第23話 VSレッドオーク
「急いで! 急いで東の軍施設へ! ここは危険です! 早く逃げてくださいッ!!」
アクエリアス市内の大通り。王国軍第三遊撃小隊ミーシャ・センチュリオン一等騎士は、上司たるティナの命令通り、眼前の脅威から市民を逃がすべく一層声を張って誘導に勤めていた。
悲鳴と叫喚が入り乱れ、自身までパニックになりかける度、体を包む軍服で沸き上がるそれをひたすらに押さえ付ける。今にも崩れ落ちそうな平常心は、自らが騎士であるという職業上の支えと、今この瞬間も命懸けで時間稼ぎを行う上司の奮闘により保たれていた。
「ゴギュルルルルルルルルルアァッ!!!」
大会運営がこしらえたであろう巨大な根棒。振り回される圧倒的な暴力を、先程からティナは紙一重で何度もかい潜ってはレッドオークの脚部に剣を突き立てていた。
その数は十を軽く超えていたが、敵は一向に弱まる気配が感じられない上にますます動きが激しくなる。
「っ......、ハアアァァアッ!!」
ティナは叩き降ろされた赤い巨腕を横に避け、手首から沿うように肘まで一閃なぞるように斬るが、飛び散ったのは鮮血では無く火花だ。
「硬いっ......!! ならっ!」
再び懐に突っ込んだティナは、最も柔らかいと思われる脇腹目掛けて切り込んだ。
彼女の予想通り、脇腹の肉質は腕に比べて明らかに柔らかかった。
当然反撃も返ってくるが、スピードで上回るティナを正確には捉えられず、空振るか石畳を砕くばかりだ。
「隊長! 大通りにいた人達の避難はほとんど完了しました。我々も引きましょう!」
誘導を終えたミーシャがティナの方を向き言う。
我彼の戦力差を見れば妥当な判断だった。コロシアムに人が集まっていた事も合わさり、予想されていたより街中の人間は少なかったので、避難も円滑に進みこれ以上留まる理由は無かった。
「わかった! すぐに退避......待ってミーシャっ!! まだ人がいる!!」
丁度ミーシャとティナの間ぐらいだろうか、脇の家屋から女性が一人出て来たのだ。荷物を持ってから逃げようとしたのか、その背にはリュックが見える。
いずれにしろ、最悪のタイミングに違いは無かった。
「ゴルルアアアッ!!!!」
見逃される筈がなかった。レッドオークの眼光は女性を捉え、驚異的な瞬発力で肉薄せんと一気に距離を詰めた。
「えっ! やっ!!?」
「どいてっ!!!」
根棒の芯が女性に迫った瞬間、武器を捨てたティナが全速でレッドオークを追い抜き、身動きできずにいる女性をその場から蹴り飛ばし、無理矢理攻撃から逃がした。
だが、これでティナは敵の攻撃範囲に自ら飛び込む形となってしまった。
女性を後ろに逃がした瞬間、薙ぎ払うように振られた巨大な根棒がティナの体を真横から殴り付けた。
「ぐッ......がはッッ!?」
脇腹から衝撃と激痛が走り回り、体中の感覚が一気に麻痺した。
嗚咽を上げる間に家屋の壁に激突し、音を立てて崩落した瓦礫と一緒に地面へと倒れ込んだ。
「あっ......う......」
「隊長ッ!!!」
女性を逃がしたミーシャが、血相を変えて瓦礫の中からティナを抱き起こした。何度も問い掛けるが、気を失っており返事はほとんど返って来ない。
「いくら騎士とはいえ......、どうして他人の為にあんな無茶を!」
急いで気絶したティナを担ごうとするが、日を遮って夜のように黒い陰が二人を覆った。
「ゴギュルアアァァァァアアアッ!!」
敵は決して待ってくれない。赤一色の化け物が手に持つ武器を振り上げ、とどめとばかりに眼前の騎士へ叩き落とす。
ーー防御が間に合わない。
思わず目をつぶり、各が死を本気で覚悟した時だった。
「うおおおおおらあああああああっ!!!」
突然張った男性の声と、硬質のもの同士が激突した衝突音が耳を貫いた。
目を開けると、レッドオークの根棒がグルグルと宙を舞い、持ち主すらも大きくのけ反っていた。
ティナとミーシャを救った横槍の正体は、同じ様な青と白が基調となった王国軍の制服を纏う男性騎士だった。
彼らはここ、S区域から最も近いR区域を担当していた第五警戒小隊。逃げ来る市民の波から異変に気付いたのだ。
「俺達で時間を稼ぐ! 早くそいつに『回復ポーション』をぶっかけろ!!」
後続には十人弱の騎士が続々と続き、レッドオークと対峙する。
