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97話

 俺のゴーの掛け声に、理解はせずとも反応した二人の腕がグッと膨れ上がる。


 思わず英語で言っちゃったけど雰囲気で察してくれたようだ。

 後で故郷の言葉とかなんとかで誤魔化そう。


 そんなことより卓上の勝負はというと。


「ぐうっ!」


「があっ!」


 二人は猛獣のような形相で、鼻息も荒く歯を食い縛る。

 組んだ腕とは反対の腕は机の端を持ち、小刻みに震える両者の腕はどちらにも傾かない。


 あの若者、田横の怪力と互角かよ。


 善戦はするとは思っていたが、正直田横のゴリ……剛力には敵わんと思っていた。


 マジで何者だ?


「おいおい! どうした、動かんぞ!」

「いけ! いけるぞ!」

「やれ! もっと力込めろ!」


 周りの者達は賭けも相まって大きく盛り上がり、野次を飛ばして騒ぐ。


 賭けの元締めとなった劉邦も一際愉しそうに騒ぐ。


「カッカッカッ、こりゃすげえ! 卓が壊れそうだな!」


 その隣の張良はなぜか俺を見ていたが、視線が合うと目を逸らし、田横と対峙する若者を値踏みするような視線を送った。


 なんだ? あの若者の正体を知っているのか?



「斉人の、わりに、やるではないか!」


「猪だけ、あって、力は、あるようだ!」


 二人は剥き出しの歯が覗く口端を歪める。


 ……このまま認め合って仲直りとかないかね? ないね。


「おう!」


 若者の鋭い眼がつり上がり、掛け声と共にさらに力を入れる。

 拮抗していた腕は徐々に若者の方へ倒れ出す。


「おお! 行け! そのまま倒しちまえ!」


「おい! 熊! 負けるな! やり返せ!」


「くっ!」


 田横の手首が小刻みに動くが、若者の腕の勝利への傾きが大きくなっていく。


 嘘だろ、あっちの方が強いのか? 負けるな! 田横!


 戦況が有利に傾き、若者は田横に向けて挑発的な笑みを作る。


「謝るなら、今のうちだぞ、斉人」


 こめかみに血管を浮かせながら、若者が言う。



 しかし挑発された田横は血走った目に薄く笑みを浮かべ、


「確かに、力は大したものだ。しかし、力攻めだけでは、戦は勝てんぞ! ふん!」


 田横はそう気合いを入れると、手首をクイッと手前に巻き込み、一気に若者の腕を卓の天板ギリギリまで傾けた。


 おお! 初めてなのに、なぜそんなテクニックを! 闘いの中で成長したというのか……。

 それは冗談として、力の入りやすい手首の位置を探していたんだろう。

 手首が頻繁に動いてたのはその為か。


 これで一気に形勢逆転だ! いけるぞ田横!

 あと一押しだ!


「カッカッカッ、魅せるねぇ。あれが狄の田横か」


 田横の逆転劇に劉邦を始め、野次馬は阿鼻叫喚、興奮の坩堝である。


「くっ、うぅ……」



 ふぅ、どうやら田横が勝ちそうだ。しかし、あの若者がこれで納得するかね。

 まぁこれだけ観衆が居てはっきり白黒着いたなら、なかなか文句も言いにくいか。


 若者は身体全体を使ってなんとかしようと試みる。しかし完全に手首が極まった状態の卓上の腕は力みに震えるばかりで動かない。

 汗を浮かべながら、もどかしそうな眼差しで田横を見る。


 田横は勝敗が着くまで油断なく力を込めていく。

 とうとう決着か。




「あ?」


 いきなりゴッという音か響き、唖然とする田横の鼻からタラリと血が落ちた。


 野次馬も突然の事態に静まりかえる。


 田横の目の前には、握りあった手と逆の手で拳を作って、なぜか同じように唖然とする若者。


 な、殴ったのか?



 田横は握った手はそのままに、鼻から唇へ滴った血を舐め、そしてゆらりと立ち上がった。

 自然と若者も立ち上がる。


 め、目が光ってないぞ。い、いつもの見る者を安心させる目はどうした?

