95話
留に着いた俺達は楚王に謁見を申し入れた。
留の城はさほど大きくなく、そこへ人が列を成している。
陳勝に謁見した時の陳ほどではないが人は多く、楚王景駒に会うには時間がかかりそうだ。
数日を過ごし、再び城へと赴くこととなった。
しかし通された城の一室に居たのは景駒を擁立し、補佐する秦嘉という男だけだった。
先ずは彼と会見して意見をすり合わせて、その後景駒と謁見ということかな?
「斉の将、田横です」
「同じく斉の田中です」
俺達は秦嘉たちに慇懃に礼を表す。
「秦嘉である。そちらから参って来るとは殊勝な心掛け」
随分尊大な物言いだな。
不快感を呑み込み、田横は応える。
「はっ、この度は我が一族の田假、田安、田都がこちらに逃げ込んでいるとの報を受け、参りました。恥ずかしながら田氏の揉め事、他国の手を煩わす訳には参りませぬ。お引き渡しを」
田横の返答に秦嘉は顎に手を置きながら、
「ふむ、斉へはそのことで使者を出そうと思っておった。田假殿達はここを訪れたが今は居らぬ。追われていると姿を隠しておる」
やはりここへ来ていたのか。使者を出そうとしていたということは、引き渡してくれるつもりだったのか。ありがたい。
「ではその居場所をお教え願いたい」
田横が少し急いた様子で言う。
「いや、待たれよ」
秦嘉は嫌らしい笑みを浮かべ言葉を続けた。
「我が楚は、斉王の直系の子孫や王弟をさしおき王を名乗る田儋を王と認められぬ。我らが認める正統な血族を王と迎え楚王を盟主と仰ぐなら、我が楚との連携が叶おう」
は? 何を言ってるんだ、こいつは。
余りの傲慢な態度に俺は言葉を失う。
「そもそもこの乱は大半が楚人であり、我ら楚人が主導し、秦を大きく追い詰めた。各地で独立の機を作ったのが我らであることは明白である。同じ王とはいえ盟主が必要であり、それが楚王となることは自然のことであろう」
本気か?
百歩譲って陳勝がリーダーを気取るのはわかるが、こいつら陳勝がいなくなったどさくさに紛れて王を名乗り始めた奴らだろう。
「盟主が他国の王位に干渉する例は多々あった。この度の斉の騒動、元を辿れば田儋の身の丈に合わぬ野心が発端である。直ちにその王座を正統な血統に譲り、改めて使者を寄越されよ。そうすれば楚と斉は手を取り合い、秦の支配を終わらせることができよう」
盟主がと言うが、現段階で盟主でもなんでもないこいつらに国内干渉される謂れはない。
田假を王位に就けて恩を売り、都合よく操ろうとして何かしら理由をつけているのだろうが……。
そんな怒りと呆れを覚え、田横の表情を窺う。
あー……表情がない。いや血管が浮き出たこめかみが全てを物語っているわ。
田横は家族や一族を誇りにしているからなぁ。父親代わりの田儋を侮辱されたようなもんだよな。
狄の田家は俺にとっても家族同然だ。
俺もかなり頭に来た。
何か言おうとする田横を止め、怒りに染まる瞳を見て言葉なく訴える。
――口喧嘩なら俺の出番だろ。
俺と田横は視線を合わせ互いに頷き、同時にふぅと一息、怒りと共に吐き出した。
そして田横は静かに一歩引き、俺は逆に一歩出る。
「あの、よろしいですか?」
問いかける俺に秦嘉は見下した目を向ける。
「なんだ」
「わが斉王の即位に異を唱える景駒様は王の正統な後継で?」
秦嘉は不機嫌そうに眉を上げるが、この質問は想定通りなのか咳払いをして畏まり、語り始める。
「景駒様の景氏は楚の平王の長子、子西様から始まる公族で楚の三閭にあたり、屈氏、昭氏と並ぶ名門である」
それは田横から事前に聞いている。
平王は三百年近く前の楚の王で、子西は長子といっても庶子だ。
王族から分かれて別の家を立てているが、田儋なんかよりよっぽど遠い血だ。
「お主、王として立つには遠いと思っていよう。しかしかつての秦の侵攻により王の直系は失われた。そこで古くは王に連なり、力を持つ景駒様がやむを得ず立たれたのだ」
ふーむ、言い慣れてる感じがするな。そこかしこでこうやって言い訳してんだろう。
俺は再び問う。
「ではもし楚王の直系が生き残っていれば、景駒様はその方に王位を譲るのですね」
秦嘉は意表を突かれたように真顔になり、そして言葉少なに応える。
「……仮にそのような方が居られれば、景駒様は喜んで譲位されよう」
俺は笑みのまま続ける。
「王族を探されたので?」
秦嘉の機嫌がさらに悪くなる。
「もちろん捜索した。しかし居られなかった」
「本当に?」
「くどいぞ! 私を疑うか!」
赤い顔で怒鳴るように否定する。
「これは失礼いたしました。」
探してねーな、たぶん。
「秦嘉殿は血筋に重きを置いている旨、よく理解いたしました」
秦嘉はふんっと鼻を鳴らす。
切り抜けたと思っているようだが、まだだぞ。
「では秦嘉殿はなぜ陳勝様に異を唱えなかったのでしょう? 陳勝様は張楚と楚を冠した国を興し、王を名乗りました。その出自は賤民で王たる資格はなかったはず。かつて貴方はその陳勝様に従っていたとお聞きしましたが」
秦嘉は顔を紅く歪めて言葉に詰まる。
痛い所だろ。
「あ、あれは厳密に言えば楚ではない……別物だ。それに私は反感を覚え、すぐに袂を分かった」
その言葉に俺はニヤリと嫌らしく笑う。墓穴掘ったぞ。
我ながら嫌な奴になってんなぁ。
「なるほど。では秦嘉殿は楚ではない別物の国の功績を根拠に、楚を盟主とされようとしているので? 斉への内政干渉を? しかも自らが許容出来ぬと袂を分かった国の?」
秦嘉は暫し反論を探したが見付からなかったようで、震えながら喚くように大声を出す。
「煩い! 細かいことを! もういい! お主らはこの楚と連携する気はないのだな! 我らと敵対するということなのだな! 後悔するなよ!」
じゃ、締めは田横殿、頼むよ。
秦嘉の怒鳴り声の中、田横が俺の隣に並ぶ。
そして田横は片手を差し出し、手招きするように指を曲げた。
ビクリと秦嘉の口が止まる。
静寂が訪れた室内に田横の悠然とした声が響く。
「いつでも相手になろう。かかってこい」
◇◇◇
秦嘉との交渉が決裂し、俺達は留の城を追い出されるように帰された。
城門の前で二人佇み。
そして二人で頭を抱えた。
「やってしまった……」
「やっちまいましたね……」
「完全に敵対してしまった……。あれはもう修復はできんだろうな」
「斉王、お怒りになりますかね……?」
俺達は邑内を歩きながら、先程溜め込んだ怒りをぶちまける。
「あそこまで斉や従兄を見下されたら怒らん方がおかしいだろ。なぜ斉の王になるのに楚の承認がいるのだ。……だが俺はあんな追い込むようなことを言えとは言っておらんからな」
あ、ずるいぞ!
