第76話 その身をもって
「う......ぐッ」
瓦礫を押し退け、ティナは崩落寸前の時計塔内部で身を起こした。
ダメージはあるものの、三型戦闘服に掛けられた防護魔法によって魔法の大半は防がれており、致命傷は免れたらしい。
「まだまだ元気そうね、追って正解だったわ」
「ッ!?」
響いた声が、天井を砕いて頭上から降ってくる。
拳一つで塔をてっぺんから砕き潰し、エルミナは中のティナ目掛けて突っ込んだ。
床を蹴り、壁に空いた風穴からティナは脱出。直後にロンドニアを象徴する時計塔は上半分が押し潰されてしまった。
『血界魔装』を発動した彼女は全身が兵器であり、その強さは未知数に近い。
ティナは適当な家の屋根に乗り移ると、芸術性の欠片も無くなった塔を振り返る。舞い上がる土煙に一閃の光が瞬いたかと思うと、一秒掛からずにエルミナは接近していた。
「だあああッ!!!!」
徹甲弾のような速度と一撃を放つ吸血鬼に、ティナは前回と同様手数でもって圧倒を試みる。アクエリアスの時はこれで十分隙を作れた、今度もいけると心のどこかで信じていたのかもしれない。
「同じ手が――」
雷雨に等しい剣技全てを、エルミナは魔装した手で迎撃し弾いた。
「通じるかぁッ!!!」
「ガッッ!?」
ティナが次の手を出すより早く、脇腹に華奢な足が入った。
見た目からは想像出来ないふざけた威力に、たまらず屋根から落ちる。
下を走っていた高架橋に受け身を取りつつ着地し、呼吸もままならない程の痛みに喘いだ。
「やっぱり、その服魔法とか剣には強いけど、衝撃はほとんど通しちゃうみたいね。武器なんて最初からいらなかったかな」
彼女は全身に魔力を纏うと、鷹のような俊敏さで距離を詰めてきた。
雨に濡れる橋の上で再び剣と拳が交差し、火花を散らしながら撃ち合いを激化させる。
だが、形勢は見る見るうちにティナが不利へと傾く。
剣をかわされては反撃を撃ち込まれ、被弾数はあっという間に二桁を超えた。
意識が遠ざかり始め、動きも鈍っていく。
――マズい......このままじゃ。
遂に《ストラトアード》すら中高く弾き飛ばされたティナは、決死の想いで突っ込み、エルミナと同じく素手での戦闘を展開。
ナイフを取り出す暇すら惜しいとの判断だったが、久しく当たった一撃は金属を殴ったような感触。
直前に腕でガードされたらしく、まるで効いていなかった。
ナイフを使えば良かったと嘆くも、次の瞬間にティナの視界は大きく回転、投げ技で橋に叩き付けられた。
「ぐああっ!」
衝撃で支柱近くにまでヒビが入り、水ごとレンガが吹き飛ぶ。
「ここまでね、前はアルミナに邪魔されたけど......今日こそ仕留める」
エルミナの右手に赤い稲妻が弾けたと思うと、膨大な魔力が街を揺らした。
何かくる、そう分かっていてもティナには傍に落ちていた剣を拾って防御体勢を取る事しか出来なかった。
「血の恵みを与えられん、その輝きをもって真なる悪を滅ぼせ、滅軍戦技『リーサルノヴァ』!!!」
空へ跳んだ彼女は、隕石じみた勢いで拳に乗せた魔力を高架橋に落とした。
橋は跡形も無く砕け散り、下を通る石畳にティナはそのまま落下。
蒼色の制服は初めてボロボロになり、その防御機能を喪失させると同時にティナの敗北を匂わせた。
まだギリギリ意識はある、ここで負ける訳には、屈する訳にはいかない。ここで倒さなければ他の皆が危ない、ただただその一心で立ち上がろうとしたティナの腹底から、沸くように熱いものが込み上げてきた。
「がはッ!?」
肘を着いて吐血するティナ。雨水に混じりながら地面に広がるそれを見て、彼女は初めて自身が負ったダメージの深刻さに気が付く。
「降伏する? 今ならまだ間に合うわよ」
既に勝った気でいるらしいエルミナが、ティナを見下す。まるで歯が立たない中、絶対的な力を前にほんの少し降参を考えた自分を殺す。
彼女は危なげなく立つと、ナイフを構え突撃の姿勢に移った。
「残念......頭良い子だと思ってたんだけど」
負けたくなかった、もし敗北するにしても一矢報いてからだ。
限界を叫ぶ体に鞭打ち、最後の攻勢に出る。
振り下ろされたナイフはエルミナの服を僅かに切り裂くと、後は空を切るだけだった......。
「ッッ!!」
些細な成果と引き換えに、ティナの細く柔らかい腹部へ、吸血鬼の漆黒に染まった拳が深くめり込んだ。
吐き出した血が地面に咲く、ナイフを握っていた手の感覚が消え、ティナの戦闘能力は皆無となる。
「くは......あうっ」
引き抜かれたこぶしを追うように、ティナの脱力した体は意志に関係なくエルミナにもたれ掛かった。もう指一本すら満足に動かせない。
「ただの人間にしてはよく頑張ったわ、魔法も無しで本気の私に立ち向かってきたのはあなたが初めてよ。敬意を表して血を吸ってあげる」
エルミナは瀕死の幼い女性騎士を腕の中で抱くと、血を滴らせる彼女の口に食い付いた。
「んうッ!?」
突然口漬けされ、血にまみれる舌を絡められたティナは反射的に離れようとするが、もう首すら動かせない。
無抵抗のまま口内を好きに舐められ、蹂躙の一途を辿る。
彼女の脳裏にこれまで見た光景、乗り越えてきた戦い、やっと出来た友達との会話、そして自分をここまで育ててくれた父親の顔が浮かんだ。
『これが走馬灯なんだな』と薄れる意識でそう感じ、最後に。
――ごめん......皆、ありがとう......お父さん。
三遊の四人、そして父親に対して謝罪と感謝を捧げてから、ティナは涙の溢れる目をソっと閉じた。
「ふう......ゴメンね、牙が無いもんだからこうやるしかなくって。あなたの血、美味しかったわよ」
エルミナは気付けなかった。
「さて、それじゃトドメを......!?」
自身の体が内側から焼かれている事に。
「――がッ......全身が熱いッ!? ......ぐぅッ、ああああああああああああ!!!」
無敵を誇ったエルミナの魔装は、聖なる光に包まれ浄化されていた。
彼女は悟り後悔する、今飲んだ血がただの血では無かったと......!。