115話
章邯への偵察を終えて、俺達が亢父に着いたのは項梁が入城して間もなくだったようだ。
これから本格的に章邯へあたるため、軍議を開くところであったらしい。
田横と俺は土埃と汗にまみれ、着の身着のままの状態だが、そのまま軍議の間に通された。
注目を集める中、ちらりと周りを囲む将達を見回す。屈強そうな将に混じって劉邦がいることに驚く。
向こうも大袈裟に驚くふりをした後、ニヤリと目で挨拶してくる。
劉邦……。
確かに史実でも項梁の配下になっていたはず。この時期にはもう項梁に付いていたのか。
しかし援軍である今は心強い。いや……心強いか?
あいつ戦い強いのか? 項羽に負けてばっかりじゃなかったっけ?
その項羽は気まずそうに田横を見ていたが、一つ咳払いをして俺達に声を掛けた。
「斉は東阿で籠城中のはず。その将軍がなぜここへ? 我らの救援を待たず東阿は落ちたか」
博陽に着いた時と同じ問いだが、やや毒を感じる。
しかし項羽には嫌味な意図はないような表情だ。気を使った言い回しができないだけだろう。
天然の毒舌家か。
本人に意識が無い分、ある意味余計に質が悪いな。
その無邪気な毒を受けた田横は表情を変えず、今は武信君を名乗る項梁に揖礼をする。
「先ずは斉の宰相田栄に代わり、この援軍に感謝を申し上げたい」
王不在の現在、政務を取り仕切る田栄の名を出し、頭を下げる田横。
それに合わせ俺も頭を下げるが、無視される形となった項羽の眉がピクリと上がるのが見えた。
いや、話し掛けるタイミングが悪いでしょうよ。先ずは代表にご挨拶だろう。
「うむ。我が楚は正義を示し、悪政を敷く秦を打ち倒さんとする者を援けるのは当然。義を持って魏を援けんと立った斉。それを楚もまた義を持って援けるであろう。して東阿は」
項梁の形式的な美辞の言葉に続き、問いが繰り返された。
「東阿は未だ秦の猛攻に耐えております。我らは章邯の動向を伝え、また共に戦うために抜け出て参った次第」
「ほう、して章邯の動きは」
「楚軍が亢父を攻めると知った章邯は城陽に向かいました。その数、五万。さらに三川郡の郡守李由に援軍を要請し、およそ二万の増員があるようです」
そう、俺達の予想は的中した。
魏国へ急行した俺達は民に紛れ、商人に扮し、山野に隠れながら情報を集めた。
そして章邯が城陽に向かうということを掴み、この亢父へ急行したのだ。
「狙いは北上する楚軍の背後に回り、東阿の包囲軍との挟撃でしょう」
田横の返答を皮切りに、場は自然と軍議へと移行した。
将がそれぞれ発言を始める。
「では先ず城陽を攻め、章邯を討てば」
「いや、東阿は未だ士気は保っているようだが、城陽を落とすまで持つとはと思えぬ。ここで東阿を見殺しにすれば、楚を見る世の目は変わってしまう」
「しかし背後を狙われたままでは動くに動けんぞ」
三々五々、様々な意見が飛び交う中、腕を組み静かに聞いていた項羽が両拳を揃えて突きだした。
議論が止まる。
静かになった場を見渡し、項羽は揃えた拳を左右に離した。
「軍を分ければよい」
項羽の言葉に意図が読めず将達は押し黙ったままだったが、項梁が項羽に問いただす。
「章邯の軍も大軍である。軍を分けてどうする」
項梁の問いに項羽は臆すこともなく語る。
「こちらも挟撃を見せて章邯を迷わせます」
離した拳を前後に置き、前の拳を進ませる。
「章邯は叔父上の背後に回ろうとするでしょう、ですので前軍は全力で東阿へ強行、叔父上は後軍からゆるりと北上する」
「前軍と後軍の間が開き過ぎれば、我らの挟撃は成り立たん」
将の一人が懸念を呈すると、
