第26話 プラエドル
『総員戦闘態勢! 2号から6号車にかけて正体不明の敵が侵入! 戦闘が可能な者は重症者を守りつつ敵を殲滅せよ!!』
「間合いに気を付けろ! 下手をすれば味方に攻撃が当たりかねん!!」
数分前まで満ちていた穏やかな空気は一転し、走行を続ける列車の中は混沌と怒声、敵味方が入り乱れる戦場へと変わっていた。
突如天井から降ってきた黒い影は、何の躊躇いも無く車内の人間へと飛び掛かり、その鋭く伸びた爪の様な腕で次々と攻撃を仕掛けたのだ。
「くっ、なんなのさコイツら!? 幽霊みたいに湧いて出て来たと思ったら突然......!」
「愚痴るのは後よクロエ! 今はとにかく負傷者を守って!!」
当の自分も負傷者の内であることすら忘れ、ティナは周囲に当たらないよう剣ではなく、ひたすらに拳を振るっていた。
影はティナ達より一回り大きく、攻撃力はあるものの防御力は皆無のようだった。
「だあああぁっ!!」
ティナとクロエはその小柄な体駆を生かし、車内をサーカスのように駆け回りながら、強烈な殴打と蹴り技を敵に浴びせていく。
部位は人間でいう溝落ちや首、顔面等の急所を集中的に狙い、ほぼ一撃必殺で仕留めていく。
爪による切り裂きも非常にワンパターンで、最初の不意打ちにやられる者はいたが、逆に言えばそこが敵の限界であり、戦闘は常に王国軍優勢で進んでいた。
影の数は時間が経つにつれ少しづつ減っていき、ティナ達の乗る先頭から二番目の車両からは影もほとんど駆逐された。
「二人共、ここしばらく任せていい? 天井から来たってことはまだ上にいるかもしれない。駅に着けば増援が待っているらしいから、それまでの辛抱よ」
「「了解!」」
敵は一体たりとも残すわけにはいかない。まだ上にいるであろう影を全滅させる為、ティナは先頭車と2号車の間から軽い身のこなしで飛び登り、暴風吹き荒れる車上へと到着した。
真っ黒な影に埋め尽くされた光景を覚悟していたティナだったが、広がったのは奥行きのある白い車列と川のように流れる景色、そして車両一つ挟んだ先にいる"一人の少女"だった。
「ん、誰よアンタ? 子供がこんなところに来たら危ないわよ」
こっちの台詞だと言い返したくなる質問を投げてきた少女は、桃色の髪を強風に泳がせ、肩出しした黒いトップスと同色のミニスカート、ニーハイソックスを纏っており、可憐な雰囲気を漂わせていた。
「誰って......、私はストラスフィア王国軍第三遊撃小隊隊長、ティナ・クロムウェル騎士長です! あの影はあなたの仕業? もしそうなら後ろを向き、両手を上に上げてください!」
対人用ROEに基づいた警告を行うが、目の前に立つ少女は顔色一つ変えないどころか、ツカツカとティナの方へと歩き始めた。
「へーっ、そんな小さいのに軍の騎士だったんだ。っということは、放った『ファントム』はあなた達がほとんど倒しちゃったわけ」
『ファントム』。それがあの影の名称なのか、どっちにしろティナは眼前から歩み寄ってくる少女をほぼ敵と認識していた。
二度三度と警告し、いよいよティナが剣のグリップを掴んだ時だった。
「軍の人間なら......」
ほんの一瞬瞬いた瞬間だった。車両ほぼ二両分はあった距離の壁は消滅し、息が掛かりそうな程近くに彼女はいた。
「殺しても大丈夫よね?」
感じたことも無い殺意と振り下ろされた剣に対し、ティナはギリギリ間に合った抜剣でそれを受け止めた。
全ての音を掻き消すかの如き高音が響き渡り、なんとか直撃は免れた。だが......。
ーー何っコレ!? 重すぎるッッ!!
