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102話

「項羽と劉邦、あと田中」第2巻好評発売中です。

「田横様、田中殿!」


 (きょ)へ到着した俺達を華無傷(かぶしょう)が待ちくたびれたとばかりに出迎えた。


 俺と田横は(りゅう)で従者と合流し八日目の朝、莒へとたどり着いた。

 従者へも馬を用意したかったが、すでに景駒軍の敗戦の報が届いていた留は混乱の真っ只中。

 馬商人が捕まらず、徒歩に合わせての移動を余儀なくされた。



「遅くなったな、華無傷。代役ご苦労だった」


 田横が華無傷の肩に手を置き、労る。


「随分と長い交渉だったのですね。まぁお陰で俺は軍を率いる調練を積めましたが」


 兵達の様子を見ると、明るく雰囲気が良い。かといって決して弛んでいる訳ではない、華無傷本人の色がよく出ている軍に見えた。


 やはりチャラいだけの男じゃない。

 田横もそれを承知でこの男に留守を頼んだのだろう。


「よく纏めていたようだ。急ぎ臨淄へと戻る。準備を進めよ。事情は後で話す」


「……はっ。出立だ! 臨淄へ戻るぞ! 急ぎ陣を払うぞ!」


 華無傷は田横の言葉に一瞬訝しむ顔をしたが、すぐに振り返り部下達に出立の準備を命じる。


 この辺りの切り替えの速さは、田横への信頼と本人の瞬発力だな。

 ほんといい部下で、いい上司だよな。


 俺のサラリーマン時代とは大違いだよ……。



 華無傷の指揮に依って、太陽が中天にかかる頃には準備を終え、俺達は臨淄に向かい出発した。



「しかし、その離脱した隊が田假(でんか)達だとしたら、また面倒なことになりますね。折角追い詰めたと思ったのに……」


 臨淄を目指す道中、田横から事情を聞いた華無傷から愚痴が溢れる。


「仕方ありません。相手への義理や人情を無視している分、彼方は行動の選択肢が多い。こちらの斜め上を行かれましたね」


 その愚痴に俺は相づちを打った。


「斜め上?」


「常識外ってことです。常識を踏まえた上で真っ直ぐ越えるのではなく、別方向から越えてくる」


「なるほど」


 いつもより速い行軍に、俺達は言葉少なく臨淄を目指した。


 莒から臨淄までは距離的には留から莒よりもかなり短いが、軍での移動は人も荷物も多い。

 やはり八日ほどかかり、俺達は漸く臨淄へとたどり着いた。


 ◇◇◇


「何、魏への救援!?」


 俺達を迎えたのは田市、田広、蒙恬。


 西方面の平定を終え、臨淄で待っているはずの斉王田儋(でんたん)と宰相田栄(でんえい)は居らず、魏へと向かっていた。


「はい……。私達を臨淄の守備に残し西征の軍を再編して七日ほど前に出立されました……」


 田広の憂いの帯びた声が城の一室で響く。


 魏は現在首都とした臨済(りんせい)章邯(しょうかん)に包囲され、援軍を要請をしたらしい。

 他国にも使者を派遣しているようだが、一番可能性の高いこの斉には宰相周市(しゅうふつ)自ら訪れ、救援を請うたようだ。


 そして斉王はそれを了承し、臨済を救うべく軍を出した。


「わしは腕がまだ治りきっておらぬと留守を任された。せめて田横殿が戻るまでお待ちを、と申したのだが」


 蒙恬は布で吊るのは止めていたが、未だ添え木で固定された腕を擦る。

 老いて尚その気力は衰えぬ蒙恬だが、やはり年齢のためか怪我の治りは遅くなっているという。


「臨済の救援は一刻を争うと……。そこまでしてやる義理はなかろうものを……!」


 田市は悔しげに拳で手のひらを打つ。



 その身の安全、同行出来なかった悔しさ、危険を冒してまで援ける意味。

 三者三様、想いはそれぞれのようだが残された彼らの表情は険しい。




 これは……まずい……と思う。


 確か章邯は項羽(こうう)に負けるまでは破竹の勢いで勝ち進むはず。


 ということは、ここで章邯は負けない。魏と斉が勝てないということだ。


 ……史実では、田儋、田栄、田横は三人とも王になる。



 負けるだけならまだしも、もしかしたらここで田儋は……。


「横殿!」


 俺は自分の思い浮かんだ悪い予感に焦り、田横を呼ぶ。


「うむ、急ぎ追いかけよう。田市様達はこのまま留守を頼む」


 田横は即座に頷き、援軍を追うことを決断した。


 しかし魏と斉を合わせ、俺達が追い付いても秦の兵力とはまだ開きがあるだろう。

 景駒の楚へも援軍を請いに行ったようだが、今頃景駒達は項梁によって壊滅させられているだろう。

 魏の使者が項梁へ援軍を請うような機転が利く人物だといいのだが。



