第1話 ストラスフィア王国
長きにわたり平和を謳歌していた大陸に栄える国家、ストラスフィア王国。今そこには、人の言う平和とは程遠い光景が広がっていた。
「ーー答せよ、応答せよッ!!」
空は黒煙に包まれ、その煙の発生原たる火災から火の粉が舞いあがる中。騎士達の怒声、それに混じり時々雷鳴にも似た爆音が周囲に響き渡る。
「本部、こちら第七戦闘団、最終防衛ラインへの展開完了しました。前方にいた阻止中隊からの連絡が先程途絶。最後の報告によれば、敵は間もなくこちらの目視圏内に入ります」
『第七戦闘団、こちら統合迎撃部隊本部。同防衛線は敵部隊が射程に入り次第効力射、並びに魔法による同時攻撃を開始せよ。これ以上の後退は認められない、何としても食い止めろ!』
普段ならば穏やかな景色が拝めるこの丘には、現在敵の侵攻を食い止める為の防御陣地が構築され、数千人以上の騎士や魔道師、さらには数十門に昇る大砲が展開していた。
『海峡要塞より王国海軍へ、監視塔より水上都市方面へ侵攻する巨大な物体を確認したとの事。数は六、サイズは巡洋艦級です』
『了解しました、第一戦闘艦隊を迎撃に向かわせます。引き続き警戒監視を行ってください』
通信用魔道具からは、要塞や軍本部に、洋上で作戦行動中の艦隊など様々な部隊の通信が引っ切りなしに聞こえてくる。
だが、その都度大陸のあらゆる場所で戦闘が行われているのが伝わった。
「敵影視認! 繰り返す、敵影視認! 数は......ダメです数え切れません、恐ろしい数です!!」
見張りの一人が叫ぶと同時、とてつもない数の敵とおぼしき影がまるで波の様に丘の麓へと押し寄せてきた。
不気味すぎるその光景に、背筋がゾッとし冷や汗が噴き出すが、自らの身を包む軍服で無理矢理それを押さえつけた。
「戦闘団長より各中隊へ、最終防護射撃用意! 砲兵大隊は弾幕展開準備、魔導師部隊は炸裂魔法の詠唱を行え!!」
砲兵が大急ぎで照準を調整し、魔導師達が一斉に魔法の詠唱を開始した。
「敵の前衛は?」
「ハッ! オーガにトロール、それから武装したゴブリンを多数確認済みです。数は不明」
そう、今王国軍が交戦しているのはこれまで想定を行ってきた人間が相手ではない。
常識とは掛け離れた異形のモンスター群であり、数や質でも一国の軍隊に匹敵していた。
そんな恐ろしい敵がいきなり現れ、人里を目指して真っ直ぐ突き進み進撃してくる中。王国は万が一他国が攻めて来た時の場合に備えて軍備を整えていた為に、不意を突かれながらもギリギリで持ちこたえる事に成功していた。
自国民を守るのは国家の責務であり、その責務を果たす為に軍隊が存在する。
今、その責務を果たせるか否かがこの国の軍には問われていた。防衛線を突破されれば後方にいる戦う術を持たぬ民間人が襲われるのは明白であり、それは国家崩壊の序章へと繋がるだろう。
それだけは避けなければならない。なんとしても守り抜くという強い意思は、現場にいる全ての戦闘員が戦場から逃げない大きな理由の一つとなっていた。
無数の怪物群が大砲の射程内に、続いて魔法の射程内へと入る。
既に弾込めも魔法の詠唱も終わり、残るは戦闘団長の合図を待つのみとなった。
「弾幕十秒前!!」
敵が有効射程内に入ったからといっても、そこですぐに撃ったものが当たるとは限らない。
確実な有効打を与えるにはこちらの攻撃が100%当たる場所に敵が来るまで待ち続けなければならず、それが出来なければ中途半端に敵が残り、逆に反撃を食らってしまうだろう。戦いではそういった我慢がとても大事になってくるのだ。
「五秒前......、三、二、一ーー」
そして、敵が遂に念願のキルゾーンに入ったのを確認すると、その場の全員が待ち望んだ命令が下った。
「斉射用意......撃てっ!!!」
各中隊長の合図で、横並びの大砲が一斉に火を吹き大音量の爆音を戦場に響かせると同時、百人以上の魔導師部隊による大規模攻撃魔法が繰り出された。
撃ち出された大量の砲弾と魔法が空中で入り混じり、様々な色彩を放つ光の雨となって広範囲に降り注ぐ。
その美しい光景とは裏腹に着弾した個所は大爆発を起こし、地面ごと怪物群を吹き飛ばした。
◇◇◇
ストラスフィア王国が敵対生物と呼ばれる魔物と交戦を始めて二年の月日が流れた。戦線は拮抗し、王国軍は多大な損害を出しながらもなんとか街や要所への侵攻を防ぐことに成功していた。
そんな一応の平穏が保たれた王都。
太洋に面したこの街はこの国一番の賑わいを見せており、石畳の上にはオシャレな木組みの家々が建ち並んでいる。その郊外に佇む古い一軒家の二階。
寝室になっているその部屋は窓の配置が良く、朝日が差し込むと部屋全体が明るくなりそこで眠っている者を夢から覚ました。
自信の体温で程よく温まった布団をめくり体を起こすと、まだ寝ぼけて視界がぼやける中、目を覚ます為に日差しの差し込む窓の方へと向かい、それを静かに開けた。
「んっ......眩しい、もう朝なのね」
透き通る様な青空の下。窓からまだ眠そうな顔を出したのは、朝日に当たり金色に輝く髪を背中まで伸ばし、薄い緑色の碧眼を持った十三歳程のまだ幼い少女だった。
