1話
僕は弱い。酷く弱い。
だけど、だけどね。僕は世界が酷いとは思いたくないんだ。
確かに僕は他の人と違うかもしれない。それでも僕には世界が酷いとは思えない。優しくしてくれる人がいる。他の人と同じように接してくれる人がいる。僕には、僕なんかにはそれで充分だ。それで充分嬉しいはずなのだ。それは僕にはわからないけれど。すべての人が悪いわけではない。そう思わせてくれるはずなのだ。
普段、病院の窓から覗いていた世界は眩しかった。僕は影から覗いていただけで本当のところはわからないけれど、世界は僕が憧れていたよりいいものではなかったのかもしれない。
それでも、僕は
世界は素晴らしいものである
そう思いたかった。
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「行ってきます」
そういってドアを開け、そう言うと家のなかから「いってらっしゃい」と、女性の声で返事が帰ってくる。母の声だ。
僕の目線よりも高い位置にある鍵穴に、鍵を差し込み家の鍵を閉める。
僕は珍しく私服姿だった。
今日は肩ほどある後ろ髪は束ねてあり、顔立ちが中性的であるためにあまり男っぽくはない。多分、女装してメイクしたら女にしか見えなくなると思う。と言われるがそんなことはないと信じたい。文化祭で女装させられて男の人に可愛いと言われたのは夢なのだ。夢に違いない。だがらクラスの女子が悪ノリしたのも気のせいなのだ。そう、そうなのだ。そ、そうであってくれ…
季節は秋となり、鮮やかに色づいた葉っぱは道の端へと寄せられて黒一色だった道路は枯葉によって赤や黄色、茶色などカラフルに染められている。
そんな道路に手を動かし、乗る。
そこに足音はなく、聞こえるのは車輪が道路を走る音。
そう、僕は歩くことができない。
厳密に言うと歩くこと自体はできるが、歩くための筋力が足りない。昔から体が弱く最近ではほとんど寝たきり状態なため、足の筋力は落ちきってしまっている。
昔は歩けていたのだが、そのうち歩けなくなった。毎度その分の筋肉はつけようとしていたのだが筋肉を戻している最中に体調を崩し、戻しまた崩すということを繰り返し二、三年前には歩けなくなっていた。
だから、車椅子での生活だ。もう長い間車椅子生活だからさすがに慣れた、慣れてしまった。
そうこうしているうちに駅前につく。
「あ、弥生さん。ごめんね、待たせちゃったかな」
僕が声をかけたのはショートボブな黒髪の平均ぐらいの慎重な子。可愛らしいという表現が似合う子だ。
「ううん。ごめんね、啓くん。出てくるのも大変だよね」
「そんなことないよ」
「なのに…私、こんなところに呼び出して…相談してばっかで…ほんと私なんか──」
そう言っている弥生さんの手を僕は両手で包むように握ると弥生さんはそれより先を言うことをやめた。だが彼女はやはり顔を伏せていた。とはいっても僕の方が目線が下だ。暗い表情をしているのが見てとれる。
「私なんか、なんていっちゃダメだよ。僕がしたいから出てきてるんだよ。こういう機会でもないとお母さん、外に出してくれないしね。それに相談されると世界が広がる気がするんだ。僕の知らないところを知ることできる、みたいな?そんな感じ」
僕はそう言って弥生さんに対して笑いかける。ニコッという表現以外に正しい表現はないくらい綺麗に笑っていると言われるのだが、自分の笑顔なんてそこまでマジマジとみたことがない。
「だからさ、僕は好きで君の相談を聞いているんだよ」
「…そうだよね、ごめんね。私なんかなんて言って」
「僕に言わなくていいよ、謝るのは僕へじゃなくて君自身にだよ」
僕は再び言い聞かせる。
「うん、そうだね。ありがとう」
そう言って彼女はにっこり笑った。去年の彼女とは大違いでなによりだ。
まあ、あの頃は弥生さん、いじめられて不登校だったからなあ。…まだ、いじめられてるんだけど。…でも学校には来るようになって友達もできたみたいだからまだ良しとしよう。これも僕の長い説得の成果だ。
「とりあえず行こうか、買い物だったよね?」
「うん、渋谷の方まで」
「了解」
僕が敬礼をして返事をすると、クスッと笑って後ろへと回り車イスを押してくれる。
そうして僕たちは渋谷へとついた。人が多いため僕は進みにくいが案外避けてくれたりもして思ったよりは進みやすかった。
そうして僕は彼女の買い物に付き合い、そうしているうちに昼頃になっていた。
