第50話 残響の記憶と始まりの影
遍く星空の下、クロエはバーネット一等騎曹の暇潰しに付き合って、ギルド研修で受けた採取クエストを振り返っていた。
「あっははは! 冒険者と居るだけでも大変だってのに、【B】ランクの敵対生物に出くわしちまうとは、黒髪ちゃん達もとことん苦労してんのなー」
冊に座り、膝をバンバンと愉しそうに叩いているバーネットは、相変わらずというか人を髪色で読んでくる。
「笑い事じゃないってば、もし逃げ切れなかったらホントに危なかったんだから! あと、いい加減名前で読んでよね」
バーネットのすぐ横、冊にもたれ掛かったクロエが呼び方に対し抗議した。
初見や階級が上の相手にタメ口で接する彼女も彼女であるが......。
「あー悪い悪い、面白可笑しくってつい爆笑しちまった。ところでよ、前から気になってたんだがその髪色や目、君外国から来たのか?」
「私の生まれはこの国だよ、お母さんが別の国出身なんだ」
「へー、どこの国だ?」
腰まで伸びたストレートの黒髪を触りながら、クロエは母親が語っていた思い出話を浮かべた。
それは遠い遠い果ての国の話だった......。
「ずっとずっと東の方......いや、もっと彼方。お日様の本にある自然豊かな国で、私みたいな黒い髪と黒目を持ってる人達が住んでいるんだって」
「そんな国が東にあったのか、じゃあ黒髪ちゃんの"マジックブレイカー"も、そこが起源だったりして?」
「ッ...、やっぱし気付いてた?」
「対魔法訓練の時、俺の展開した魔法陣を派手にぶっ壊してくれたの忘れたか? あの晩ソルト大尉に目茶苦茶愚痴ったんだからな?」
クロエはふと思い出す。
数ヶ月前、騎士候補生だった当時のティナが、教官室の会話を夜中に盗み聞いたとして朝まで怒られたことがあった。
半泣き状態で帰って来たティナに聞いたところ、何故かソルト大尉がいたという。恐らく、その際に固有スキルの情報が魔導科に渡ったのだろう。
「『マジックブレイカー』はお母さんからじゃないよ、最初からこの国で生きていた人から貰っ......た......ッッ!?」
言い終える直前。ーー脳裏に一人の男性が過ぎった。
その瞬間、クロエの脳を金づちで叩いたような激痛が襲い掛かり、強い動悸と目眩によって彼女は思わず膝をついた。
「なっ!? おい! 大丈夫か!?」
慌てて冊から降りたバーネットが、クロエに駆け寄った。
うつ伏せで倒れ込んだ彼女の瞳は濃い紫色に輝き、ひどく辛そうな嗚咽を漏らしている。
バーネットは速やかに医務室へ連れて行こうとしたが、しばらくして彼女は落ち着きを取り戻した。
「ーーハァッ......ハァッ、あれ? 私......」
ハッとした表情で上体を起こしたクロエは、十秒程周りを見渡した後、自分が倒れていたこと。頬には涙が伝っているのに気付く。
「おいしっかりしろ! "クロエ・フィアレス"!! どこか痛む場所は!?」
肩を掴んだバーネットが半ば怒鳴り気味で聞いてきた。
「あ......うん、もう......大丈夫」
目には涙が溜まり、口元からも唾液が伝っている。
いつもの端麗な顔とは反対の泣きじゃくっていたか弱い赤子のような表情に、バーネットはどう対応するべきか困窮したが、彼はポケットからすぐにハンカチを取り出した。
「良かった......ほら、涙とかで顔中グシャグシャじゃねえか。今拭いてやるからおとなしくしてろ」
傍から見たらヤバい光景なんじゃないかと懸念しつつ、バーネットはハンカチをクロエの可憐な顔に近付けた。
彼の中でこのシチュエーションに対する様々な羞恥心が生まれる。
しかし、自分でやるからといった抵抗も無く、クロエはその場に座って素直に顔を拭いてもらっていた。目や頬、口元と順番に優しく拭っていく。
ハンカチ越しにでも伝わる柔らかく年若い肌の感触、それが弱っている少女の顔なのだから尚更周囲を気にする。
「よし、終わったぞ。どうする、念のため医務室に行くか?」
「ありがとう......でも大丈夫、ちょっと立ちくらみがしただけだからさ。ハンカチは洗って返すよ」
少しフラつきながら立ち上がるクロエ。
どう見ても立ちくらみの苦しみ方ではなかっただろうと思いつつも......。
「そうか。でも小隊長にはちゃんと報告するんだぞ」
メンタルに関しては専門外なので彼女の上司に任せる。
彼の心配を背に受けてクロエは居室に戻ろうと歩き出したが、ふと後ろから追加で声が掛けられた。
「そうだ黒髪ちゃん、忘れちまってるかもしれないけどあの日言いそびれたアドバイス。次いつ会えるか分かんねえし、今ここで教えとくよ」
「アドバイス......?」
「ああ、対魔法訓練の後に言いそびれてただろ? 君と直接あいまみえて感じたことがあってね。黒髪ちゃんの戦い方についてなんだが......」
ーー......
湿気を伴った温風が駐屯地全体を払った。
寝巻きの半袖が呼応する様になびく。
「えっ......!?」
風に紛れて放たれた一言は、クロエを動揺させるに十分だった
漆黒のローブに覆い隠されたバーネットは、いたって真面目な様子だ。
「っつー感じだ、まあ頭の片隅にでも置いといてくれればってとこかな。じゃあ俺は隊舎に戻るから、またな黒髪ちゃん」
「ちょっと待ってよ! それじゃあどうやって戦えば!?」
言い終える前にバーネットは『ドーラン』を発動し、彼女の視界から忽然と消え去った。
魔力感知にも引っ掛からないところを見ると、今回は本気のようであった。
どうもスッキリとしない切り方に、クロエは借りたハンカチをグッと握りしめた。
バーネットが残した言葉、思い出してしまった"一人の家族"を胸の内にしまうと、彼女も居室に向かって歩き出した。
不気味さを漂わせた薄暗い通路。急にもよおした彼女は進路を変更する。もう頭痛も収まり、クロエはすっかりいつもの体調に戻っていた。
「フーッ、私もお手洗い行ってから部屋に帰ろ......って、ーー誰?」
トイレに近付いたクロエは、その入口に人影が立っている事に気が付いた。
顔どころか全身真っ黒なその姿に、一瞬ローブでも羽織っているのかと思ったが、どうも違う。さらに言えば、体格からしてどう見ても男だった。
ここは女性騎士の隊舎だ。どうやって入ったかは不明だが、不審者の可能性もあった。
CQC(近接戦闘術)をいつでも繰り出せるよう、身構えながらジリジリと歩み寄る。
影は顔を上げてクロエを見た。
ゆっくりと、少しずつ、彼女の顔を見た。
月明かりに照らされたクロエの顔を......見た。