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100話

とうとう100話となりました。来週7/26には2巻の発売です。

これも一重に読んで下さる皆様のお陰です。

これからも完結目指して頑張ります。ありがとうございます。

今日中に活動報告に2巻書き下ろしと特典SSの情報も挙げようと思います。

「楚王は直系にあらず。景氏(けいし)景駒(けいく)でありました。それを補佐するのは秦嘉(しんか)を始め、陳勝(ちんしょう)の配下であった者達でした」


 (りゅう)の偵察から戻った項羽は、項梁(こうりょう)にその諜報結果を伝えていた。


「ふむ、それでその評価は」


 項梁は兵糧を割り振るため、書簡に筆を走らせながら問う。


「話を聞くに秦嘉の意思に首を縦に振るだけの飾りの王だと。そしてその秦嘉は傲慢にして、狭量(きょうりょう)。陳勝が居なくなったのを好機とみて、その遺産を掠め取ろうと旗を挙げたのでしょう。火事場の狗盗(くとう)の類いです」


「軍勢は」


「四から五万。その大半が陳勝軍から逃げてきた敗残兵かと。規律は弛く脆弱。私にお任せ頂けたなら一蹴してみせましょう」


「うむ、なかなか調べてきているではないか」


 珍しく伯父に誉められた項羽は頭を掻き、照れ臭そうに笑う。


()っ」


「どうした、怪我でも負ったのか」


 項羽は項梁の問いに、何故か慌てて否定する。


「いえ! 少し頭をぶつけましてな。瘤ができただけです」


「そうか」


 項羽の苦い顔に訝しみながらも項梁は思う。


 項梁が知りたいことは知れた。

 人物評には項羽の主観が入っているかもしれないが、大した問題ではない。

 この激流の時代、人の評判など勝敗の後に着いてくるのだ。



 項梁は筆を置く。

 そして新たな書簡を取り出し、また筆を走らせ始めた。


「どう動きますか、叔父上」


 呼び掛けを無視し、書き上げた書簡を項羽に渡す。

 そこに書かれていたのは、


『秦嘉は陳王の敗戦に乗じてそれに(そむ)き、景駒に楚王を僭称(せんしょう)させた。大逆無道の秦嘉に天に代わって誅を下す。心在るものは我が旗の下へ参じて共に逆賊を討つべし』