電車内だけでなく僕は彼女の話をただひたすら聞き続けた。その内容は相談事から雑談までさまざまなことを話された。それは僕にとっては苦ではなく知らないことを知れるという僕にとってはご褒美のようなものだった。
「──だよね。あ、そういえば啓くんの病気ってなんて名前なの?今まで色々と助けてもらってきたけど聞いたことなかったよね?」
「あー、うん。そうだね、とはいっても答えられないんだけどね」
「え、あ、ごめん…。聞いちゃダメなことだったんだ…」
弥生さんは慌て、そして落ち込んだ。
「え、あ、いや、そういうことじゃないんだよ。ただ、名前も分からない病気ってだけ。わかってることと言えば不治の病で一年ごとに三日ずつ高熱がでない日が減ってくってことだけかなぁ」
そう、僕の病気の原因も名前もすべて不明。どの病院へ行っても異常なし。なのに、高熱が一定周期でおこり、その周期は日に日に短くなってきている。
「……そう…なんだ…」
「…弥生さんが落ち込まないでよ。まあとりあえず今は、二日元気になったら三日寝込んで一日は微熱って感じかな。一応、余命はあと一年ぐらいだって言われてる。あと一年は精一杯楽しむよ」
僕は彼女の悲しさを誤魔化すように、笑ってみせる。僕のためじゃない。彼女のために。
僕にはもう時間がないことはわかりきっていたから覚悟はしてるけど、今の彼女の心の支えは僕だ。彼女にとってはツラいものがある。
「…………」
酷く酷く暗い顔、その悲しみに押し潰されそうな顔を見ていると僕の方が辛くなって目を逸らしてしまった。本当は慰めるつもりだった。
でも、僕の胸は悲しみで埋め尽くされてしまいそうで、言葉を出すと泣いてしまいそうで。僕にはどうしてもそうすることができなかった。
「……啓くん、私決めた。啓くん、話したいことが──」
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
突然僕たちの後ろから女性の悲鳴が聞こえ、振り返る。そこにいたのは僕たちのように後ろを見ている人々。ただそれだけではなくて、赤黒い液体で地面を染める倒れた普段着の男性、日陰のなかにいるその近くで恐怖で怯えきった女性。そして女性を覆う影を作り出している赤黒い液体が滴るナイフをもった男性。その目は赤く血走り、狂気的な怖さを醸し出していた。
「うるせえよ、クソ女がっ!」
そう言って男性はナイフを振り下ろす。何度も何度も振り下ろす。増える赤黒い液体、地面はさらに赤黒く染まっていく。
「きゃ、きゃああああぁぁぁぁ!」
「うっ、うわあああぁぁぁぁぁぁ!!」
周囲にいた人々が次々に悲鳴をあげ、逃げ出し、逃げ惑う。阿鼻叫喚、それ以外に正しい表現は思いつかない、そのぐらい酷い光景だった、地獄絵図だった。
僕は我に返り、恐怖を呑み込み弥生さんに声をかける。
「弥生さんっ、逃げるよ!弥生さんっ!」
しかし、彼女に反応はない。その顔は恐怖に染まりきっている。
とはいえ逃げる以外の選択肢はない。僕は彼女の左手を握りしめ、右手で車輪を動かし、引っ張ろうとする。が、彼女は動けない。そのせいで彼女は座り込んでしまう。それでも尚動こうとしない。
「あ…あ…お父さん、お父さん、いや、ダメだよ!いやあぁぁぁぁっ!」
突然、彼女は悲鳴を上げる。
男はその悲鳴に血走った目をこちらを向け、振り下し続けていた手をとめ立ち上がる。
僕には知る由もなかったが、彼女は三年前に父親を亡くしている。しかも目の前で。彼女の父親は銀行強盗に巻き込まれなくなっていた。そのときの凶器は包丁。そして今回の凶器も同じ。
「弥生っ!お父さんはここにはいないっ!でも、ここには僕がいるっ!君が亡くなったら僕も悲しむっ!だから逃げるんだっ!」
彼女の目にはわずかに光が灯る。
「はやくっ!」
だが、時既に遅し、男は既にすぐそばだ。一番逃げ遅れてたのは僕達であり、一番声を発していたのも僕らだ。狙われないはずがなかった。
「ぎゃーぎゃーうるせえんだよ、屑供があっ!!!!」
男は彼女に向かって包丁を振り上げながら走ってくる。
彼女は未だに動けない。
そのとき既に彼女の犠牲になることを決心していた。
どうせ残り短い命だ。彼女の命はもっと長いし、五体満足の健康体だ。彼女に生きてもらった方が断然いい。
僕は悲鳴をあげる足を強引に使って立ち上がって彼女を庇おうとするが、しかし現実は非情なものである。どれだけ強引に酷使しようとしても、立ち上がることは叶わない。
(動けっ、動けよっ!1回ぐらい立てんだろっ!)
