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116話

 進軍の具体案が決まり、皆が軍議の間から退出するのに合わせ、俺達も続く。


 早速、行軍の準備に取り掛かるため城を出ようと歩いていると、中庭が観える廊下で鋭い目をした巨躯を持つ男が待ち構えていた。

 項羽だ。


「……」


「……」


 無言で向かい合う田横と項羽。

 お、重い……。空気が重いよ。押し潰されそうだよ……。


 そんな俺の心を知ってか知らずか田横が口を開いた。


「……項羽将軍。此度の援軍、感謝する」


「本気で僅かな兵で我が前軍に加わる気か? 道案内などなくとも東阿には着ける」


 田横の謝辞を無視し、項羽は言う。


 項羽には悪意がある表情ではない。本気で心配しているようだ。


 ただ言葉とタイミングがよくない。よくないっていうか最悪だぞ。

 これでは見下しているようにしか聞こえん。


 あぁ、ほら田横のこめかみがピクリと……。


「何万もの軍勢となると通れる道も限られる。真っ直ぐ進むだけとはいくまい。なに、足手まといにはならんよ」


 田横の応えに腕を組む項羽。


「前軍に選ばれたのは楚軍の中でも精鋭中の精鋭。お主らが付いてこられるのか」


 一言多いというか一言少ないというか……。

 絶妙に(あざけ)っているように聞こえる。もう一種の才能だな。


 こめかみが盛大に脈動する田横は笑顔を作るが口の端を上げただけだ。

 目が笑ってねぇ。


「……ふっ。誰かが殴りかかってこん限りは付いていけるだろうよ」


 あぁ……言っちゃった。


「なに……?」


 田横の一言で、項羽の顔が羞恥と怒りで一気に紅く染まる。


 二人が近寄り、距離が縮まる。



「はい、待った! そこまで!」


 その分厚い胸と胸の間に、俺は飛び込むように割って入った。


「もう一度勝負するか……? 斉の熊よ」


「してやってもいいぞ……。楚の若造よ」


 揉めたら止める覚悟をしていたが嫌すぎる……。巨漢二人に挟まれて、威圧感だけで気絶しそうだ。


 俺は二人の距離を離そうと両者の胸を押す。


「勝負はなしです」


 このっ……どちらも全然動かねぇ、壁かこれ。

 城壁の隙間にでもいるのか俺。


「あの時は有耶無耶になったが今度こそ決着をつけてやる」


「有耶無耶にしたのはお主であろう」


 更に縮まる二人の距離。

 間で必死に押し返す俺。


 潰れる! 押し潰される! ペラペラになっちゃう!


 あーくそっ、田横はなんで項羽に限ってこんな喧嘩っ早いんだ。

 項羽がピンポイントで逆鱗に触れてきてんのか?

 いつもの広い器を見せろよ。マジで相性最悪かよ。



「あ、あの時は名も知らぬ同士、ただの斉人と楚人の喧嘩」


 とにかくここで争うのは駄目だ。

 俺は両側から迫る壁の隙間から、必死で声を出す。


「しかし今は互いに名も身分も知り、多くの人の目があります。そんなところで将軍同士が勝った負けたとなっては兵にも影響が出ます。それどころか国同士にも」


 漸く聞き耳を持ったのか、巨大な壁の圧力がやや緩まった。


 おし、圧死からは解放されたぞ。

 俺はふぅと安堵の息を漏らし、先ずは田横と向かい合う。


「横殿、これから東阿の救援に向かって頂くのです、その指揮官と揉めるなど善いわけないでしょう」


「いや、しかしあやつの言は……」


「項羽将軍に悪意がないことは解っているでしょう。若さ故の言葉と、いつもの度量で受け流してください」


 田横は、それは解っているが……と言葉に詰まる。

 そして俺は項羽に向き直り、


「項羽将軍、憂慮されていることは解りますがこちらも将で国の使者。言葉にお気を付け下さい。余計な揉め事となりましょう」


「それは私の責では……」


「今まではそれで揉めることは少なかったでしょう。それは周りが項羽将軍のご性格を知っているからこそ。これから中原を駆け、将軍として立場ある人々と会合する機会も増えましょう。噂や評判で将軍の強さは伝わっても、語る言葉の真意までは伝わりません」