「挟撃は虚であり章邯を惑わす罠。そして前軍の速さが要となる」
項羽は、足りない言葉を身振り手振りで補いながら説明を始めた。
◇
り、理に叶っているような、無茶苦茶なような……。
しかし、項羽は強さに任せて突っ込んでいくイメージだったが、自分なりの理屈と戦略眼があるようだ。
それが感覚的なものなのか、説明は上手くないようだが。
「我が軍の速さ、強さなら可能」
説明を終えた項羽はそう言い、動かしていた腕を誇らしげにまた組み直した。
「章邯が迷わず先行軍を叩きに来たら」
「ない」
また別の将の憂慮に、項羽ははっきりと短く否定した。
「章邯は軍の心を狙う。我が楚軍の心は叔父上、武信君。端から叔父上を無視した動きはすまい」
項羽は自身の左胸を叩きながら応えた。
心というのは心臓のことか。
確かに野戦での章邯の戦い方は一直線に頭を潰して、指揮を混乱させることに重きを置いている感がある。
項梁を狙ってくる可能性はかなり高い。
「先行する軍を精鋭で揃えれば、できんこともなかろう。仮に挟まれようと包囲軍を突き抜ければよい」
一人の男が項羽に賛同する。
怖っ、なんだあの人、顔に刺青入ってる。この時代って罪を犯した罰で入れられるんだよな……。
というこうとは罪人……てか、あれは黥布ってやつか!
盗賊上がりで王にまでなった人物だよな。彭越と似たような感じか。
確かにやばい雰囲気は近い気がするが……。
俺は目が合わないよう黥布をチラ見していると、項梁の隣にいる口うるさそうな老人が見た目通り、雷のような怒り声を上げた。
「楚の要であり、身内でもある武信君の命と東阿の秦軍を天秤にかけさせようとは、真に不敬である!」
ギロリと睨まれた項羽が少し退がった。
おおう、黥布とは違う意味で怖えぇ。
「だ、だからこそ秦軍の心である章邯をも討てるやもしれぬ」
項羽がたじろぎながらも反論した。
爺さん相手に腕力に訴える訳にもいかんし、口では敵いそうにないし、苦手なのかもな。
俺は現世では、あの手の頑固爺とはわりと相性良かったな。
項梁の隣にいるとなると、後に項羽の軍師になる范増か?
話す機会があればいい関係が築けるかもしれん。
今後項羽を抑えるために役に立つかも。
今まで黙っていた項梁が爺さんを制す。
「翁よ。秦軍十万と章邯の命ならば安くはない」
項梁の言葉に范増は目を閉じ、
「……なれば、これ以上言いませぬが」
そう言って押し黙った。
その姿を見た項羽はあからさまにホッとした様子であったが、
「羽よ」
項梁の低く静かな声が響くと、精悍な顔つきに変わり一歩前に出る。
「龍且、黥布、劉邦と共に前軍を編成せよ。先陣は龍且に任せ、前軍を統括せよ」
「はっ」
項羽に続き、
鋭い眼差しの龍且、
刺青顔の黥布、
そして、普段のにやけ面を引き締めた劉邦が前に出、揃って揖礼した。
それを見て頷いた項梁は田横に向き直り、問う。
「東阿へは精鋭を急行させる。異はござらんか」
それを受け、田横は手を組み頭を下げる。
「感謝いたします」
そして頭を上げ、項梁をしっかりと見据えて言葉を続けた。
「少数ではありますが、我ら二千も前軍に加えていただきたい」
項梁は少し考えている様子だったが、
「斉国内です。道案内も要りましょう」
そう言う田横に頷いた。
「逸る気持ちもわかるが無理はせぬよう。軍の指示には従って頂く」
田横は許可を得、再び謝意を表した。
「方針は決まった。各自迅速に備えよ」
項梁のその一言で軍議は、終わりを告げた。
翁 (おう)
老人男性への敬称。ここでは范増への呼称。