相手の少女は自分とほぼ変わらぬ身長だが、落とされた一撃は、単純な力比べでも騎士であるティナを優に超えていた。
これまで戦った、オーガやレッドオークというパワー系の敵対生物。そのどれより重く鋭かったのだ。
「今の見えたんだ......。やるじゃない、騎士ってのもさッ!」
「あぐっ!?」
胸部を突くように蹴られて吹っ飛ばされるが、ティナにとっては剣ごと斬られかねない状況を脱出する好機でもあった。なんとか空中で体勢を整え、手や靴底でブレーキをかける。
「ゲホッ......このっ!」
重い蹴りに思わず咳込むが、ティナに呼吸を戻す時間的猶予は無い。
この少女が叩き付ける一撃は、一般の剣や弓の攻撃を一切通さないといわれる、『戦闘服三型』を持ってしても防ぎきれないと確信したからだ。
向かい風をものともせず砲弾のように突っ込んで来る少女へ向かい、ティナも追い風を背に車体を蹴った。
走行を続ける列車の上、互いに距離を詰めた両者は閃光の様な剣撃をぶつけ合い、疾風怒涛の攻防を展開した。
「いい剣持ってるわね、人間の武器は恐ろしく進化が早いと聞いてたけど、ホントにその通りだわ」
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ! アンタだって人間でしょ!!」
「さあ、どうかしらッ!!」
激しい打ち合いからつばぜり合いに移行するが、やはり完全に力負けしていた。
それでも引けば終わりだ。全身の余力をかき集め、瞬間的に持てる力全てを引き出す。
「ンっ......! ぬああッ!!!」
ティナは負けじと刀身で押し返し、流れるような動作で右足回し蹴りを首目掛けて放つ。
当たれば一撃だろうが、外れた右足は空を切って着地し、そのかわりに相手との距離を少し空ける事ができた。
「ホントに良い剣ね、何回かは叩き折ったと思ったんだけど。さすがに良い装備してるわ」
一度下がった少女はまた剣を褒めた。
自分など眼中に無いと言わんばかりの言動に、ティナは少し腹立ちつつも認めていた。
七二式主力ショートソード《ストラトアード》。
正規の王国軍騎士が使う中で最も配備数が多く、何より信頼されている剣だ。
そのスペックは、先のレッドオーク戦でティナも十分痛感しており、白い光沢の乗った刀身はあれだけ酷使されながら、殆ど刃こぼれしていない上に、重量も少ないので扱いやすいといった利点を合わせ持っている。
もしそこらの安い剣を購入して使っていたならば、あっという間に消耗してしまい、この少女の前に呆気なく折られていただろう。
軍用品の持つ頑丈さと安定した性能、使いやすさは、確かに褒められて然るべきものだった。
「ハァッ......ハァッ、簡単に折られたら、私達現場の騎士が武器科の担当曹長に相当な頻度で大目玉食らうじゃない。何より、官品は大事に扱えって言われてるのよ!!」
今度はティナが先に仕掛ける。息も絶え絶えになった彼女はこの攻勢でけりをつけようと全速で敵中に飛び込んだ。
三度双方の剣が接触し火花を散らすが、パワーで勝てないと悟ったティナは自慢のスピードと手数で一気に攻め上げ、相手の防御を飽和させることを目的とした、休む間も無い波状攻撃に切り替えていた。
雨の様な連撃に、相手の迎撃も次第に甘くなり始め、目に見えて隙が出て来る。
「クッ!」
少女がこのままではもたないと悟り退くが、その瞬間こそティナの待ち望んでいた瞬間だった。
ーー今っ!!
思い切り踏み込み、回転のエネルギーを加えた強烈な斬撃で空気ごと剣を薙ぎ払い、防衛手段を失った少女は完全に無防備な状態へと陥った。
あと一撃、放てば確実に決まる約束されたとどめの一発を穿つべく、《ストラトアード》を勢いよく前面に押し出すが、その剣先は相手の頬を少し切っただけで、後は何も無い空間を貫くに終わった。
「う"......くッ!?」
思い出したように脇腹から走る激痛。先のレッドオーク戦で負った傷が、激しい戦闘行動の末開いてしまったのだ。はからずも姿勢を崩し、ティナは痛みに喘いだ。
そして、掴みかけたチャンスは敵の反撃という最悪の形で失ってしまう。
剣を持っていた右腕と胸倉を握られ、視界がグルリと反転したかと思った矢先、背中を中心に呼吸が数秒止まる程の衝撃がティナを襲った。
「がはッ......!?」
背負い投げで力任せに車体へ全身を叩き付けられたティナは、二重の痛みと脳震盪で遂に動けなくなってしまう。
少女は息を荒くしながら頬を伝う鮮血を拭い、弾かれ車上から落ちかけていた剣を手に戻すと、そのまま仰向けに倒れるティナへと突きつけた。
