表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/169

108話

 日が落ち、城壁に群がっていた秦の兵達が引き上げていく。


 今日も東阿(とうあ)の城を守りきった。


 変わらぬ籠城の日々への嫌気と、明日にはもしかしたら城壁が崩されるかもという不安。


 そしてもうすぐ援軍が来るかという期待。


 そんな思いを胸に秘め、夜襲に備えた兵を残して田横や華無傷と城へと戻る。

 日課として短い軍議がある。


 田栄の待つ広間に向かう。

 そこにはいつもと違い、田栄と共に外との連絡役の伝令が待っていた。



 秦軍に囲まれ、外部から遮断されたように思われるこの東阿の城だが、臨淄の城と同じくその対抗策として城の水路に隠された通路があり、少し離れた外の河に繋がっている。


 田栄がこの東阿で籠城を選んだ理由の一つはこの隠し通路の存在を見つけたからのようだ。


 敵に見つかる可能性もあるので頻繁には使えないが、ここから外との連絡を取っている。


 その田栄だが、厳しい表情を見るに援軍が来たって訳じゃ無さそうだ。



 外からもたらされた情報は俺達が臨淄を出発する時、田広に警戒した危難だった。



臨淄(りんし)より伝令が届きました。臨淄が田安(でんあん)田都(でんと)達に襲撃されました」


 その凶報に俺の肌があわ立つ。


「こんな時に……我らの留守を絶好の機と見たか」


「太子は!? 皆は無事なのですか!?」


 やはり狙っていたのか……。

 次から次へと……。なんでこんな不幸が重なるんだ!?

  蒙琳(もうりん)さんは!?


