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105話

来週は諸条件により更新をお休みさせて頂くかと思います。申し訳ありませんがご了承頂けますよう、よろしくお願いいたします。


またあーてぃ様に頂いた地図の更新もいたしました。いつもありがとうございます。

 田横と俺が斉王達を追いかけ、十日ほどが立つ。


 臨淄で一日休んだとはいえ、そこからまた急行軍である。

 兵達は疲労もあるだろうが王のためと不服も言わず黙々と進む。


 それだけ田儋が慕われているということだ。



 現在、東阿(とうあ)の城邑を過ぎ、僕陽(ぼくよう)まであと少しというところ。


 斥候の一人が慌てた様子で駆け戻ってきた。


「前方から軍がこちらに向かっております! 旗や兵装から我が斉軍です!」


「まさか……」


 俺の呟きに、田横の表情が厳しくなる。

 しかし何も言わず、前方に見えてきた軍勢を眺めていた。


 ◇◇◇


「兄上!」


「横、来てくれたのか……」


 合流した俺達は田栄と再会した。


 田栄はろくに休んでいないのか、やつれ、疲れた様子で俺達を迎えた。

 土にまみれ、いつもの紳士然とした涼やかな姿はみる影もない。


「兄上、なにがあった? 従兄は……斉王は何処(いずこ)に? 」


 田横はその姿に兄を気遣いながらも斉王田儋の行方を問う。


「すまぬ、横よ。秦軍の追撃が迫っている。今は急ぎ東阿(とうあ)まで退く。詳しくは道中で話す」


 田栄は落ち窪んだ目に暗い光を宿しながら、田横に応える。


「……わかった」


 田栄の様子と言葉に大方を察した田横はそれ以上何も聞かず、軍に反転を命じた。



 ……間に合わなかったのか。


 俺は……俺の知識はまた役に立たなかった……。

 もっと早く気付いていれば……。

 これは歴史が変わった結果なのか? それとも歴史は変わっていないのか?

 それすら。


 曖昧な知識の俺には、それすらもわからない……。



「中、行こう」


「……はい」


 (たたず)んでいた俺は田横の声に促され、重い足どりで歩き出した。



 東阿までの道中、田栄はただ無言でその唇を噛み締めていた。



 ◇◇◇



 東阿に着いた俺達は城へ入り、田栄を中心に一室へ集まる。

 田栄、田横、高陵君、華無傷、そして俺。


 田栄は一度俺達を見回し、淡々と語り始めた。


「斉王は……章邯に討たれました」


 覚悟はしていたが、田栄が発した言葉に俺は地に足が着いていない感覚に襲われた。


 膝から力が抜けて倒れそうになるのをこらえ、田栄が語る言葉に耳を傾ける。


「深夜、斉王が陣を置いていた丘が囲まれ、奇襲を受けました。同時に前方からも襲撃を受け挟撃されました」


 俺は隣が気になり、様子を伺う。


「私は周市の救援は諦め、王の元へ向かい……丘の麓付近で、倒れた王の馬車と斬られた御者の遺体が」


 田横は背筋を伸ばし、田栄の言葉を聞き逃すまいと厳しい表情で耳を傾けているように見える。


「王の御遺体を探したかったのですが、我が軍も挟撃される恐れがあり、敵陣を駆け抜けました。章邯も目的を達したか、ひとまず軍を合流させるつもりだったのか。軽くいなされ、通されました」


