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107話

いつも「項羽と劉邦、あと田中」をお読み頂きありがとうございます。

この度、第3巻発売とコミカライズが決定いたしました。

詳細は活動報告にて掲げさせて頂きますが、一重に皆様のご愛顧によるものだと感謝が耐えません。

誠にありがとうございます。

どうかお楽しみに。

 飛んで来る矢を防ぐために張られた幔幕(まんまく)が城壁の上に風に棚引く。


 その間を縫うように俺と田横は歩く。


 眼下には遠く離れた場所から砂煙が上がっている。そこに秦軍の陣がある。


「およそ十万といったところか」


 田横は黒い帯のように拡がるその軍様を横目に呟く。


「攻城兵器もちらほら見えるな」


 それらを運ぶため、秦軍の到着が遅かったのだろう。

 それに章邯は魏国内の掌握のためか、未だ臨済を離れていないという。



 田横に攻城兵器について聞いてみた。

 城壁に梯子を掛ける雲梯(うんてい)や投石器。城門を破壊する巨大な槌の付いた車もあるらしい。


 俺の現代知識で何か防衛に役に立つ物が作れるかと考えたが、鉄砲などの火器が発明される以前に使われていたであろう兵器は既にあるように思う。


 正直、紀元前をなめてた。


 俺の知識が浅いというのもあるが、古代中国の発達具合は凄い。


 まだ無さそうな火炎瓶を思い付いたが、詳しく知らないし魚油や獣油じゃ火が付かず燃え広がらないだろう。

 油の精製なんかやり方知らん。


 つくづく異世界転生やタイムスリップに備えて知識を蓄えておくべきだったと思う。思うか!


 まぁそんな馬鹿な冗談は捨て置き、戦いの素人が変に意見するより今ある物でこの城を守る方がいいだろう。



 しかし……大丈夫なのか? この城。


 俺の不安そうな表情に気が付いたのか、


「あれらがあれば城が容易く落ちるという訳でもない。守る術はある。この幕も、そしてあの(しょう)もその一つだ」


 そう言って田横は、城門の前に盛られた石と土で出来た垣根(かきね)を指す。


 他にも城壁が崩れた時に使うのか土嚢や石が多く備えられた。



「墨家という変わった集団がいてな」


 墨子を祖とする諸子百家の一つで、思想集団にも関わらず守城を得意として戦国時代、各地の守城戦で活躍したらしい。


「彼らは非攻を掲げ、攻め込むことを否定したが守ることに武力を使うことは否定しなかった。土木や冶金に優れ、攻城兵器の構造、守城兵器の開発などを世に知らしめ、その守城術は未だ語り継がれるほどのものだ」