「待って下さい! 私も戦えます! どうか同行のお許しを!」


 田広が進み出る。

 整った顔立ちに決意を固めたその表情は父、田栄の面影が見える。

 その若さからくる快活さと清らかさは、篤実(とくじつ)で頼りがいを感じる。


 広殿……本当にいい男になったなぁ。


「広殿」


 俺は田広の肩に触れ、その真っ直ぐな目を見て話す。


「田假達を追いきれず、新たに兵を手に入れた可能性があります。この臨淄にも憂事が残りました」


 田広はハッとして俺の顔を見る。


「怪我の癒えぬ蒙恬殿に代わり、この臨淄と太子様を守れるのは田広殿を置いて他にはいません。どうかこの臨淄をお願いいたします」


 それと、


「俺の嫁も頼みます」


 俺はそう言って田広の胸を軽く叩く。

 まだ嫁じゃないけど。


 田広は唇を噛んだがやがてフッと笑い、そして俺を恨めしそうに見た。


「やはり中殿の弁は狡い。そのようなことを言われたら残るしかないではないですか。……奥方と、この臨淄の守りはお任せください」


 大人は狡いもんだよ、広殿。


 田広の恨み節に苦笑が漏れる。


「広殿、ありがとう」


 実際もう二度と蒙琳さんを危険な目に遭わせたくないしな。田広と蒙恬がいれば安心して斉王を追える。


「よし、話は纏まったな。すぐにでも出立したいところだが、臨淄までの急行軍で兵も疲れている。このまま追いついてもまともに戦えん。兵には悪いが今日は休養を取り、明日準備でき次第の出発としよう」


 田横がそう言って手を打ち、皆がそれぞれの準備に入る。



 俺もまずは田横と、率いていた兵と臨淄の守備兵との交代、補充など再編を話し合う。

 他にも武装の補填、兵糧の手配、急ぎやることは沢山ある。


 それらを各所に伝えて……兵は休めても事務官や上官は休めねえな、これ。

 まぁ、今日に一晩はゆっくり寝れるか。


 あー、会いに行く暇はないかぁ。



「田中」


 田横と協議を終え、兵糧の確認に向かう俺の背中に声が掛かる。


「蒙恬殿」


 振り返ると、負傷や老いを感じさせぬ矍鑠(かくしゃく)とした老将、蒙恬がいた。


「田安らを捕らえることは叶わんかったか」


 ただ一人の親族、蒙琳を拐おうとした田安達。

 蒙恬は田安達に狄の田氏とはまた別の憤怒を持っているだろう。


「申し訳ありません……」


「いや、責めている訳ではない。奴らは狡猾だ。意地汚く逃れているのだろう」


「…………」


 正直、追い詰めても追い詰めても逃れる奴らには薄ら寒いものを感じる。どんなに汚かろうと最後に勝てばよい、という印象はそれこそ史実の劉邦のような……。

 元々こうなる歴史だったのか? それとも俺が、歴史が変わってきたからあんなに………。


「田中?」


 背筋に伝う冷たい汗と蒙恬の声で我に返る。


「あぁ、すみません。蒙恬殿、くれぐれも留守を頼みます。またここを狙うかもしれない」


「うむ、腕も大分良くはなってきておるし、指揮には問題ない。城を守る戦いは北で散々やってきたからな」


 蒙恬は北方で異民族侵攻から秦を守っていた将軍。城を守ることにかけては随一だ。


「お頼み申し上げます」


「王からも承っておる、任せておけ。ところで」


 頭を下げる俺に蒙恬が髭を扱きながら話題を変える。


(りん)は我が屋敷に居る。忙しいのは分かるが、会ってはやれぬか? これを逃せばまた長く臨淄を空けるだろう」


 そうなんだよなぁ。何とか時間見つけて会いたいが、明日には出発だしな。


 それに兵達も臨淄に家族が居る人は少しの時間は会えるだろうが、近隣から来ている兵達は会えずに出発することになるだろう。

 俺だけ蒙琳さんに会うのもなぁ……。


「気丈に振る舞ってはおるが、お主を想っているのだろう。淋しげに遠くを見つめることがある」


 ……。


「婚約してから何も進まぬばかりか、会えてもおらぬ。不安にもなろう」


 …………。


「す、少しの間だけ。ちょっと夜遅くなるかもしれませんが……」


 俺だって会いたいの我慢して仕事してんのに、そんなこと言われたら会いたくなるじゃん。


「かまわん。いくら遅くとも待っていよう。琳に伝えておこう」



 蒙恬と別れた俺は、久々に社畜時代の残業地獄を味わいながらも、怒涛の勢いで事務処理をこなした。


 モチベーションが大違いな分、思ったより早く終わったぜ。


 よし、蒙琳さんに会いに行こう!


 俺は屍のように転がる事務官達を跨ぎ越し、足早に城を後にした。

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