く。


 俺も手綱を引くが、馬は言うことを訊かない。

 慌ててもう一度力を込めて手綱を引き、馬を導く。


 馬が興奮して指示が伝わりにくいのか、それとも俺が浮き足だって力が入っていないだけか。



「くそっ……!」


 俺は誰にも聞こえないように小さく叫び、歯を食いしばって手綱を握り直した。




 秦軍を切り裂いた龍且軍の騎馬と戦車は、その陣中を駆け抜ける。

 そこへ歩兵が続き、さらに項羽と劉邦が裂かれた陣へ突撃して、混乱に陥れるはずである。



「中! 速すぎる! 龍且殿の馬車と合わせろ!」


 焦って突出しそうになる俺へ、戟を振るう田横から指示が飛ぶ。

 すれ違う敵に田横の戟が振るわれ、伝わる衝撃に手綱を弛めてしまっていた。


 また慌てて手綱に力を込める。


「くっ、すみません!」


 周りはもちろん、後ろの戦況を見る余裕がない。

 思わず謝罪する俺に、


「逐一指示を出すと言った! それにそう悪くはない! そして戦況は悪くないどころか怖いくらいの優位だ!」


 田横の大声が返ってくる。

 戦況は数で劣る楚軍が圧倒しているようだ。




「楚兵一人で秦兵三人分だ」


 と項羽は開戦前に(うそぶ)いていたが……本当に強い。


 歴史的にも項羽だけは数の優位など関係なく、少数で何倍もの兵相手に勝っていたと義兄が興奮気味に語っていたが、今それを目の当たりにしているんだな。



 陣を突き抜けた龍且軍は、大きく廻ってまた秦軍へ突撃しようとしている。


 この龍且って人物も俺の記憶にないだけで多分凄い将なんだろう。細かな指示は出さず、それでいて楚兵の激情を上手く誘導している感じだ。


「俺達も再び突っ込むぞ」


 田横の指示に俺は手綱を握った手の甲で、自分の頬を叩いた。


「はっ」


 そして改めて手綱を振った。



 これで田栄達が救われるんだ。

 もう一踏ん張りだ。

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