第25話 一難去って......
白色の建築群が建ち並ぶアクエリアスの市街を穿つ様に、水上列車は高架橋の上を馬の倍以上はあろう速度で走行していた。
その車内、ガタゴトと揺れる客席の上でクロエ、フィリアを前に、ティナは拾った子猫ミニミとじゃれあっていた。
「ニャアー」
「にゃっ、にゃーにゃー。にゃーにゃ......」
「ミャアー」
猫語が通じているのかいないのか、ミニミはただティナの発する声に反応して小さく鳴くだけだが、ティナにはこれがたまらないらしく、戦闘の疲れを先程からこんな感じでずっと癒していた。
あの後、衛生科の治療を受けたティナは爆発魔法で軽傷を負ったクロエ、そして無傷のフィリアを付き添いとして王都へ戻れとの指示を受けていた。
ミーシャとルノは片付けや救護等で一旦アクエリアスに残り、ティナ達は列車で海軍基地まで移動した後、輸送艦によって海路で帰還せよとの事だ。
「おや、随分と可愛らしい声が聞こえてくると思ったら、クロムウェル騎士長もこれに乗っていたのだな」
通路から声を掛けて来たのは、先のレッドオーク戦において共闘した第五警戒小隊の隊長であった。
この列車に現在乗っているのは、大体が戦闘で発生した負傷者だ。彼の率いる部隊、そして彼自身も損害を被っていたので、これに乗車していたらしい。
「ッ!? しっ、失礼しました! つい夢中になってしまい、周りが見えていませんでした!」
ティナも同じ小隊長とはいえ、階級の差は歴然。慌てて立ち上がり謝罪した。
「いやなに、苦情を言いに来た訳じゃないさ。むしろその逆だよ。あれ程の相手を前に引けを取らず、民間人の死者を0に抑えながら勝利した君に、私や部下はいたく感嘆しているんだよ」
戦闘中とは打って変わった優しげな口調と、予想に反した労いに、ティナは思わず安堵の息を着いた。
「治療されたといっても、君が受けたダメージは大きい。王都に帰ったらお互いしばらく療養だな。ところでーそちらの二人は?」
小隊長は、初見となるクロエ、フィリアの二人を見ながら手を向けた。
ここで指を指さない辺り、この隊長は人間として、とても良く出来ている事が伺えた。
「ハッ! 東方方面軍第一師団、第一遊撃連隊隷下、第三大隊第一中隊、第三遊撃小隊所属のクロエ・フィアレス二等騎士です」
「同隊、フィリア・クリスタルハート二等騎士です!」
二人は席を立ち、姿勢を正しながら所属を言うと同時に敬礼する。
特にクロエの自己紹介は、やたらと長い隊名を一切噛むこと無く、流れるように言い切っていた。普段の態度からは想像もつかない真面目な身振りだ。
「遊撃......なるほど、君達が最近新設されたという即応部隊だったのか。随分と年若いんで一瞬心配したが、この様子ならば問題あるまい。お邪魔したな。ではそろそろ戻るよ、あんまり長居すると部下に怒られかねないんでね」
彼は三人に答礼すると、隣の車両へそそくさと戻ってしまった。
「ーー可愛らしい声だってさ、良かったじゃんティナ」
「やっ、やめてよ恥ずかしい! あんたこそ、普段とは反対の真面目な態度取って......、普段からその調子なら私も苦労しなくて済むんだけどなー」
"真面目"という単語が耳を突いたのか、クロエは思わず耳を抑え、外部からの音をシャットダウンしようとしたのだが、そこへ幼なじみであるフィリアが追い撃ちを掛けるように話し始めた。
「クロエさんは昔からとても真面目なんですよ、ちょっと隠し事が多い気もしますが、実はとても繊細で一番......ムギュッ!?」
何かを言おうとしたフィリアの口と手を、顔を真っ赤にしたクロエが慌てて押さえ、その体をCQC(近接戦闘術)でがんじがらめにする。
「いやー、次はどんなイタズラしようか? この無防備なお腹をこしょばすのもいいなー」
「え!? いやっ......ちょ、待っ」
フィリアは脱出しようと極小の爆発魔法を必死で繰り出そうとするが、クロエが触った魔法陣は形を保てず、形成した瞬間から崩れてしまっていた。
漆黒の瞳は本来とは違う紫色に輝いており、ティナがいつか教官室で盗み聞き、先程本人も明かしたスキルを使っているようだった。
『マジックブレイカー』。この能力はクロエにのみ発動できる固有スキルだ。名前通り、魔法具現化の源たる魔法陣への干渉や、投擲物等にその力を付与する事も可能だという。
このスキルは非常に強力かつ稀少であるが、固有という特製上二人同時にこのスキルを持つ事は無い。
よって不特定多数、又は血縁関係の者のいずれかから受け継いだはずなのだが、唯一彼女が口を開かなかったのは、その能力"を誰から受け継いだか"であった。
ティナが一度尋ねたところ、これに対してはお茶を濁されるばかりで全くと言っていい程教えてくれない。
結局前回盗み聞いた時と同じく、関係がもっと親しくなってからでも遅くはない、というところで落ち着くしかなかった。
「ほれほれ~、フィリアは昔っからお腹が弱いんだからー。分かったら私が真面目なんて嘘は撤回するがよい!」
「アハッ、アハハハッ! 嘘着きはクロエ......さ、あっ、アハハハハっ!! 分かった、分かったからあ! クロエさんはとっても不真面目ですからー!」
見る人が見れば何か勘違いされそうな絵面である。
ふと、ティナは入隊試験当日にフィリアが魔法を隠そうとしたのでくすぐった記憶を思い出した。
クロエもくすぐってやれば素直に教えてくれるのではないか。そんなことを考えつつ彼女の脇を狙った時だった。
「ハアッ......ハアッ、あれ? この列車の天井ってあんなに黒色でしたっけ?」
くすぐったがって上を向いていたフィリアが、疲れを伴わせながら呟く。
前に突き出していた手を止め、ティナも直上を見上げるが、そのおぞましい光景に思わず絶句してしまった。
列車の天井一面が、黒い染みの様な模様で埋まり、そこから雨漏りにも似た大きなしずくがボトボトとこぼれ落ちてくるのだ。
それがただの雨漏りなら無用な心配だが、床へと落ちたそれは人の形を成し、肉食獣よりも獰猛な勢いをもって乗車していた人間へと襲い掛かった。