114話
この度、「日本タイトルだけ大賞」というものにノミネートされました。
なんとも拙作らしい賞があるもんだ、と思いましたが他のノミネートも非常に強敵揃いです。
ノミネート作のタイトルを読むだけでも面白いので、気になった方は下部にバナーからどうぞ。
薛から北上を始めた楚軍は、龍且の軍を先頭に、黥布そして項羽、劉邦と続き、最後尾に項梁が控える。
「ほとんど龍且殿と黥布殿で片付けちまって、我らの働き所がないですな」
城とも言えぬ小規模の邑を苛烈に攻める先陣を眺めながら、劉邦が項羽に愚痴る。
――働きを見せて目立たねば、勇将の多い楚軍で埋もれてしまうかもしれん。
小さな焦りが劉邦にはある。
「うむ、亢父までは我らの出番はないでしょうな」
一方、項羽は落ち着いている。
楚王を僭称した景駒討伐でも活躍し、襄城でその凶悪な強さを知らしめた。
身内ということ、そして残虐性を差し引いても、項梁が一番信頼する将であろう。
「しかし、意外ですな」
「何がですかな」
劉邦はそんな焦燥感を胸の内に隠し、この若い武人に語り掛ける。
「項羽殿が斉の使者の肩を持ったことです。項梁殿に随分熱心に出帥を薦めたとか」
そう言ってから劉邦はポンと手を打ち、
「あぁ、あれですか? 斉の使者に留の酒家でのことを責められましたかい?」
思わず口に出した言葉に、劉邦は嫌味だったかと内心後悔した。
しかし項羽はあれを思い出し、一瞬苦い顔をしたが直ぐに取り直し、
「いえ、あれが斉の田横と知らされ驚きはしましたが、私が使者と面談するきっかけとなったに過ぎません」
それから、ふと思い出したように劉邦へ顔を向けた。
「そういえばあの場を収めたのは、貴方だったそうですな。なんとも奇妙な縁だ」
彼なりの感謝の言葉なのだろうか、項羽は頭を僅かに下げた。
それを見た劉邦は人好きする笑顔を深めたが、その影では驚いていた。
――楚の名家の誇りもあろうに。しかも農民出の俺を見下す感じもない。
――坑にするような冷酷で短気な気性のわりに鈍感で素直なところがある。……なんとも不思議な男だ。
「ではなぜこの援軍を支持されたので」
「叔父上は文武兼備のお方ではあるが、慎重で受身な性格。悪いとは申さぬが、機を逃すことにもなりかねん。この援軍は中原に楚の名を轟かすものであり、且つ秦随一の将章邯を討つ絶好の機でありましょう」
江水を越えたのも、陳の使者を名乗る召平という戦乱の兆しがやって来たからであった。
中央から離れ、時の流れが緩やかな江南であったからこそ、その慎重さと咬み合い半ば王国のような勢力を築いた。
しかしこの激動の中原では拙速が命。考えるより先に舵を切らねば波に呑まれて沈んでしまう。
それを項羽は肌で感じている。
――降った城の処理などに煩わされている時はないのだ。
「罠にかかるのを待つよりも、大物の獲物を追って射掛ける方が儲けがよい時もある……ということですかな」
その言葉に劉邦をまじまじと見、項羽は深く頷いた。
――存外、話のわかる男だ。
項羽の視線を感じてニヤリと笑った劉邦は言を続けた。
「先ずは獲物を視野に入れるために亢父を手早く落とさねばなりませんな」
「まさに」
項羽はまた深く頷く。
◇
――自力で故郷も取り返せぬ戦下手かと思ったが、指揮は伸びやかで属将も良く働いている。
亢父を攻める中、項梁は後方から劉邦の戦ぶりを観た。
項羽のような激しさ、黥布のような力強さとも違う進退自在というような、しなやかな巧さがある。
背後に煩わしい後ろ楯もなく、黥布のように手綱を噛み千切る危さも感じない。
――使い勝手の良い男だ。
項梁は劉邦の奥に眠る龍に気付かず、そう印象づけた。
一方、劉邦は項羽麾下の兵が既に城壁を越え始めたと聞いて唖然とする。
――いくらなんでも速すぎるだろ。もしこれが敵であったなら……。
劉邦の背中に冷たい汗が流れ、体がブルリと震えた。
「小便ですかい。今は我慢して下さいよ」
その様子を見て、傍らに立つ樊噲が劉邦を見当違いに諭す。
「お前は本気で言ってんのか、冗談で言ってんのかわからん……」
毒気を抜かれた劉邦が溜息を吐く。樊噲は大きな口を豪快に開けてと笑う。
「ははっ、味方が頼もしいのは善いことだ。なに、もし敵に回っても沛公はわしが護ってみせましょうぞ。おやもう城門が開きましたぜ」
「やっぱりわかって言ってんじゃねえか」
そうぶつぶつと呟きながら、劉邦は亢父の城門へ向かい歩み始めた。
◇◇◇
亢父を難なく落とした項梁は、軍議のために主だった将に召集をかけた。
その中には劉邦の名もあり、軍議の間に向かう劉邦の耳に話し合う声が聞こえてきた。
遅れたかと劉邦は歩を速める。
「私の献策、お聞き届けて下さりませぬか」
「……わかった、検討するがお主の本分は護衛。あまり職務を侵す真似はするな」
劉邦が部屋へたどり着き、出てきた男とすれ違う。
見慣れぬ男だ。
背はすらりと高く、色は白い。眉は細く、唇も薄い。
一般的に見れば美丈夫と評されるかも知れないが、その目の印象が全てを消し去る。
――深く暗い河底のような目をしてやがる。
感情の読み取れぬ、闇夜のような瞳が劉邦を捉える。
「失礼」
男は劉邦に軽く頭を下げ、去って行った。
「劉邦か、早いな」
部屋の入口で男の背を目で追っていた劉邦に項梁が声を掛ける。
「まだ集まってはおらぬ。暫し待て」
劉邦はその声に我に返り、入室しながら問う。
「今のは」
項梁は誰何する劉邦に軽くため息を吐き、応えた。
「体躯も良く護衛の端に加えてみたが、野心があるのか分を越えて、戦略をたびたび献策してくる。職はそつなくこなすのだが」
「ほう、では策はよく採用されるので」
「いや、叶えたことはない。奴の策には心がない。此度も今から東阿を無視して全軍で西を目指せと申してきた」
「むう……」
項梁が語るその策に劉邦は唸る。
確かに東阿に目が向いている今なら、咸陽まで攻め込めるかも知れない。
しかし斉を見殺しにして秦を滅ぼしたとて、他国や民の心象は地に落ちるだろう。
「何よりあの陰気がな……。会話する者の感情も陰に染まりそうになる」
それを聞いて劉邦は思わず吹き出しそうになる。
――根暗が陰気とは、よく言うぜ。
劉邦が一つ咳払いをしたところで、楚軍が誇る勇将達が集まり始めた。
そろそろ軍議を始まろうかという時、一人の伝令の報告が待ったをかけた。
「斉の田横将軍が到着されました」