第34話 逃走
夜が明け、空に薄く青みが掛かる頃。
早朝の内に荷物をまとめ、穏やかなムードで山脈へと向かう予定だったティナ達は、今その足に鞭打ちながら死に物狂いでひた走っていた。
「なんなのよアイツ! 一体どこから!?」
「俺が知るか! 見回りしてたらいきなり地面から出て来やがったんだよ、むしろ早期発見できて助かったぜ」
後ろから大地を揺らし、木々を蹴散らしながら五人を追いかける深緑色の甲殻に覆われた巨大な生物は、太い尾の先に鋭い針を持ち、鋏を振り上げている。
その姿はサソリにも似ており、同時に死神のようだ。
「キュルルルルアアァァァッッ!!!」
奇声はティナ達を追い越し、山脈へと響き渡る。
ティナの本能があの生物はヤバいと警告を出し続け、全力で逃げろと告げてくる。
「少し待って下さい! すぐに調べますので」
フィリアが走りながらお手製の『もんすたーでーた』と書かれたノートを取り出し、大急ぎでパラパラとページをめくり始めた。
「あっ、ありました! 名称はファルクスコーピオン、王国危険指定ランクは......ランクは......」
「なんだよ! 勿体振らずに早く言ってくれ!!」
フィリアの顔から見る見る血の気が引いていき、真っ青となった彼女は震えた声で口を開いた。
「びっ、【B】...。危険指定ランク【B】です!! 必要最低戦力は中隊規模以上! 今の私達では歯が立ちません!!」
「「「【B】ッ!?」」」
中隊。つまりは二百人以上の戦力を投射してやっと勝てる相手という事であり、まともに戦っても勝てる見込みは0に等しい。
よって今ティナ達が取るべき行動は...。
「可及的速やかなる撃退基撤退! とにかく走るのよ!!」
これしか無かった。
今まで大分無茶な戦いを乗り越えてきたティナも、この敵に挑むのは無意味かつ自殺紛いの行為であると判断。
戦略的撤退を選択した。
「そんなこと言ったってティナ! このままじゃすぐ...!」
「分かってる! 何か、何か打開策は......ッ!!」
かといって時間稼ぎの囮を残すなんてティナにとっては論外だ。
だがそうこうしている間にファルクスコーピオンとの距離は縮んでいき、このままではいずれ追い付かれるのは必至だった。
その時、林道を抜けてすぐの所、滝の傍に橋が掛かっていた。
造られてからかなり経っているのか、滝壺に近い白色の橋は苔等が付着しており、年季を感じさせる。
「こっち! あれを渡りましょう! 今は距離を空けないと」
フィオーレを先頭に橋の上へ走り込む。
滝がすぐそこにあるので、水しぶきが殴るようにぶつかってくるが、構わず突っ走る。
そして、橋の半分を過ぎた辺りでティナが叫んだ。
「橋を壊す! 川に落とせば振りきれるだけの時間は手に入るわ!! フィリア、お願い!」
「はっ、はい!!」
指示を受けたフィリアが走りながら詠唱を開始。
杖の先端に魔光が灯ると同時、彼女はそれを足元に三度叩き付けた。
「『マジックマイン』!!」
薄緑色の魔法陣が三つ橋の上に張り付く。そして、ファルクスコーピオンが一行を追いかけてその魔法陣を踏んだ瞬間だった。
激しい音と共に榴弾クラスの爆発が三回、フィリアの設置した魔法陣から発生した。
橋を構成していた石レンガは粉々に吹き飛び、ファルクスコーピオンは大量の瓦礫を連れて川へと落下した。
「ギュルギュアアアアアァァァァァアアッッッ!!?」
巨体を水に落とし、突然の事に混乱したのか、急速に動きを鈍らせる。
「よしッ! 一気に突き放すわよ!」
「ハハッ! 最高だぜお前ら、こんなにワクワクしたのは初めてだ!! もういっそ騎士やめて冒険者になっちまえよ! ギルドはいつでも歓迎するぜ」
レイルが興奮した様子で勧誘してくる。
「もし騎士をクビになったらそうさせてもらうわ! それよりこっち、この洞窟に入りましょう! ここならあいつも入ってこれないわ」
岩壁側面にぽっかりと空いた穴。
奥までかなりあるようで、身を隠すにも十分であった。
「オーケー、とりあえず入りましょう。レイル、敵は来てる?」
「いやフィオ、あいつはまだ来てねえ。隠れるなら今だぜ」
見られていない事を確認し、ティナ達はエルキア山脈の洞窟へと姿を消した。
予想外の敵に遭遇し、幸先に不安を覚えつつも、彼女達には前へ進む以外の道は無い。