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112話

台風被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

これからが大変でしょうが、どうかお体にお気をつけ下さい。

「先程、高陵君の従者が先行して帰り着きました」


 田栄の清涼でしっかりとした声が響く。


 籠城が始まって以来、端正な顔に常に刻まれていた眉間の皺が久々になくなっている。

 悩む姿もイケメンだったが、漸く元の涼やかなイケメンぶりが見えた。


「援軍はすでに薛を発し、こちらへ向けて進軍しているようです」


 やった! 高陵君がやってくれた! 


「援軍の規模は」


 田横は喜びを抑え、田栄に冷静に問う。


 そうだ、そうだな。

 重要なのはそこだ。援軍といっても名目上程度の数なら意味がない。


 田栄はその問いにしっかりと頷き、気力の充実した表情で応えた。


「その数は楚軍と諸将の軍を合わせ、およそ十万。項梁殿自身も向かっているとのこと」


 おお! めちゃくちゃ本気の援軍じゃないか! すごいぞ高陵君! さすがの弁舌!

 ってあれ? これ俺の立場がない?

 いやいや、そんなことより皆助かることの方が大事だ。


 俺の立場なんて別に。

 ただの事務とかでもいいし、あ、でも蒙琳さん養えるだけは給料貰えたら……。


 うん、立場はいいんだ。

 ……いいんだが。




 大援軍との応えを受けた田横は手を叩き、張りのある大きな喜びの声を上げた。


「高陵君、よくやってくれた! この働きに従兄の亡魂も慰められるだろう」


 田栄は目を細め、どこか遠くを見るように頷く。


 田横に続き、華無傷もすぐにでも兵たちの元へ駆けたいような弾んだ声で言う。


「守る兵達に伝えれば、疲れが吹き飛びましょう!」


 これにも穏やかに頷いた田栄だが、その後(ほころんだ)んだ表情を引き締めた。


「楚の援軍はこれ以上ない朗報ですがこの大軍の動き、章邯が見逃すはずもありません。奴もすでにこちらへ向かっているでしょう」


 大援軍が来たとて相手は章邯。必勝というわけではない。

 田栄の言葉が皆を現実に引き戻す。



「章邯は急襲、夜襲を使う。楚の強さはこの目で見ているが奇襲を受ければ大軍でも危うい」


 田横が腕を組む。

 確かに楚軍の戦いぶりは背筋が凍るものがあった。しかしそれでも章邯の術中に嵌れば壊滅の恐れもある。


「横」


 考え込む田横に、厳しい表情に戻った田栄が呼びかける。


「実はもう一つ朗報があります。臨淄の蒙恬殿からも援軍が出されました」


 なんと! ありがたいけど田安達の備えは大丈夫なのか?


『守りに必要な数は確保しておる。お主らが倒れれば臨淄を守る意味もなくなる。少数で申し訳ないが役立ててくれ』


「蒙恬殿からそう言伝(ことづて)られ、東阿(とうあ)の東、博陽に二千が向かっています」


 爺さん……無茶しやがって。格好いいじゃねぇか!