 ちょっとまぁ、なんか、とにかく落ち着いて……。


「お、横殿?」


 ゆっくりとこちらを向く。


「あ、なんでもありません」


 ゆっくりと若者へと向き直る。


 鬼だ。鬼がいた。

 すまんな、若者よ俺にはどうすることもできん……。




「お主……」


 田横の低い声が響く。


「ち、違うのだ! 手が勝手に! そう、無意識に! 負けたくないという想いで思わず左手が! この左手が!」


 若者はその迫力に青ざめながら、必死に自身の左手を出しながら言い訳を始めた。


「すまぬ! 悪かった! 勝負に水を差すような真似を……そうだ! 一発! 私もお主から一発受けようではないか! な!」



「……一発だな」


 田横は静かに拳を天高く突き上げる。


「あれ? 待て! そんな勢いはなかったはず! それに私は左手であった! 利き手でない方だ! お主は右が利き手だぶっ!」


 若者の制止を無視し田横の拳は、まるで本物の鉄槌のようなガンッという音を響かせ、若者の頭に振り下ろされた。


 床に埋まったのではないかと錯覚するほどの衝撃に、若者は白目を向いて倒れた。


 酔っ払っていたし、腕相撲で頭に血が上っていたし、気持ちよく気絶したな。あ、鼻水垂れてら、汚ね。



「まったく……。なんだったのだ、こやつは。おい、こやつの連れの者、面倒だから目が覚める前に連れて帰れ。これで勘弁してやると伝えておけ」


 一発入れて気が済んだのか、いつもの調子に戻った田横は若者の部下達に声を掛けた。


 部下達は慌てて動きだし、大の字に寝転んだ若者を掴み、引き摺るように去っていった。




「鼻は大丈夫ですか?」


 俺は田横の目に光が戻ったことを確認して、近寄る。


「無防備でもらったが折れてはいまい。勝負に集中し過ぎて避けられなかった」


 田横が鼻を摘まんでふんっ、と詰まった血を飛ばす。


 そこへ苦笑いを浮かべた劉邦がやってきた。


「あー、なんか最後は白けちまったな」


「劉邦殿なぜここへ」


「まぁそれは後だ、後。それより賭けはどうするかね。お前さんが勝ちそうだったが」


 劉邦は田横に向かって問う。

 その言葉に我に返ったか、野次馬達が騒ぎ出した。



「勝負はまだついてなかったぞ」


「何を言う。どう見ても熊男の勝ちだったろうが」


「卓に手の甲が付くまでが勝負なんだろう! 殴ったらいかんとそこの兄さんは説明したか?」


「んなもん言われなくても分かるだろう!」


 野次馬達が争う。

 その様子を見た田横はため息を吐き、劉邦の問いに応える。


「別にどちらでもよい。賭けは無効で銭を返せばよかろう」


「ふうむ、それもちと面倒だ」


 劉邦は顎鬚を弄りながら少し考え、ニタリと笑う。

 そして未だガヤガヤと騒ぐ野次馬に向かって声を掛ける。


「よし、お前ら! 勝ちそうであった熊男は無効だという。だがこのままこの銭を返すのもつまらんだろう。どうせ賭けに捨てたあぶく銭だ。おう、店主! 」


 劉邦は手を挙げこの酒家の店主を呼び、


「この銭で買えるだけ酒を持ってきて、こいつら全員に振る舞ってくれ! お前ら元が取れるようしっかり呑めよ!カッカッカッ」


 その言葉に酒家が歓声に包まれる。



 懐を一切痛めずに、劉邦が全員に奢った風になってしまった。

 しかも元締めの自分はただ酒だ。上手いことやるなぁ。

 こういうところだよな。



 俺が感心していると、背後から美女が声を掛けてきた。違った美女男、張良だ。


「お久しぶりです。田横殿、田中殿」


「このようなところで会うとは思わなかったな」


「思ってもいない場所での再会ですね」



 そういえば、張良はあの若者の正体を知っているのか?


「ところで田中殿、先程の腕相撲ですか、あの時の開始の掛け声の最後、なんと仰っておられたのですか?」


 俺が若者について聞こうとするより早く張良が問い掛けてきた。


 皆夢中で聞いてないかと思っていたが……。


「あー……、あれは思わず故郷の言葉が出てしまいましてね」


「田中殿は狄の一族では?」


「いえ、私は遥か東の島から旅してきた者で、狄の田氏とは遠い縁者です」


 という設定です。


「……そうですか」


 張良は思慮の海に沈んだように目を伏せ、長い睫毛を揺らした。

 うーむ、考え込む姿も色気がある。


 しかし細かいところまでよく気が付く。

 綺麗な顔してやはり油断できんな。あの天下の大軍師、張良だもんな。


「あの、ところで先程の横殿と争った若者のことをご存知で?」


 俺は改めて物思いに(ふけ)る張良へ質問する。


 張良はハッと我に返り、顔を上げ俺の顔を見つめる。

 美人にそんなに見つめられると照れるというか、なんか焦るわ。男だけど。


 そしてニコリと綺麗な笑みを浮かべ、


「流石ですね。以前も私の態度から官兵に追われていると見透かされましたね。人の機微をよく観ておられる」


 まぁ、現代では営業だったからな。相手の表情や態度から売り込み方を変えたりとか駆け引きは鍛えられたかもな。



「あの若者は……」


「張良は俺のことも知っておったからな。私財を崩して間諜を雇って方々の動向を探っていたんだよな。あの若虎のことも知っていよう」


 張良が言いかけた時、ただ酒を喰らい上機嫌の劉邦が、酒瓶を持ちながら話に割り込んできた。


 はぁ、また面倒くさい感じになってきたよ。

 今日は酒も結構呑んだし、色々ありすぎて驚き疲れた。もうさっさと諸々聞いて宿に帰って寝たいんだけどな。

 そういう訳にはいかんのだろうなぁ……。



「この熊が田中の言っておった田横殿か!」


 劉邦が田横の肩を叩く。相変わらず馴れ馴れしいな。


「誰が熊か」


 酔いは覚めたようだが、田横も疲れているようだ。返答が素っ気ない。鼻もまだ赤い。


「いやいや、熊のように勇壮で強そうだってことよ。俺は劉邦。沛近隣を治め、沛公と呼ばれておる」


「中から聞いている。中を使って沛を手に入れたそうだな」


 田横の嫌味に劉邦は悪びれもせず笑う。


「おう、そうよ。田中のお陰で速やかに沛を治めることができたぜ。見かけによらず役に立つ上、雅味や風情も分かる男だ」


 劉邦はそこまで語ると、おお、そうだと手を打ち、


「そういえばお主ら張良とも顔見知りなのか? まぁ今宵はまだ長い。ゆっくり酒でも呑みながら情報交換といこうか。カカッ」


 そう言って、その場にどっかりと腰を下ろした。


 ホント、長くなりそうだよ……。

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