ミーシャは持っていた回復ポーションを、言われた通りティナの頭から直接浴びせる。
回復ポーションには主に二つの使い方がある。一つは飲むことで体内から時間を掛けて回復作用を促す。もう一つの使用法は、そのまま外側からかける事で多少の傷を短時間で直せるが、後者はあくまで応急処置的なものに過ぎない。
「んっ......げほっげほっ! あ......れ、ここは?」
意識は取り戻したのの、ダメージで記憶が混濁しているのか、十秒程掛けて周囲と自身の状況をティナは思い出し、大体を把握した。
ポーションのおかげか思ったより痛みは少なく、十分動けそうだった。
「囲んだぞ! このまま袋叩きにしてやれっ!」
「了解! おいマック、同時に切り込む......ぐあぁっ!?」
ティナと引き継いで戦闘を行っていた第五小隊が、レッドオークの包囲に成功したものの、理不尽なリーチを持った根棒と力業で、強引に陣形を蹴散らされた。
このままでは自分と同様、誰かが大ダメージを負うのは確実だった。
そんなことは絶対にさせない、させてたまるかとティナは全快しきっていない体に鞭打ち、手負いとは思えない動作で地面を蹴った。
「ミーシャ! 借りるわよ!!」
「えっ!? 隊長それは!」
体勢を崩した第五小隊に、レッドオークがさらなる追撃を浴びせようとした時、駆け出したティナがミーシャの持っていた、空気に反応するらしい対貴族用『爆発ポーション』を、レッドオークの顔面目掛け全力で投擲した。
「当たれえええぇぇぇッ!!」
頭部に命中したポーションは、容器が割れた瞬間まるで榴弾を彷彿とさせる爆発を起こした。
爆発の熱や衝撃はもちろん、弾け飛んだガラス容器の破片がレッドオークの皮膚や鼻、右目をハリねずみの表面がごとく無数に突き刺した。
「ガギュルアアアアアアァァッッ!!!??」
突然視界の半分を奪われ、鼻を焼かれる痛みと強烈な不快感を覚えたレッドオークが、無事だった左目でティナをギッと睨みつける。
今度こそ虫の様に叩き潰し、失った右目の恨みを晴らさんとすべく、腹の底から咆哮を上げて襲い掛かる。
武器も持たぬティナに為す術など無い。ドス黒い怒りを乗せた一撃が彼女を襲う刹那、その身を焦がす様な憎しみは、本当に身を焼く灼熱の業火によって再び顔面ごと焼かれた。
「なんで他人の為にそこまでッ......!」
頭を抱えながら暴れ馬のように悶え苦しむレッドオークとティナの間、この炎を撃ち放った者。亜麻色の髪を火の粉混じりの風に揺らし、深紅で満たされた瞳を持った少女が立ちはだかった。
「分かりませんよ! 他人相手に平気で身を投げ出して、部下の代わりに無茶をやる。たとえ傷付き倒れたとしても決して守る事を諦めない......。ここまで行動で示されたら、私なんて職務怠慢もいいところじゃないですか!」
波打つ炎を剣筋に走らせ、ミーシャは続けた。
「本当幸先不安ですよ、よりにもよって一番苦手な性格の人間が上司なんですから、でも......、だからこそ死なせるわけにはいかない! 私がその気持ちを理解できる瞬間まで!」
刀身をほとばしる炎と舞い散る火の粉。これこそが彼女の持つ能力だった。
「その魔法......いや、今はいいわ。ありがとうミーシャ」
「おっ、お礼なんていりません! 当然の仕事をしたまでです。それより隊長、このあとどうするんですか? あいつ予想以上にタフですよ」
「確かに全体で見れば硬いけど、腹はそこまで硬質じゃない。それに、次はあなたも手伝ってくれるしね。問題は......」
レッドオークの傍に横たわる剣、ティナが市民を逃がす間際に投げ出してしまったものだ。あの化け物相手に素手で挑むのはあまりに危険過ぎる。
どうにかして取り戻せないか思考していると、後ろからポンッと誰かが肩に手を置いた。
「これを使ってくれ。今の俺よか有効活用できるだろ。もし壊したら、一緒に武器科の奴らの小言を聞いてくれよな」
そう言ってティナに剣を渡したのは、第五警戒小隊の隊長だった。
彼は戦闘で負ったのか、出血した右足を痛々しくひきずっており、とても戦闘を継続できる状態では無かった。
「ッ......分かりました、その際は是非ご一緒させていただきましょう。ありがとうございます!」
後で揃って怒られよう。つまりは、こんなところで死ぬなというメッセージだった。