「兄上」


 言わんとしたことが分かったのか、田横が手を合わせ田栄に向かって宣言する。


「密かに東阿を出、その二千を率いて章邯の軍を探る。そして楚軍に合流します」


「危険ですが、横以外この任を果たすことができる者はいまい。……頼みます」


 苦しそうに頼む田栄に、田横はゆったりと笑う。


「助けを待つばかりでは狄の田氏の名折れ。共に強敵にあたってこそ狄の田氏、いや新生した斉の王族でしょう」



 俺は眩しいものを見るように田横を見る。


 ……。

 …………。

 高陵君も、蒙恬も、田横も……。




『田中様、もうちっと食事の量なんとかなりませんかね』

『田中様、この籠城はいつまで……』


 兵や同僚の顔が、言葉が脳裏に浮かぶ。



 俺はこの籠城で何かしたかな……。何か役に立ってんのかな……。



 一度、天井を見上げる。



 俺は田中(たなか)だけど……。



 田中(でんちゅう)なんだよな。

 田氏の田中(でんちゅう)なんだよな。



 俺が田氏だと思っている人がいて。

 俺に期待してくれてる人がいて。


 クソっ、やっぱり立場なんかどういでもいいなんて言えないじゃないか。



「あの」


「中、なにか」


 田栄がこちらを向く。


 俺はふっと息を吐き、ありったけの勇気でその言葉を口にした。


「いや、あの。……私も横殿について行きます」



 あぁ……言った瞬間血の気が引いた。声が震えてる。早速後悔してんのか、俺。




「中、密かに博陽まで駆け、その後も少数で秦の大軍の網を潜り抜けねばならん。危険だぞ」


 いやもう、言ったからには後戻りできんぞ。

 田横の警告には返答せず、青くなった顔を自覚しながら

 、田栄に尋ねる。


「楚の援軍に項梁の甥の項羽はいますかね」


「項梁自身も出ているのですから、恐らくは」


 田栄の返答に俺は田横を指す。


「ではやはり私も行った方がいいですね。横殿と項羽は非常に相性が悪い。共に強敵にあたるどころか二人がかち合いますよ。私が間に入って手を握らせましょう」


「中」


 俺は緊張で固くなっている片頬をニヤリと上げた。

 つもりだったが、田横は俺のその顔を見て溜息を吐き、


「笑っているつもりだろうが頬が引き攣っているようにしか見えんぞ」


 そう言ってお手本を見せるようにニヤリと笑った。



「兄上、中を連れていきます」


「楚との連携、交渉にはよいかもしれませんが、戦となれば力不足では」


 はっきり言うね。確かにその通りだから反論できん。

 田栄の許可が下りなければ、仕方がないけど諦めるか……。

 うん、仕方がない。

 言ってはみたものの、まだビビッてる自分もいる。



 田横は憂慮する田栄を真っ直ぐ見据え、人を安心させる笑顔で応えた。



「中には俺に足りぬ言葉がその口にあり、俺には中に足りぬ武がこの腕にある」


 彼の視線が俺に移る。そこにはやはり、いつもの笑顔がある。


「互いに見えぬものも見える。足りぬものを補い合える。俺の相棒として不足はありませぬ」


 田横の言葉が、表情が。

 俺の胸を熱くさせる。



 あー、くそう……ビビッてるのが恥ずかしくなるじゃないか。


「どうか同行のお許しを」


 俺は深く頭を下げた。今度は声は震えなかった。



 田栄は暫く考え、田横に申し出る。


「他に従者を幾人か付けますか?」


 しかし田横は首を振り、


「人が多ければ多いほど秦軍に見つかる可能性ありましょう。なに、俺と中は二人旅に馴れております」


 そう言って笑う田横に、田栄は諦めたとばかりにため息を吐いた。


「……今夜、用水の隠し通路から出、博陽へ急行してください。その後章邯の進路を見極め、楚軍へ合流、先導を。手勢は少数です。戦闘では楚軍と連携し決して無理はしないよう」



 そして俺と田横の顔を交互に眺め、先ず俺に、


「中、横が突出せぬよう諌めなさい」


「はっ」


 そして田横に向けて苦笑し、


「横、中が逃げださぬよう励ましなさい」


「はっ」


 俺は田栄の冗談混じりの忠告につっこむ。


「今更一人では逃げませんよ。逃げる時は田横殿を引きずってでも二人で逃げますよ」


「逃げることは否定せんのだな」



 ◇◇◇



 小さな明かりを頼りに田横と進む。

 今は真夜中。

 準備を終えた俺達はこの暗い隠し通路を通り、東阿の城を離れようとしていた。


「随分恰好をつけたな」


 膝下あたりまでの水に不快さと歩きづらさに耐えながら、田横が小声で話しかけた。


「蒙恬殿や高陵君殿、兵の皆も頑張っていますしね。しかし同行を願い出た自分に驚いていますよ。自分に格好つけすぎたかな」


 俺の自嘲に田横はフッと小さく笑い、


「己に格好つけなくなれば、人はどんどん怠惰になり老いていく。己の憧れる姿に近づくために己自身に格好つけるのは悪い事ではないと思うぞ」


 田横も自分に恰好つけてんのかな。


「田横殿も?」


「そりゃそうだ。自然と英雄然と振る舞えるほど俺は人ができてはおらんよ。鮑叔牙(ほうしゅくが)や孟嘗君、他にも色々な英雄に憧れ、真似てるさ。己の心を裏切らぬためにな」



 そうか。

 そりゃそうだよな。田横だって人だもんな。

 失敗することもあったし、弱って泣くこともあった。


 小説の中の文字じゃなく、ゲームの中のキャラじゃなく。

 生きてる人だ。


 ……だからだよな。

 だから惹かれるんだろう。



「まぁ、死ぬまでこれを続けて『田横という男は格好良かった』と語り継がれれば最高だな。ははっ、格好つける甲斐があるとは思わんか」


 俺は思わず吹き出す。

 ふはっ、そんなこと思ってたのか。


「全くその通りですね。横殿は『歴史上最も格好つけた男、田横』と名を刻まれましょう」


「ふふっ、ばれねばよいのだ。ばれねば『歴史上最も格好いい男、田横』と刻まれる」


 田横も笑う。


 あんたは十分格好いい男だよ。

 俺がもし現世に帰ることができたなら、史上最高に格好いい男として宣伝しまくってやるよ。


 改めて田横という男の魅力に触れた気がする。

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