 項羽の顔が苦く歪む。心当たりがありそうだ。


「要らぬ誤解は、楚がこれから歩む道への妨げとなります。兵ほど巧みにとは言わないまでも、言葉も操らねばならない立場におられるとご自覚ください」


「くっ、范増殿のようなことを……」


 そして俺は二人を見渡し、


「とにかくこれから肩を並べて共闘するのです。足並みが揃わねば章邯に付け入られます。負けたくなければ、お二人ともご配慮を」


「くっ……」


「ぬう……」



 二人が唸っていると、廊下の先から人の気配が近づいてきた。

 それに気づいた項羽は、俺に向かって問う。


「お主、名は」


「田中と申します」


 名を応えた俺を睨むように鋭い目を送り、それから田横へ向かって、


「田横将軍、足でまと……我らの行軍に遅れぬよう努めよ」


 そう言い残し、去っていった。



 言葉に配慮してそれかよ……。




 去っていく項羽の背中に溜息を吐いていると、近づいてきた男が声を掛けてきた。


「田横殿、田中」


 その人物は警戒する心をすり抜け、いつのまにか懐に入られているような人好きする笑顔を湛えた男、劉邦であった。


 項羽の次は劉邦か。もうお腹一杯なんだけどな……。



「今、項羽殿と揉めていたのか?」


 劉邦は面白そうに聞いてくる。


 このおっさんに知られたら、無駄に話が大きくなりそうだ。


「いえ別に。劉邦殿、楚の将になられたんですね」


 強引に話題を変える俺の言葉に苦笑を浮かべ、劉邦は鬚を撫でる。


「まぁな。漸く勝ち馬の背に乗れたってところだ」


 やや声を潜めてそう茶化す。


 このまま楚の将として骨を埋める気なのか?

 まだ項羽との確執がないからか、本気で言っているような気もするが。


 このおっさんの本心は読めん……。


「そっちも苦労しているようだな。援軍の要請に来た高陵君とかいう使者が、項羽殿や武信君へ決死の覚悟で弁を奮ったと聞いた」


 高陵君。

 あの物静かで上品な人がこんな風に言われるってことは、本当に必死で楚の援軍を取り付けてくれたんだな。


 ……次は俺も。うん、何かあったら俺もやる。必死で。


「して、その高陵君は盱眙(くい)へ?」


 田横が劉邦に問う。

 ここ亢父に高陵君の姿はない。

 東阿に戻った使者は、高陵君が(せつ)から盱眙に向かうと言っていた。


「あぁ、楚王は盱眙に居られると聞いて挨拶に行ったよ。まぁほら、形としてはあれだからな」


 劉邦が言葉を濁して語る。


 楚を復興させ、今の楚王を探しだしてその地位に付けたのは項梁だ。

 実権は項梁が握っているが、名目上の頭は楚王だ。最終的には王が決定したことになるのだろう。


 そのため高陵君は楚王の元まで向かったということか。



「お、そうだ。盱眙と言えばお前らに良くない知らせがある」


 劉邦は思い出したかのように手を叩き、ニヤリと笑う。

 良くない報を話すには不釣り合いの面白がっているような、悪そうな顔だ。


「俺達が(せつ)から出発する頃、斉の旧王族が楚王を頼って盱眙に入ったと聞いた」


「なに?!」


 田假(でんか)田安(でんあん)田都(でんと)達か!


 俺達斉の主力が東阿の籠城で動けないのを好機とみて、臨淄を急襲したが蒙恬が追い払った。


 その後のまた行方がわからなかったが、また他国に手を借りようとしてるのか……。


「楚王は受け入れたのですか?」


「武信君は何も言わなかったのか? 我らに援軍を送りながらそれを赦すのか?」


 劉邦は俺達の矢継ぎ早の詰問を手で抑え、ニヤリと片頬を上げる。


「まぁ落ち着け。やはり因縁があるようだな」


 何も言えない俺達の反応に、劉邦は満足気に頷いた。


「楚王からしてみれば旧時代の同じ王族。一昔前の尊い血を持つお仲間ってこった。武信君も他国のいざこざで楚王との関係を拗らせたくはなかろう」


 田假達は斉最後の王の血族。

 親近感を覚えて保護するのも無理はないか。


 項梁からしても面倒事でしかない。

 いや俺達に対していざという時に、囲っている方が益があるとみたのかもしれん。


「まぁまぁ、東阿を援けんことには内輪揉めもできんぜ。今は救援に集中するこった。ではな」


 劉邦は田横の肩を叩き、去っていこうと振り返った。しかし何かを思い出して、こちらを顔を向け。


「これは貸しだぜ」


 そうニヤリと憎めない笑みを残し、今度こそ離れていった。



 ……色々ややこしいことになってきた。しかし劉邦の言う通り、今は東阿の救援が最優先だ。

 田栄達を救えんことには相談もできん。



 田横は俺の肩を軽く叩き、足早に歩き始めた。


「今は東阿へ向かう準備を整えよう」


 その言葉に頷き、俺は大きな背中を追った。

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