彼女の名はティナ・クロムウェル。小柄な体型で、顔つきもまだ年若いことから体を包む猫柄のパジャマが幼さを一層引き立てている。
彼女は自身の寝室の窓を開け、朝の澄んだ空気を吸い込みながら眩しく照らす日差しを身に浴びていた。
「さてっと、目も覚めたしそろそろ着替えよっと」
ティナは一通りの日光浴を済ませると、朝の身支度を整えるべく部屋に戻った。ベッドの側に置いてある服を一式取りだすと。鼻歌を歌いながら着ていたパジャマを脱ぎ、外用の動きやすい普段着にサッと着替えた。
彼女の一日はこうして目覚ましと着替えを終えた後、美味しい朝ご飯を食べる事により始まるのだ。
着替えを終えたティナが食事の為ドタドタと階段を下りて一階の台所に行くと、そこにはボサボサの茶髪と鼻の下に髭を生やした大柄な男が、何を探しているのかモソモソと棚を漁っていた。
「おはようお父さん、朝ご飯もう出来た?」
ティナにお父さんと呼ばれた男は、返事をするために顔を棚から引き出した。
「ああ、おはようティナ、よく眠れたか?」
「うん、眠れたけど......。っていうか、なんで棚なんていじってるの?」
ティナが疑問を抱き父親に質問するが、皿も何も置いてない机を見れば、嫌でも返答が帰って来る前に状況に気がつけた。
「朝ごはん......、買い忘れたの?」
寝起きでまだどこか抜けている父に、ティナが呆れた様に言うと。
「いやー、昨日は古い友人と遅くまで飲んでてな、酔ってそのまま寝ちゃって......」
苦笑いしながら言い訳をする父に。
「それでも規律ある元"王国軍の騎士"だったの? それとも、また新手の抜き打ち訓練?」
「いいや、本気で忘れた」
言い切りながら首を横に振る父を見てティナはため息を吐くと、しょうがないとばかりに椅子の上に置いてあったバッグを持ち外に出た。
「おお、愛しの娘よ、代わりに買って来てくれるか!」
木で作られた玄関の戸を開け、家の中で期待に満ちた顔をする父へ振り返ると、そのまま腕を後ろにまわし。
「その代わり、今日のトイレ掃除と交換ね」
っと、悪戯っ子の様な表情で言い放った。突き付けられた条件に唖然とする父を置いて、ティナはそのまま市場へと向かうべく歩き出した。
ティナの住む家から十分と歩けば、この街で最も活気のある商区に到着する。
ーー王都中央通り。ここは、花の香りや肉の匂いに吊られ、その時々の用を済まそうとする買い物客で常に賑わいを見せている。
色とりどりの建物に挟まれた街道の先には、この国の王族が住まう巨大な王城がシンボルとしてそびえ立つ。
そんな賑やかな中央通りの石畳を、買い物バッグ片手にティナは歩いていた。
「えーっと、タマゴとパンとミルクがあれば十分よね? あとなるべく安いのを......」
っと、家の経済状況を考えながら、特に安い店の商品を選んでいく...すると。
「らっしゃいらっしゃい! 今朝取れたての新鮮なタマゴが、今ならなんと半額に! ラスト五箱、早いもの勝ちだからねー!!」
「「「「「半額!?」」」」」
店員の半額宣言が市場中に響き渡る。
思わず目を輝かせ、トーストに目玉焼きを乗せられると感極まったティナだが、既に周囲にいた客達はまだ早朝だというのにも関わらず、店頭のタマゴへとダッシュで駆け出していたのだ。
「あんたどきなさいよ!」
「あんたこそ、そのでかい体邪魔ね!!」
「両方邪魔なのよ! おどき!!」
血の気の多い朝の買い物客たちの怒声が市場にこだます。
皆出費は出来るだけ抑えたいのだ、その中で放たれた半額という言葉は、まさしく悪魔の囁き同様の威力を持っていた。
当然ティナも先を越されまいと駆け出す。
「ここ!!」
ティナは石畳を思い切り踏みつけ矢のごときスピードで突っ込むと、手前で飛び込みまだ小さな体を最大限利用しながら、人の隙間を縫ってタマゴの入った箱へと手を伸ばした。
「よしっ! 取った!!」
その場の誰よりも早くタマゴの箱を掴み取ったティナは、朝食に卵の追加が確定し、空中で勝ち誇った様に笑みを浮かべた。
そこまでは良かった。
直後、騒がしい音と共に棚の商品が崩れ落ち、店の奥に一瞬にして山が積み上がった。
「「「「「ーーえっ!?」」」」」
突然の出来事に、さっきまで怒鳴り合っていた買い物客達も一斉に静まり返る。
そう、ティナは箱を取る所までは良かったものの、飛び込んだ時の勢いを殺せずそのまま店の奥に突っ込んでしまったのだ。
「いったた...。やっちゃった」
「あのーお客様、大丈夫ですか?」
商品の山に埋もれたティナに、店員が恐る恐る話しかけてきた。
周りの視線が集まる中、商品の山から顔を出したティナは困惑する店員に顔を真っ赤にして。
「あの、すみませんでした。普通の値段で.........買います」
「はっ、はい......一パック百スフィアになります」
崩してしまった商品の分を考えるともっと高くつくはずだが、店員の情だろう。うれしいが、申し訳ない気持ちと一緒に恥ずかしさが込み上げてきた。
ティナは顔を真っ赤にしながらお金を払い、急いでその場から立ち去ろうとすると。
「お嬢ちゃんすごい身体能力だねぇ......。これなら冒険者ギルドでも十分活躍出来るんじゃないかな?」
店員が別れ際に冗談っぽく呟いた。