 しかし墨家の基本理念『兼愛交利(けんあいこうり)』は博愛、公平を説き、この時代の為政者には都合が悪かった。

 秦統一後、弾圧され衰退。今や技術だけが残り、その教えを守る者はいなくなったらしい。


「墨子は楚から攻められた宋の城を九度に渡って守ったらしい。俺も墨子に倣い、幾度攻められようとこの城を守りたい」



 そうだな。

 ここで秦軍を食い止める。


 臨淄にも増援の要請をしている。

 高陵君がうまく説得してくれれば項梁からも援軍が来るだろう。


 そうなれば城を囲うどころではなくなるはず。

 絶望的な籠城ではない。希望はある。


「俺も、やれることはやりますよ……!」


 俺の気合いに立ち止まり、田横に言う。

 田横はいつもの人を安心させる笑顔で応える。


「もちろんだ。お主には怪我人の治療や武器の補充、備蓄の管理などやってもらいたいことが多くある。まぁ人が足りなくなったら防衛も頼もう。大して期待はしておらんがな」


 ……そうだな。

 それぞれできることがある、か。

 俺は先ず戦うより後方支援だな。


 気負って固くなっていた肩の力を抜き、応える。


「自分の貧弱さはわかってますけど、言葉にしなくてもいいでしょう」


 俺と田横は笑い合いながら城壁から下りて、城へと向かった。


 ◇◇◇


「田横様、田中様!」


 城へたどり着くと、兵が慌てて駆け寄ってきた。俺達を探していたようだ。


 どうやら包囲する秦軍から使者が訪れたらしい。

 謁見の間に急ぎ、そこで待っていた田栄と使者を迎える。



「降伏の勧告か」


 田栄の問いに使者は頭を下げた。


「既に首領田儋は倒れました。亡き田儋の両腕である従兄弟田栄、田横の命を持って、それに従った領民の安息を約束いたします」


 この場での使者の冷静な語り口が、逆に反抗心を掻き立てる。

 一方的な、交渉とも呼べない物言いだ。ましてや二人の命など。

 それで『はい、わかりました』と言うはずがないだろう。


 田横も同じ心なのか、静かではあるが張りのある声で返答する。


「悪いがこの命、今は差し出せん。王の(かたき)章邯の首、そして咸陽(かんよう)に巣食う毒蛇を討つまではな」


 諸悪の根源、宦官(かんがん)趙高(ちょうこう)


 そう、あいつを討たないと終わらない。

 いや、あいつを討たないと始まらないのか。


 ここで諦めるわけにはいかない。



 使者は気を悪くしたようで勧告が脅迫に変わる。


「この東阿(とうあ)の落城は必至ですぞ」


 今この城には田栄の二万、俺達が率いてきた五千、それと田儋軍の敗残兵が五千程、元々の守備兵を合わせても三万強。兵力差は歴然だ。


 それでも田栄も強気で返す。


「孫子曰く、十なれば即ちこれを囲めとあるが、十万では足りておらぬ。もっと揃えてから勧告に来られよ」


「くっ、章邯将軍が戻ってくれば、たちまち……」


 使者は歯噛みをし、捨て台詞を置いて去っていった。


 ◇


「ああは言って追い返したが、援軍が確実に来るかもわからぬこの籠城。果たして希望はあるのか……」


 使者の去った後、田栄は先程の強気とは裏腹に、胸の奥にしまっていたものが思わず吐露する。

 実際に秦軍に当たった田栄には、不安の根が植え付けられたようだ。


 田栄はこの場の頭領。いや、実質斉の頭となる。

 弱気が皆に伝染すれば士気に関わる。


 俺は田栄の弱気を祓うようにパンッと手を打ち、話し始める。


「章邯不在の秦軍にこの斉の精鋭達が負ける訳がありません。章邯が率いる以前の秦軍は農民、流民の陳勝軍に負け続け、難攻不落と唱われた函谷関(かんこくかん)まで奪われたではありませんか」