「御遺体が見つかっていないのであれば、御生存の可能性は……」


 俺の僅かな希望に田栄は静かに首を振る。


「状況からその可能性は絶望的です。秦軍に回収されたと見るべきでしょう」


「……」


「……」


 言葉を失い、静寂に包まれる。


 おおらかで、義に溢れた大きなあの男がもうこの世にいない。


 その悲しみが、皆に重くのし掛かった。



「うっ、うっ……王が……」


 静寂に華無傷の嗚咽が響く。




 そんな中、田横は険しくつり上がった眉を下げ、柔らかな眼差しで田栄の手を取った。


「兄上。兄上の無事がせめてもの救いだ。兄上がおれば、従兄の残したこの斉は倒れぬ」



 田横の穏やかな声とその大きな掌の温かさに触れ、田栄の堪えていたものが溢れ出した。


「横……私は……王を……従兄を守れず……」


 頬を伝う涙もそのままに田栄は言葉に詰まる。


「……俺達の兄であり父であった従兄は、斉再興の父でもある。父が起てたこの国を守ることが従兄への恩を返すことになるだろう」


 田栄は涙の中、頷く。


 それに頷き返した田横は振り返り、


「ここで秦軍を食い止めたい。中、華無傷、籠城の準備を頼む。軍議をすぐにでも開きたいが、兄上、高陵君はもちろん、我らも疲労がある。一刻ほど後にまた集まってくれ」


 そこまで言って少し俯き、


「……すまぬが暫く兄上と二人にしてくれ。一刻後には、整える」


 見ているこちらが辛くなる、そんな苦笑を顔に浮かべた。



 部屋から去る俺達の背中に、悲しい獣の咆哮のような泣き声が響き渡った。



 ◇◇◇



 籠城戦のために物資を倉庫へ運び込む。その確認をしながら、俺は田儋を想う。


 田横からいきなり紹介された怪しい俺を労り、田家として迎えてくれた。

 その後も接点は少ないものの、俺が不足はあっても不自由なく暮らせていたのは一族の長であった田儋に依るところが大きかったのだと思う。


 何も恩を返せず、俺は……。



「中殿」


 華無傷から声を掛けられ、我に返った。


「そろそろ軍議の時間です。ここは部下に任せて行きましょう」


 もうそんな時間か。


 俺は確認作業の引き継ぎを済ませ、華無傷の後を追った。


 部屋に戻ると高陵君は既に来ており、田栄と田横と話し合いを始めていた。

 俺達に気付いた田横が議論を中断し、こちらに向けて話し掛ける。


「遅いぞ。すでに始まっておる」


 いつもと変わらぬ様子に見えるが、その目は赤く、声も少し枯れていた。


 ……田横は俺なんかよりよっぽど辛いはずだ。


 後悔や悲しみに暮れるのは後だよな。

 田儋のためにも、やらなきゃな………。


「ここで籠城することは決定だ。五万が相手なら一年でも耐えられる。臨淄の蒙恬殿へも援軍を要請する」


 田横がこれまでの話を掻い摘まんで説明してくれる。


「他の国から魏への援軍は来なかったのですか?」


 議論に加わる前に俺は気になっていたことを問う。


「項梁の軍が一万ほど駆けつけたようでしたが、間に合わず合流は叶いませんでした。今は章邯を遠巻きに見張っているような状況です」


 田栄が応える。

 項梁の楚は援軍を出してくれていたのか。魏の使者は景駒(けいく)の没落を知り、項梁の方へ嘆願したのだろう。機転のきく優秀な使者だ。

 しかし一万か、項梁は本気で魏を救うつもりはなかったのか? それともまずは章邯の力を測るためか。

 どちらにせよ一万では数が違い過ぎて手も出せんだろう。


「その友軍からの連絡では、章邯は一度臨済に戻ったようです」


 臨済を落としてから、本腰をいれてこちらに掛かろうということか。


「救援なき籠城では兵の士気に関わりましょう。臨淄の蒙恬殿へ援軍を頼むとしても、臨済の軍まで加われば数で圧倒されかねませぬ」


 高陵君が懸念を示す。


 となると、


「やはり現状一番兵を集めており、意気も盛んな項梁からもっと援軍を引き出すしかないと思います」


 俺が提案する。兵の精強さもこの目で見たしな。項羽が来てくれるなら章邯に対抗できると思う。


「……楚とは昔の確執がありますが、今は他に頼る勢力もありません。応じてくれるかは不明ですが」


 そうだよなぁ、一番の問題は援軍の要請に応えてくれるかどうかだ。


 田栄は田横に向かい、語る。


「項梁への使者は横、あなたに頼みたい」


 田横は兄のその頼みに首を振った。


「兄上、俺はここに残り指揮を取る。兄上が行った方がよい」


 田栄も弟の提案に首を振る。


「南へ行ったばかりでその情勢をよく知る横であれば、項梁軍の大まかな位置もわかるでしょう」


「帰ってきたばかりで、また行けというのはちと酷であろう。俺とて斉を守りたいのだ。項梁の位置は道々に聞こえてこよう」


 田栄と田横は口論をしているように聞こえるが兄弟を危険な籠城から離したい。

 互いを思いやっている。


 この兄弟は……。いや、田儋もそうだったよな。

 それが狄の田三兄弟だ。


 ここは俺が行くべきか……?

 しかし田姓とはいえ、どこの田氏か定かでないような俺じゃ項梁に軽く見られるか?

 そもそも本当は田氏じゃないしな。


 あ、いや、アイツから手繰って行けばいけるか?


 しかし……田横が行かず、俺だけってのもなぁ。

 籠城から逃げるみたいだしなぁ。

 しかし籠城は生きるか死ぬかってなるだろうし、蒙琳さんと結婚する前に死にたくない。


 死にたくはないけど、田横達とここで離れて何かあったら絶対後悔するだろう。

 うーん……。



 俺が使者に名乗り出るか悩んでいると、


「この度の使者、私めにお任せいただきたい」


 高陵君が口を開き、珍しく自薦してきた。


「宰相殿は国を離れる訳にはいかず、田横殿の将としての働きもこの籠城には必要不可欠。田中殿も弁舌絶品なれど、今回は私めに」


 そう言い、ちらりとこちらを見る。


「私とてかつての王の血胤(けついん)。使者に不足はありますまい」


 なるほど、田は田でもどこの田氏かわからんとされている俺と違い正統な田一族だ。

 高陵君なら気品もあるし、弁も立つ。

 項梁が古い血族主義の楚人であっても、無下にはされないだろう。



「ううむ……高陵君であれば交渉は不足はないか……」


 田栄は、高陵君のいつもらしからぬ熱意に圧されたのか肯定的な言葉を口にした。


「うむ。ならば項梁への使者は高陵君に任せ、我ら兄弟、共に戦うことにしましょうぞ」


 田横も仕方ないという表情でため息を吐き、どこか嬉しそうに語った。



「お任せ下さい。私の項梁へ語る言葉に斉王の亡魂の加護がありましょう。必ずや援軍を率いて戻って参ります」


高陵君は恭しく頭を下げた。

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