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閑話 「とある宦官の過去」

いつもお読み頂きありがとうございます。

本日、第2巻の発売を記念しまして閑話を投稿させて頂きます。

本話は今のところ本編とは関係のない内容となっております。

 俺は商家の次男だった。

 実家の商家は初代皇帝が咸陽を発展させるため、韓の首都であった新鄭(しんてい)から移住させられた。


 咸陽で父は慣れない土地ながらも、必死に商いを続けた。

 その甲斐あってか、たまに宮中の公官が取引をしてくれるほどの大店(おおだな)とは言えないもののそれなりの規模の店にまでなった。


 父は、兄に店を継がせ、俺は官吏にさせようと学をつけさせてくれた。

 俺もその期待に応えて勉学に励み、晴れて秦の官吏となった。


 その後も無難に務め、実家で鍛えた算が役に立ったのか、皇帝が初代から二世へ代わった頃出世を果たし九卿の少府(しょうふ)に仕える下官となった。

 もうこれ以上の出世は望めぬだろう。この先に進むには出自の高さがいる。


 実家が新参の商家ではここが最上位だろう。不満はない。ここまで来れたことを父と兄に感謝し、改めて礼を言いたい。


 俺は久しぶりに実家を訪ねることにした。


 俺には歳の離れた妹がいる。

 妹は身内の贔屓を抜きにしても美しく、性格も明るく、素直で働き者で、まだ幼い頃から将来是非嫁に、と訪ねる者もいた。


 久しぶり会う妹はより美しくなっているだろう。そろそろ嫁いでもおかしくない歳頃だ。


 父はどう考えているのだろう。

 どこかの高官の正妻となればよいのではないか。俺の(つて)もあるし、助力できよう。



「兄上……」


 実家で出迎えてくれた妹は、やはり美しかった。しかしその表情は曇り、戸惑い、愁眉を寄せていた。



「実は取引をしている宦官から娘を後宮に、と言われた……」


 父からそう告げられ俺は愕然とした。


 後宮! 皇帝の(しょう)に……。


 天上人の妾。果たしてそれは幸せなことなのであろうか。

 後宮には妾同士、主上の寵愛を受けるために毒や呪いが渦巻く、陰湿で熾烈な争いがあるとの噂が絶えない。


 素直で天真爛漫なこの子は寵愛どころか生き抜いていけるのか……。


 しかし、この要請は断ることはできない。皇帝は絶対であり、こちらに断るという選択肢はない。

 そんなことをすれば実家は商いができなくなるばかりか、咸陽を追い出されるだろう。


「父上、兄上、良いのです。私は後宮に入ります。もう会えぬかもしれませんが、どうかお健やかに……」


 そう言って泣く妹に、俺は掛ける言葉が見つからなかったが、一つ暗い閃きを覚え、妹の肩に手をやった。


「泣くな。会えぬことなどあるものか。この兄が側で守ってやる」


 そう言って俺は実家を飛び出し、来た道を駆け戻った。


 宮中に戻った俺は、少府章邯(しょうかん)様の居室を訪ね、そのやる気のない眼差しに向けて嘆願した。


「どうか私を後宮付きの宦官としてください」


「待て。全く事情が分からぬし、そんな権も持っていない。それに俺はお前の陰茎など切り落としたくもない」


 俺は膝を折って事情を話し、再度章邯様に嘆願する。


「なるほど……。まぁ覚悟はわかった。なんとかしよう。その代わり別の仕事もしてもらう」


「はっ、後宮に勤めることができるならなんでもいたします」


 章邯様の眠そうな目が少しだけ吊り上がる。


「宦官の動き、特に趙高の動きを定期的にこちらに知らせよ」


 間諜をしろと言うのか。

 しかも趙高様は今や二世皇帝も憚る、秦の影の支配者。

 章邯様は趙高様と争おうというのか。


「まぁ、ばれたら元も子もない。できる範囲でよい。奴もそんなに簡単に尾を出すほど愚かでもなかろうしな」

 

 ……間諜だと明るみになれば、俺の命はないだろう。


 それでも、俺は妹を守ってやると約束したのだ。


「承知いたしました」


 章邯様は一瞬こちらに悲しそうな目を向け、そして目を閉じた。


「そうか。では決まり次第連絡する。待っていろ。……司馬欣殿から丞相からの要請としてもらうか、いやしかしそれはあの蛇が警戒するか……違う伝からの方がよいか……」


 そう言って、ぶつぶつと一人言を呟き部屋を出ていった。




 その後、俺は宦官となるため陰茎をただ切られて縫われただけの手術ともいえないような施術を受けた。

 この手術の後、高熱が続き命を落とすこともよくあるらしい。俺も五日ほど高熱が出て寝たきりになり、そのまま死ぬかと思った。


 しかし徐々に熱は引き、六日目に漸く動けるようになった。


 俺は暗い自室でのそりと立ち上がった。

 差し込む僅かな光の中、乱れた着物の間から覗く自分の股間を見る。


 まだ赤く腫れている縫い目が見えた。


 在るべきものは無かった。


 着物を着替え、五日ぶりに外に出た。

 日差しが眩しく、目が開けられない。足もふらつく。股間が疼く。



 妹を守る。


 まだぼんやりとする俺の頭に在るのは、ただそれだけだった。

書籍版にも書き下ろし閑話を三話書いております。

三話とも本編を補足しており、さらに本作が楽しめるかと思います。

「項羽と劉邦、あと田中」第2巻、是非ともよろしくお願いいたします。

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