 いつもの調子を心がけ、続ける。


「章邯とて奇襲を用いて王を襲った。まともにやり合えば勝てぬと思ったのでは。奇襲、奇策に備え、諦めなければ必ず高陵君殿が援軍を率いて戻って来ます」


「うむ、曇天に覆われた空もいつかは晴れる。兄上、今は耐える時だ。必ず希望の光が差す」


 田横も俺の言に乗り、田栄を励ます。


 俯く田栄はグッと拳に力を込め、


「……そうですね。私は敗戦を引きずり考えすぎのようです。横、中、私がまた弱気になるようなら今のように再び諌めて下さい」


 そう言って前を向く田栄に、俺と田横は笑顔で頷き返した。



 ◇◇◇



 今日も朝早くから太鼓が鳴り響き、雲霞(うんか)の如く秦軍が押し寄せる。


 弩から放たれた矢が交錯する中、数台の雲梯や幾多の梯子が掛けられ、城壁を登ろうとする秦兵に煮えた油や石、網等を投げて追い落とす。


 投石から射たれた人の頭程の大きさの石が壁を揺らす。

 幸いにもまだ崩れるような被害はない。


 簡易な屋根と車輪の付けられた破城槌(はじょうつい)がゆっくりと動きだし、徐々に速度を上げながら城門に迫る。


「破城槌を狙え! あれを城門に近づけるな!」


 城壁の上、田横の大きな声が響く。


 田横は弩兵への指示と共に自身も弓を引き絞り、大きな丸太の破城槌を押す秦兵に向かって矢を放つ。


 その飛来した矢に一人の秦兵が倒れた直後、破城槌に矢が降り注ぐ。


 粗末な屋根をすり抜け次々に秦兵は倒れる。


 そして方向性を失った破城槌は、城門前に盛られた(しょう)に激突して横転した。


 城壁の上から歓声が上がった。


「よくやった! しかし油断するなよ! まだまだ来るぞ!」


 流れる汗を拭おうともせず、田横は弓を射ち続けながら兵を励ます。


「おう!」


 という埃まみれの兵達の気合に満ちた返答が城壁の上で木霊した。


「矢が足りん! 補充を!」


「ここに!」


 そんな中、飛んでくる矢にビビって背中を丸めながら走り、矢筒を渡す俺。


 その後も俺は城壁をこそこそ駆け回り、補充するべき物を確認して回る。


 この時が一番怖い。



 籠城戦が始まって、何日経ったのだろうか。



 使者が訪れた翌日から秦軍の城攻めは始まった。

 繰り返される攻撃を防ぐために駆け回る日々に日にちの感覚が鈍くなってきた。


 それでも田横を先頭に兵達は士気を保ち、この東阿(とうあ)の城を堅守している。


 幸いなことにまだ俺が守戦に参加するような状況にはなっていない。


 武器の補充やその確認のために城壁に登ることはあるが、前線に立つ田横や兵達に比べれば安全な仕事をさせてもらっている。



 一度城壁に登った時、置いている石を拾って外に向かって投げてみた。

 威嚇のためと思わず投げたが、誰かに当たったかと思うと冷や汗が出た。


 当たりどころ悪かったら死んじゃうかな……。いやでも敵だしな……。

 ……都合良く怪我で退避とか、そのくらいでお願いしたい。


「誰にも当たってないぞ」


 俺の投石を見ていた田横が弓を引きながら教えてくれた。


 正直、がっかりするよりホッとした。


「しかし投げる動作が随分と滑らかではないか」


 上司にたまに早朝草野球に無理矢理連れていかれてたからな。

 丸い物を投げるという動作は洗練されてるかもな。

 十個も投げれば肩が痛くなるだろうけど。


 投石係なら役に立てるか、と思っだがよく考えたら石を投げる兵は布と紐で作られた投石紐、所謂(いわゆる)スリングを使って投げていた。


 直接投げるより遥かに飛ぶし、肩も壊さない。


 何より敵に当たるように投げる。

 俺みたいに当たったらどうしようなんか考えている時点で駄目だろう。


 ……つくづく戦闘では役に立たないなぁ、俺。


「無理はするな。嫌でも城壁に立ってもらう時が来るかもしれん。その時は覚悟を決めて何でもしてもらうからな。まぁ、今のところは大丈夫だ」


 田横はそう言って笑う。


 そう、今のところは油断はできないがそこまで切羽詰まった感じではない。

 十分に耐えられている。


 臨淄(りんし)からの援軍も、こちらに向かっているだろう。

 そうなればかなり余裕ができるように思われる。

 もうすぐ来るかな。

 そして高陵君が項梁からの援軍を引き出せれば……。



 弱々しかった希望の光が、今ははっきりと見えている気がした。


 大丈夫、皆でここから帰るんだ。




 しかしその希望の光に影を落とす、更なる苦難が俺達を待ち受けていた。

幔幕 (まんまく)

式典や軍陣で装飾と遮蔽を兼ねて張り巡らす幕。

ここでは弓矢を防ぐために張られた。


牆 (しょう)

土や石でできた垣根、壁。


兼愛交利 (けんあいこうり)

全ての人を平等公平に隔たりなく愛すべきであり、その結果互いに利を得ることになるという博愛主義的思想。

墨子は儒家の仁(家族愛、年長者への敬意)を批判した。


投石紐(とうせきひも)、スリング

基本的に石を包む布の両端に紐が付けられた投石道具。両端の紐を持って回転させ片方の紐を離して石を飛ばす。


十なれば即ちこれを~

兵法書「孫子」の一節。

敵の十倍の兵力があれば敵を包囲する、という意。

孫子は城攻めを下策とし、十倍の兵が必要だと説いた。

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