「いや横殿がいけって顔したじゃないですか」
「いやいや中がいくと俺に目で訴えたではないか」
「……」
「……」
俺達はまた同時に溜息を吐く。
「二人で報告し、処罰を受けねばなるまい」
「ですね」
互いに苦く笑う。
俺も田横も後悔はない。あんな男が擁立した王もろくな奴じゃないだろう。
景駒と秦嘉という名に覚えもないしな。大きく成長する勢力ではないだろう。
俺が覚えてないだけの可能性もあるが。
「田假達はここにはおらんと言っていたが、真だろうか」
田横が秦嘉の言葉を思い出し、訝しむ。
「うーん、秦嘉の言うことは信用できませんでしたね。城で匿っている可能性は大いにあるかと」
自身達の事を棚に上げて、他者をあげつらう奴だったからな。
「少しここに留まり、様子を見るか……。しかし奴の言葉を思い出したらまた腹が立ってきた」
秦嘉の顔を思い出しているのか田横が歯噛みする。
「そうですね。あそこの酒家にでも入って、情報収集がてら憂さでも晴らしますか」
俺は丁度通りかかった一軒の酒家を指した。
「うむ、そうするか。またまずい酒になりそうだ」
俺と田横は酒家に入り、酒を頼む。
そして適当な席に腰を降ろし、今後のことを話し合う。
「戦いになった場合、我ら東軍だけでは景駒達の軍とあたるのは難しい。となるとやはり一度臨淄へ戻るか。田假達に猶予を与えることになるが……」
「そうですね。経緯の説明もせねばなりませんし。まぁ王も秦嘉の語った言葉を聞けば我々の怒りにも納得されて、そんなにお怒りにはならないのでは?」
「ううむ、そうだといいのだが……。王は滅多なことではお怒りにならんが……」
「ならんが?」
「……怒ると死ぬほど怖い」
あー……わかる気がする。田儋のあの顔で怒られたらすげー怖いだろうなぁ……。
田横も親代わりの田儋には頭が上がらんようだ。
やだなぁ、この歳になって怒られたくねぇ。
「それもこれも秦嘉と景駒が……」
二人して珍しく酒が進む。愚痴は最高のつまみだな。
俺達がそんな風にくだを巻いている時、
「少しいいか」
一人の若者から声を掛けられた。
うおっ、でかい兄ちゃんだな。田横と同じくらいか。
田横と並ぶぐらいの体格の男って初めて見たな。
その若者の目は恐ろしいくらい鋭く、その体躯はしなやかで手足も長い。
なんだろう、田横が熊ならこの男は虎って感じだ。
普通に話しかけられたんだがちょっと怖いな。纏っている空気というか圧が凄い。
只者じゃない雰囲気が漂ってくる。
後ろの席にいたようで、その席に座る連れの者達もただの農民って感じじゃない。
景駒の兵か?
「なんだ?」
田横が少し赤い顔で応える。
「先ほどから景駒や秦嘉という名が聞こえてきたが、お主たちは楚王に謁見したのか?」
やべ、声が大きかったか。
「いやー、まぁ楚王様に謁見願い出ましたが、お忙しそうで。我々のような者ではお会いすることも叶わず少し愚痴ってしまいました。どうかお許しを」
俺のごまかしを聞いた若者は、その鋭い顔に似合わぬ人懐っこい笑みを浮かべ、
「私は景駒の兵ではない。景駒や秦嘉のことを知りたい。どうか知っていることを教えてくれぬか」
どこかの間諜か……?
「お主、楚人だな。景駒に従わぬのか」
田横が尋ねる。
「真に楚を名乗るべき者は他にいる」
若者の目が鋭く光る。何か強い信念のようなものがあるようだ。
おお、なんか熱い兄ちゃんだな。
それを見た田横は優しい笑みを浮かべ、杯を差し出す。
「お主のような強い想いを持った若者は嫌いではない。我らの愚痴でよければ、一緒に呑みながら聞いていけ」
「おお、ありがたい!」
若者は嬉しそうに杯を受け取り、腰を降ろす。
なんか意気投合したみたいだな。田横好きそうだもんな、こういう男。
店主、酒追加ー。