「人間に傷を付けられたのなんていつぶりかしら...、ただの陽動だったのがとんだヤツに会っちゃったわね。見逃そうと思ってたけど、やっぱり今ここで殺すべきね」
朦朧とする意識の中、振り下ろされた剣に対し、身動きできないティナはグッと目をつむるしかなかった。
ーーだが、ティナの体は一向に斬り裂かれず、いつまで経っても剣は落ちて来ない。
まだ少しぼやける目を開けたティナが見た光景は、今まで戦っていた桃色の長い髪を降ろした少女の腕を掴む、正反対の寒色となる水色のショートヘアと無機質な表情を持った少女だった。
「何すんのよアルミナ! コイツを生かすと後々絶対厄介になるわ、いくら"姉"でも怒るわよ!」
アルミナと呼ばれた少女は、怒る妹の腕を尚も離さず氷の様に落ち着いた声で返答した。
「無益な殺傷は摂理を乱すだけ。現段階においてこの騎士を殺害するメリットは0に等しい、むしろ生かして我々の存在を伝達させた方が功利的」
やや堅い喋り方で行動を全否定された妹は、また感情的に返している。
アルミナという少女がどこから現れたのか、二人の正体はなんなのかと疑問は尽きないが、一先ずティナは傍に落ちていた剣を杖代わりにようやく上体だけ起こした。
二人の少女はしばらくティナを余所に言い争っていたが、意見がまとまったのか妹の方が剣を鞘にしまった。
「いいわ、今日のところは生かしといてあげる。そして刻みなさい! 私達の名をーー」
桃色の髪の少女が左手をバッと横に伸ばし、世界に存在を誇示するかのように堂々宣言した。
「我が名はエルミナ・ロード・エーデルワイス! 吸血鬼王の子孫にして、人類国家転覆を執行する革命集団、『プラエドル』の長なり!!」
エルミナの覇気が宿った宣言に、ティナはその場でただ呆然とするしかなかったが、出ててきた『吸血鬼』や『プラエドル』という単語は、頭の奥底にしっかりと焼き付けていた。
数秒の沈黙を破って、先頭車と2号車の連結部から二つの人影が飛び出した。
「ーーティナから、離れろぉッ!!!!」
激昂した様子でティナの後ろから二人の吸血鬼に斬り掛かったのは、漆黒の髪を振り、ティナと同じ《ストラトアード》を携えたクロエだった。
突然の奇襲を難無く避けたエルミナとアルミナに、《七五式突撃魔法杖》からフィリアが『レイドブラスト』を一点集中で撃ち込む。
轟音と共に列車が激しく揺れ動き、爆炎が上がるも、黒煙の中からは煤すら付いていない二人の吸血鬼が悠然とした姿で現れた。
「援軍か......今日はここまでね。目的の物も手に入ったし、あんたとの決着は保留にしたげる。じゃあまたね」
それだけ言い残すと、二人の吸血鬼は無数のコウモリとなって忽然と姿を消してしまった。
爆発跡だけが残る中、クロエとフィリアの二人が慌てて駆け寄って来た。
「大丈夫ですかティナさん!? 肩を!」
「なんなのさ、あいつら......。爆発魔法もまるで効いてなかったし、訳分かんないよ」
武器をしまい、ティナは二人に手伝ってもらいながらヨロめきつつなんとか立ち上がる。
「あいつらは人間じゃない......吸血鬼よ。それに"プラエドル"って言ってた。そんな名前聞いたこと無いけど」
「ッ!?」
クロエの体が微かに揺れ、彼女の表情が途端に重くなった。出会ってから初めて見せる顔だった。
「クロエ......どうしたの? 顔色悪いけど」
「ーーいや、何でも無い。とりあえず車内に戻ろ、影はもう全部倒しといたから大丈夫だよ」
そう言ってパッとした笑顔を見せるクロエ。
「そう......なら、よかッ......」
「ティナ!?」
「ティナさん!」
吸血鬼やプラエドルという現実味の欠片も無い単語と、一日中続いた戦闘による疲労とダメージ。ティナの身体はとうに限界を超えていたのか、彼女の視界は暗転、眠り落ちるように気絶してしまった。
ティナの意識はここで途切れ、彼女が目を覚ますのはおよそ三日後の朝。アルテマ駐屯地内にある軍医療施設のベッドの上である。
多くの負傷者を出した、後にアクエリアス争乱と呼ばれるコレは、表向きには脱走した敵対生物群を王国軍が鎮圧し、主催者でありながら安全面の配慮を怠ったゴウンの逮捕という形で収束。
裏では、自らを吸血鬼であり『プラエドル』という集団を名乗ったその少女達と組織の存在の確認。
さらに、警備が駅への増援で緩くなった瞬間に起きたルナクリスタルの強奪(軍情報部は、列車襲撃は陽動で本命がこちらとの推測を立てている)でその幕を閉じた。