 という檄文であった。


「楚は二つもいらぬ。この内容を喧伝し、偽りの楚を滅す」


 陳王の名は死してなお、こうした名目に役立つ。いや死んだからこそ、その名に利用価値があるのだ。


「はっ!」


 項羽は喜色を隠さず、受け取った書簡を手に拝手した。


「急ぎ、戦の準備に取りかかります。先陣は是非とも私に」


「うむ。新たに加わった将の軍才も見定めねばならん。黥布(げいふ)と二人で並び立て」


「承りました」


 項梁は足早に部屋を出る甥の背中を見送った。


 この戦いに勝てば項梁の名は一気に中原に拡がる。


 そして下邳(かひ)から北上する項梁軍に一人の使者が現れ、その勝利はより確実な物となった。


 ◇◇◇



「野戦を選んだか」


 彭城(ほうじょう)近くの小高い丘の上。俺と田横はその陣を覗き見る。


 一度彭城に駐屯した景駒の軍は景駒自身と守城の兵を残し、東に流れる泗水(しすい)に沿って進んで開けた草原に陣を置いた。


 いつもは青く茂る草で覆い尽くされた平原が、今は武器の煌めきと皮鎧の暗い色、そして軍勢の喧騒に埋もれている。


 弱兵とはいえ数万の軍勢。

 これが一つの塊となって移動するさまは、地を這いずる巨大な怪物のようでもあり、草の海をゆっくりと回遊する怪魚のようでもある。



田都(でんと)達は……わからぬか」


 身震いする俺の隣で田横が呟く。


 遠く離れたこの丘からでは田都達がこの軍のどこにいるかはわからない。近づきすぎると偵諜の兵と疑われ捕縛されてしまう。


「彭城に残った兵の中にいる可能性もありますが……」


「うむ……。しかし客将として赴くなら働かなければなるまい。こちらにいるとみた」


 確かにそうか。匿ってもらった恩を返すためには前線で働くってのが普通か。普通ならだが。


「それに中が気にするあの若造の戦いぶりも見ておきたい」


 項羽か……。


 義理の兄は中国史上最強の将の一人みたいなことを言っていたけど、本当のところどうなんだろうな。

 それをこれから目の当たりにするというのも不思議な気分だ。


 見たいような見たくないような……。




 やがて陽が中天にさしかかる頃、風が通り抜けたのを感じた。


「来たぞ」


 その直後、田横の低い声が響いた。


 景駒の軍からは接敵の合図なのか、太鼓が鳴り響く。

 そんな慌ただしい景駒軍に向かって近づく、幾多の足音を鳴き声の様に響かせ、もう一匹の巨大な怪物が現れた。



 相対し合う二つの軍。

 そこから互いに一台の馬車が駆け出し、陣の先頭に立った。


「遠くてよく見えぬが、あれが項梁か。景駒軍の方は秦嘉であろう。戦闘前の口上戦か」


 何か言葉を交わしているようだが、ここからでは聞こえない。

 大方『楚を騙る偽物め!』 とかなんとか言ってるんだろう。


「始まるぞ」


 やがて馬車が陣の中に戻ると、両陣営から太鼓が激しく打ち鳴らされた。

 弓矢が大粒の雨のように振り注がれる。


 そして太鼓の音を打ち消すほどの足音と掛け声が響き、両軍の距離が縮まり先陣が衝突した。



 土埃が宙に舞い、衝突した先陣の様子を隠す。

 隠れ見ているこの場所にまで、強い風を感じた気がした。




「これは……」


 黄土色に霞む先に目を凝らした先に見えたのは圧倒的な力の差。

 その光景に背筋に冷たい汗が流れる。



 項梁軍の先陣が景駒軍を一方的に圧していく。

 特に中央、黒い一団は田の稲穂を刈り取るかのように敵の布陣を易々と切り裂いていく。

 それは一つの巨大な鎌のように景駒の兵の命を刈っていく。


「支援を向かわせねば、早々に崩れるぞ……!」


 田横が唸るように口にする。


 その声が届いたのか景駒軍は控えていた後軍を投入し、圧殺されそうになる中央を支えようとした。


 それを受け、さすがに足が鈍る項梁の先陣だがそれでもじりじりと前に進んでいる。

 項梁軍の後詰は動く様子はない。


「こんなに……」


 差があるのか……! 


 唖然とする俺を横目に田横が小さく叫ぶ。


「おい! あの景駒の左翼、どうしたのだ? 何をしている?」


 田横の声に左翼に目を向ける。


 五千くらいだろうか。その一隊は、鮮血と砂煙の踊る喧騒を余所にポツリと(たたず)み、ゆっくりと軍から離れ始めていた。


 そして何を思ったのか、さらに戦場を離れ遠ざかり始めた。




 おい……、おい! まさか?!


「あれは……。田都達ではないのか……?」


 田横が最悪な予想を口にする中、その部隊は草原に消えた。



 項梁がその背信行動によって大きく開いた穴を見逃すはずもなく、項梁軍の右翼がその傷口に猛然と噛みつき喰い千切る。

 完全に崩壊した景駒軍の左翼はちりぢりに霧散した。


 そして左翼を食い破った項梁軍はその勢いのまま、今度は中央の横腹に噛みつく。

 圧されながらも善戦していた中央だったが、これに耐えきれるはずもなく一気に瓦解した。



 陽はまだ傾いてもいない。

 午後の色濃い陽光が、北へと逃げる兵、赤く染まった草原、そしてその上に横たわる幾多の死体を熱く照らす。


 その重たく鈍い空気を吹き飛ばすように、項梁軍の勝鬨(かちどき)木霊(こだま)した。



「……」


「……臨淄(りんし)に戻ろう。あの去っていった一団も気になるが、項梁の強さも伝えねばならん」


 肩に置かれた田横の手とその言葉に、我に返った。


「はい……。まずは華無傷殿の元へ急ぎましょう」



 ◇◇◇



「快勝であったな」


 追撃の準備に入る中、顔面に入れ墨を施された男が項羽に話し掛ける。


「黥布」


 この賊紛いの男だが、将としての才は目を見張る物がある。

 今回も敵左翼に出来た綻びに素早く突っ込み、続けて中央への挟撃で勝負を決した。


「敵は弱兵。加えてあの左翼の一隊の離脱。なんとも楽な戦いであった」


「ふん、あのような謀略がなくとも正面からねじ伏せられたわ」


「まぁそれはそうだろうが、勝利を早めたには違いない」


 戦場に向かう項梁の元へ斉の使者を名乗る者が書簡を携え現れた。


『これは楚人同士の戦いであり、斉は干渉したくない。しかし景駒、秦嘉の軟弱な楚であってはこれから秦打倒に肩を並べる国としていかにも心許ない。今、図らずも客将として戦場へ赴いているが本意ではない。景駒に恩義がある故、反旗を(ひるがえ)して攻める訳にはいかぬが、我らは開戦と同時に離脱する。そこを攻められよ』


 そう書かれた書簡に項梁は半信半疑であり、


「離脱が起ころうと起こるまいとただ粛々と攻めるのみ」


 そう言い行軍を再開し、景駒軍と相対した。


 そして現実のものとなった謀計に黥布がつけ込み、項梁軍は大勝した。



「斉の田都と言ったか。やはり斉人は腰抜けで小癪な者が多い」


 まぁ、そうでない者もいるようだが……。


 そう続けた項羽の言葉は口の中で声にならず、黥布の下へは届かなかった。



「項羽将軍」


 部下が追撃の準備が整ったことを告げる。


「降伏した兵のせいで足が鈍りそうだ。あのような弱兵、我が軍に取り込んでも使い道はない。皆殺しにするか」


「それを決めるのは項梁様だろう。盾くらいにはなるのではないか」


 物騒な会話を交わしながら二人は別れ、それぞれの率いる隊へと戻っていった。

狗盗 (くとう)


(いぬ)のように人の家に忍び込み、物を盗むこそ泥。

孟嘗君の生んだ故事『鶏鳴狗盗(けいめいくとう)』は、鶏の鳴き真似が上手いだけの者やこそ泥でも使い方次第で役に立つという意。

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