 詰め寄る俺達に情報を携えてきた兵は慌てて首を振り、


「臨淄は無事です! 蒙恬(もうてん)様を中心に守りきり、邑内の内通者共々追い返したそうです!」


 その言葉に一同は一斉に胸を撫で下ろす。


 報告に寄れば臨淄に潜む田一族の内通者と共謀し、内と外から臨淄を攻めたらしい。


 一族の内通者は田角(でんかく)田間(でんかん)という兄弟。

 この兄弟達の一党は従順に従う振りをして、田安達と秘かに連携していたらしい。


 しかし、蒙琳さん誘拐から邑内の警戒を強めていた蒙恬は一速く内乱を鎮め、外からきた田都の軍に対して北方異民族相手に培った守戦で臨淄を守り通した。


 さすが蒙恬だ。

 怪我の治療で臨淄に残ってくれていて良かった。これぞ怪我の功名ってやつか。


「斉王の戦死を知り、人心が不安に揺らぐ隙を突こうとしたのでしょう」


 田儋の死は既に広まっているようで、実際に扇動された民も少なからずいたようだ。


 兵は申し訳なさそうに報告を続ける。


「反乱を鎮めたとはいえ被害は小さくなく、また未だ敵が近くに潜んでいる可能性もあり、こちらへの増援は……」


 徐々に小さくなる声に田横が応える。


「それは仕方あるまい。むしろこちらが急ぎ兵を戻さねばならぬが、現状そうもいかん。蒙恬殿達はよくやってくれた」


「臨淄が落ちれば我らの帰るところを失う。引き続き田安達を警戒し、田市様と臨淄を守るよう伝えて下さい」


 田栄も頷き、兵に伝令を伝える。


「その田市様なのですが……」


 伝令は更に、言いづらそうに田市の様子を語る。


「お父上の斉王の崩御を耳にしたところに、一部領民の裏切りと田安達の襲撃。此度のことでかなり憔悴しておられます」


 無理もないか。父親がなくなった上に、その父を慕っていたと思っていた民達が一部とはいえあっさり寝返ったんだ。


「田広様がお側で励まされてはおりますが、落ち着かれるには……時が掛かりそうです」


 田栄は顎に手を当て少し考え、田市が正式に次期斉王となることを伝えるよう命じ、


「我らが臨淄に戻れぬ以上、田市様は息子に任せるよりありません。……むしろ田広が適任かもしれません。田広に『太子を頼んだ』と伝えて下さい」


 一番近い仲であろう田広が側にいる。それだけでも救いになるだろう。

 後は田市自身が王の自覚を持ち、目覚めてくれればと期待してってところか。

 逆に追い込まれなければいいが……。


「はっ」


 伝令は短く返答し、足早に去っていった。

 これからまた隠し通路を使って臨淄へ向かうのだろう。



「臨淄も油断できぬ状態。こちらに増援ができぬとなると、いよいよ高陵君に期待するしかありません」


 田栄の言うとおり、項梁(こうりょう)からの援軍頼みになってしまった。彼が要請に応じてくれるか、全く読めないだけに不安が募る。


 しかしそんな沈んだ場に田横の活気ある声が響く。


「援軍が来ようが来まいが我らのやることは変わらぬさ。奴らが諦めるまでこの城を守る」


 ……そうだな、今さらジタバタしてもしょうがない。

 打つべき手は打ったんだ。後は寝て……は待てないが、戦って……俺は戦ってもないが、とにかく待とう。


 項羽、頼むから来てくれよ……。



 ◇◇◇



 魏が章邯に攻められ、周市が援軍の要請に奔走していた頃。


 楚王を僭称(せんしょう)した景駒(けいく)とそれを擁立した秦嘉(しんか)を討ち、その兵を吸収して一層大きくなった項梁は慎重に事を進めていた。


 胡陵(こりょう)まで進んだが、章邯の強さを試すため景駒配下であった降将、余樊君(よはんくん)朱雞石(しゅけいせき)を向かわせた。

 そして甥の項羽には、その他の秦軍の相手と兵糧の確保。また陳勝のいた陳の辺りがどうなっているのかを確かめるため、西に向かうよう命じた。



 程なく章邯軍にあたった余樊君は戦死し、朱雞石は胡陵に逃げ帰ってきたのを見た項梁は警戒を強め、更に兵を集めるため胡陵から東の(せつ)の地に引き返すことにした。



 薛で会合を開くと広く喧伝し、移動する項梁の下に得難い知嚢(ちのう)の持ち主が馳せ参じた。


 その名を范増(はんぞう)という。


 歳は七十ながら矍鑠かくしゃくとした老人で、誰であろうと遠慮のないその物言いは鋭い。


 項梁に面会するや開口一番、


「何をまごまごと迷っておられるか! 貴方が先ずやらねばならぬことはひとつ。楚王の末裔を探し出し擁立すること。それが怨敵、秦を打ち砕く最善、最速の道である」


 そして范増は強い声で楚人なら必ず知っている詩を(そらん)じた。


『楚は三戸と(いえど)も秦を(ほろぼ)すものは必ず楚ならん』


 老人とは思えぬ大きく張りのある声で語った范増は、


陳勝(ちんしょう)の失策は楚人でありながら楚王の後裔(こうえい)を立てず、自ら王を名乗ったことであった。代々続く楚の将家である貴方が正統な王を立てれば、楚の遺民はこぞって駆け付け、やがて秦に倍する兵が集まりましょう」


 そして景駒(けいく)に関しては、ただの小狡い狗盗(くとう)に過ぎぬと断じた。


 項梁はその忌憚のない言葉に内心苦笑いをしながらも、誰にも言えずにいた問題に答えを出され、背中を押されたことで信用した。

 そして現在の情勢をよく知り、兵理にも明るいこの老人を側に置いた。


 范増の説諭を受け入れた項梁は楚王の子孫を探した。


 捜索から程なく、雇われで羊の世話をしていた最後の楚王、懐王(かいおう)の孫、(しん)を探し出し、これを丁重に迎えた。



 范増の予言通り、この話を聞きつけた亡楚の遺臣が項梁の下に訪れた。


 そのうちの一人、宋義(そうぎ)は楚の将家、項家より格の高い代々令尹(れいいん)を務めた宋家の者であった。

 一族を引き連れて現れた宋義に、旧楚の貴族達はこぞって頭を垂れた。


 項梁は格の高い者が現れたことにやりずらさを感じたが、追い返す訳にもいかない。

 何より宋義は流石に名家の出身らしく、旧楚の法、官制、政に詳しく、軍事にも暗くない。

 このような人物は貴重である。


 合流するやいなや心の前に跪き、その後傍らを離れない宋義を項梁は受け入れた。



 薛に到着した項梁は、続々と集まる諸将の前に心を立たせ、


「秦によって滅ぼされた楚は真には滅んでいなかった。ここに楚の王孫が御座(おわ)し、そして楚の遺臣が集結している。今、楚は再び立ち上がり、旧怨を晴らすべく秦を滅ぼす」


 そう宣言し、楚の復活と心の楚王即位を天下に知らしめた。


 そして宋義や范増と協議し、心はかつての楚を引き継ぐ意味を込め、祖父と同じく懐王を名乗り、新たな楚の首都は薛ではなく、東海(とうかい)郡の盱眙(くい)とした。


 首都が決まれば次は官職である。

 項梁は范増と謀る。


「宋義は令尹になるためにここに来たのでしょう。そしてその取り巻きもそれを疑っておらぬ。ここで梯子を外して要らぬ(いさか)いが起こすくらいなら令尹の座を差し上げなされ」


 范増は、楚において王に次ぐ地位である令尹を小銭のように宋義に与えよと言う、その言葉に項梁は苦笑して肯首(こうしゅ)した。


 令尹は楚の政治における最高位。平時であれば大きな影響力を持つ官職であるが、混迷を極める現在では軍権を持たない令尹の力は軽い。


 更に二人は項梁が偽物の楚である張楚(ちょうそ)から授かった称号、上柱国(じょうちゅうこく)は人望ある陳嬰に任命することにした。


 そして自身は官位や役職から独立し、且つ大きな影響力を持つため侯という立場を選び、『武信君』と称して楚軍の軍権を握る総帥となった。


 その後も二人は様々な人物を様々な官職に選定し、楚を国とする体制を整えていった。




「この劉邦という男は?」


 その膨大な選定作業の中、項梁は一人の男の名を見付けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