想いと共に剣を受け取ったティナは、グリップを握りしめると深く深呼吸した。呼吸を落ち着け、息を整える。
見定める目標はただ一匹、危険指定ランク【C】を誇るレッドオーク。身体に血をたぎらせ、目指すは一点。敵の弱点たる腹部。
「突撃用意......前えッ!!」
ティナとミーシャが大地を踏み砕く勢いで飛び出す。もう何度攻撃を阻止されたか分からないレッドオークは、凄まじい速度で走り向かって来る二人の敵に対し剛腕と根棒で迎え撃った。
「だあぁッ!!!」
無茶苦茶に振り回される根棒をミーシャが炎剣で弾き、生まれた隙にティナが剣激を腹部へ叩き込む。
「でやあっ!!!!」
同じ部位を何度も砕き斬り、全力をもって一撃を与える。
レッドオークの断末魔は激しく響き、耳が痛くなろうとも決して止めない。
そして、ミーシャが火力を剣筋に集中させ火球を作り出すと、レッドオークの顎下に全身全霊の痛撃を加えた。
「『ヘルファイア』!!!」
爆発魔法にも等しい熱量と衝撃を真下から食らったレッドオークは、大きくのけ反りついに満身創痍の体となった。そこへ、ティナ・クロムウェルが最も柔らかい腹部から肩口へ向けて一気に斬り上げる。
「ハアアアアアアアアアァァァァァッッ!!!!!」
意地と根性で動くボロボロの体で剣を押し、血の滲む口から覇気に満ちた声を轟かせたティナの斬撃は、逆さに走る雷の様にレッドオークの胴体をえぐり斬った。
激しい音と地響きを立てながら、レッドオークはその巨体を地へと着ける。
一瞬の静寂が辺りを包み、刹那の時を様々な思考が駆け回る中、沈黙を破りレッドオークの身体は跡形もなく消滅した。
「ーードラケン03よりマーキュリーへ、S区域にて敵対生物レッドオークの討伐に成功、繰り返す討伐に成功。負傷者多数なれど死者、民間人犠牲者は無し。オーバー」
戦闘で壊れてしまったティナのテスラに代わり、ミーシャが通信で撃破の知らせを声を震わせながら送る。
『こちらマーキュリー。了解した、先程《02》より同区域裏通りでスケルトンメイジの殲滅に成功したとの知らせがあった。コロシアムに展開していた本隊も優勢に立ち、現在掃討戦に移行している。衛生科の到着までその場で待機せよ、オーバー』
「03了解、アウト」
通信を終えたミーシャは一息着きつつ、ティナに内容を報告する為歩き寄ったのだが......。
「ありがとねミーシャ、私の仕事なのに代わってもらっちゃって......」
見れば、ティナは石壁を背にもたれながら呼吸を荒くし、ニーハイソックスに覆われた細い足も小刻みに震えている。
脇腹を押さえながら崩れかけた作り笑顔を見せてはいるが、口元からは血が一筋流れており、彼女自身それに全く気付いていない様子だ、それほどまでにダメージを受けていたのだろう。
「隊長......もう立ってるのもやっとじゃないですか! すぐに治療しないと!」
一度座らせながら、持っていたハンカチでティナの口元に付いた血を拭うと、やはり聞かずにはいられなくなった。
「どうしてあんな簡単に身を投げ出すんですか!? 痛くないんですか!? 怖くないんですかッ!? これじゃあ私の"両親"がそうなったように、ティナもいつかっ......いつか!!」
涙目になりながら訴えるミーシャの頭を撫でると、ティナはこの質問に至るミーシャの過去と想いを感じ取りつつ、笑顔を崩さずにか細い声で言った。
「すっごく怖いしすっごく痛いに決まってるじゃない、でもね...私のお父さんがそうであったように、私もなりたいの。人を守れる人に......」
まただった。父親が騎士であった頃なんて記憶すら無いのに、まるで見てきたかの様に語ってしまった。
過去に自分がそうしてもらったかのように。
ーー知らないはずなのになぁ......。
また言っちゃったなんて思いながら、ティナはそのまま酷く荒れた石畳へと仰向けに倒れた。
「隊長!?」
「あーもう、何が戦闘とは無縁の後方なのよ! 王都に戻ったらエルド少佐からたっぷり休暇もぎ取ってやるんだから!」
ミーシャの心配をしり目に、ティナは唯一の上司である男に愚痴を漏らしながら視界いっぱいに広がる蒼天を見る。
騒乱の音もいつのまにか聞こえなくなり、ティナの耳に届くのは透き通った風の音と周囲にいる騎士、一匹の子猫の声だけだった。