「クソがあああぁぁぁぁ!!!!」
僕は火事場の馬鹿力と呼ばれるものを振り絞り、手も使ってどうにかして立ち上がる。そのせいで身体全体の筋肉が悲鳴をあげる。
今の僕には走ることは叶わない。歩くことも叶わない。立ち続けることすらも叶わない。
ならばどうするか
僕は彼女に向かって倒れ込んだ。座り込んでしまってる彼女に全体重を預ける。
そしてそれから僅かに遅れて僕の体からは赤黒い液体…つまり僕の血が垂れ落ち、彼女の服を赤く染め上げていく。何度も何度も振り下ろされ、体のあちこちから血が滴り落ちる。辺りに漂う血特有の鉄の匂い。そのうち僕の体からは力が抜け、同時に意識も黒へと塗りつぶされていく。その上に痛みではなく熱さも重ね塗られていく。
短い人生だった。辛い人生だった。
これが僕の何もわからなかった人生の終止符だ。だから、せめて僕のために。僕がいたと証明するために
「………いき……ろ………」
これで彼女だけは忘れないでくれる。彼女にとって僕がすべてであったから。僕の言葉は記憶に濃くはっきりと刷りつくはずだから。そしてそのせいで例え死にたくなっても、僕の言葉がまとわりつくだろうから。
僕は男に彼女から剥がされ空を向く。その直後に男性に襲いかかかる二つの大きな影。
(警察かなぁ……警察だと…いいなぁ…)
だが、それとは別に本当にそんなことを思っているのかと思ってしまう自分もいる。
結局、僕は最後まで自分を知ることはできなかった。
でも、後悔はない。いや、後悔という感情がない。
ああ、でもあの最後の感情はなんだったんだろう。最後はなぜ頑張れたのだろう。ああ、不思議だ。不思議でならない。
僕はまだ知らないことだらけだ。
ああ、空ってどうして青いんだろうな…調べとけば良かったな…
僕の意識は真っ黒に染まりきった。
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長い長い夢から僕は目覚めた。
僕が周りを見渡すとそこは点々とした黒で埋め尽くされた部屋。後ろや横に飾られた沢山の花。そして聞こえるすすり泣く声。空洞がある木を叩いたような音が響く。たまに聞こえる金属と金属がぶつかる音。
黒で埋め尽くされたところから少し自分よりの離れた場所におまけとばかりに黒。
「ああ、そうか。僕、死んだんだった」
そうだ、これは葬式だ。泣いている両親と妹。涙をこらえている様子の兄。でもその姿が少し可愛いと思えてしまうのはなぜだろうか。
そして従兄弟や、叔母、叔父や祖母など親族が目に入りやすい最前列に。
そして後ろの方に田沼や、ユージ、リョータに葵。何だかんだで学校では良くしてもらったからなぁ。そして、山中先生。なんで貴女が一番泣いてるんですか…。悪い気持ちではないですけど。
そして、弥生さん。
本当に生きてて良かった。
彼女の暗く悲痛な表情が浮かぶ顔一面には涙が溢れている。僕が目の前で死んじゃったんだ。でも仕方ない。こればっかりは頑張ってもらう他ない。
けど、約束は守ってもらうからね。付き合う…なんてことはなかったけど、人としては嫌いじゃなかったよ。多分。
「こんなに多くの人が僕のために来てくれたのか…」
僕にそんな価値などないというのに。
「それは貴方が精一杯生きたからですよ」
「そんなことは──誰?」
空中に座っていた僕のとなりには女性。光輝いていると言っても過言ではない綺麗な金髪だ。その綺麗な金髪は腰まで伸び、綺麗な顔立ちを際立たせている。そしてなんといっても二つのたわわな果実。
「失礼いたしました。私は惑星アルモワールの主神と呼ばれる者を勤めさせて頂いております。クシリアと申します」
「…え、え、神?え?」
神ってほんとにいるんだ…ビックリした。というかアルモワールって聞いたこともないんだけど。
「貴方は私が神と名乗ったことを否定しないんですね」
神…えっとクシリア様だっけ?その人は興味深そうに僕を見た。
「え、あ、いや、死んだ僕を騙してなにかあるんですか?」
「ふふっ、それもそうですね」
クシリア様は柔らかい笑みを浮かべる。
「それにクシリア様は自らを神ではなく神と呼ばれる者と名乗りましたしね」
神とは自ら名乗るものではなく、呼ばれ、崇められ、はじめて神となるはずだ。神という名称は与えられるものであるはずだ。
「そうですね」
理解してしまったのかと若干悲しげな表情を浮かべるが、次の瞬間にはそんな顔はしていなかったとばかりに表情が戻る。
「では、早速本題へと参りましょう」
そう言って、クシリア様は僕の方へ向き直る。
「吉川啓さん、私は貴方をアルモワールへお連れするためにここへ参りました」
誤字脱字が見つかり次第、随時訂正していきます。
これを含めた四話分を四日かけて投稿します。(異世界らしさがでてくるのが四話あたりからなんです…)