初めてのボーナス1
冒険者たちの襲撃があった翌日、晶は報告のためアルバトラスの居住区にある執務室--通称社長室に呼び出されていた。
そこは四方の壁面が天井まで書棚に埋め尽くされており、その大きさに比べ狭く感じる部屋だった。
床には趣味の悪い臙脂色の短毛の絨毯が敷かれ、部屋の中央にはオーク材で作られた高級な机が置かれている。
邪悪なる老魔術師アルバトラスはその机の上で手を組み、晶の報告に耳を傾けている。
「それで、冒険者の一人が依頼を受けてダンジョンに来たと言っていました」
「ふむ、確かに依頼を受けて来たと言ったのだな」
「はい。社長の名前も知っていましたよ」
アルバトラスが言うには、過去を遡っても浸入に気付かずここまで深部に潜られたことは今まで一度も無かったそうだ。
それも親方の巧みなトラップのお陰なのだろうが、今回はそれも悉く解除されてしまっていた。
それ程、晶たちが対峙したあの冒険者達のランクが高かったということだ。昨日の激闘を思い出すと晶はぞっとしない。
晶から一部始終報告を受けたアルバトラスは顎に手を当て、皺だらけの顔に更に深い皺を作り「ふむ……」と物思いに耽っていた。
今回の浸入者に関し何か心当たりでもあるかのようだったが、晶は敢えて何も質問をしなかった。
役員には役員の悩みがあり、一般社員に役員の悩みは理解し得ない、と何かで読んだからだ。元就活生として社会人の一般常識は押さえているつもりだ。
それよりも大事なことが晶にはあった。意を決して口を開く。
「あのー、厚かましいようで恐縮なんですけど」
「なんだ? まだ報告があるのか?」
「あ、いえ、報告ではないのですが……、ボーナスとか出ないのかなって思って。今回、結構頑張ったと思うんですけど、僕」
自己の成果を上司にアピールすることは長い社会人生活においてとても重要なことだ、と何かで読んだことがあった。
正当な成果に対して正当な評価を受けられなければ、不満が募り仕事に対するモチベーションも下がってしまうそうだ。
だから欲しがる時はきちんと欲しがるべきだと晶は思う。
アルバトラスは机の上で手を組み、興味深そうに晶の主張に耳を傾けていた。
「ボーナスか……、ふむ。ところでボーナスとは何だ?」
「えーと、特別賞与っていうか、褒美というか」
「ほう、褒美をボーナスというのか。まあいい、考えておこう」
「お願いしゃす!」
晶はアルバトラスに一礼し、意気揚々と社長室を後にした。
鼻腔からふんふん空気を漏らし、踵骨をコツコツ鳴らしながら軽やかにステップを踏んで上機嫌にダンジョンを歩く晶。
初ボーナスを何に使おうか、考えるだけで頬骨が緩むようだった。
ミキちゃんをデートに誘ってみようかな。いつもお世話になってる親方に何か買って上げるのも良いな。アバさんを誘ってパーっとやるのもありだ。
使い道は無限にある。問題は金額だが、それは貰ってからのお楽しみだ。
そんな晶の横をアバさんが通り過ぎていく。晶はそれを横目で確認する。心なしかいつもの元気が無いように見えた。
今回の戦いでは冒険者と住人が全面的にぶつかることこそ無かったが、それでも多くの住人が犠牲になっている。その中で最も犠牲者が多かったのがアバさん達だった。
アバさんは仲間意識が強く、一つの大きな家族のように生活している。家族を失って悲しまない者なんていないのだ。
晶は通り過ぎていったアバさんに、現実世界に残して来た母親の姿を重ね合わせていた。流石に姿は似ても似つかないが、その心境を思うと胸骨が締め付けられる想いだった。
「アバさん、後でそっちにお邪魔しても良いかな? お線香はないけど……、昨日犠牲になったアバさん達に手ぐらい合わせたいなと思って」
晶はスキップを止めアバさんに声を掛けた。さっきまでの浮かれていた自分を恥じ、身を引き締める。
アバさんは直ぐに「アババ」と是非の意を返し去っていった。
(気遣いの出来る立派な社会人にならないとな)
アバさんの小さな背中を見送りながら、晶はそう心に決めた。
「ただいまー」
晶が部屋に戻ると親方とミキちゃんの距離が妙に近いような気がした。椅子をぴったりとくっ付けて並んで座っている。
「あの、なんか二人近くないっすか? もうちょっと椅子を離した方がいいような」
しかし二人からの返答はない。
(無視だ……)
晶は胸骨辺りに湧いてくる微かな怒りを感じた。
(確かに二人はピンチの時に駆け付けてくれたけど、最終的に皆を救ったのは他でもない俺なのに)
しかし、その悶々とした思いを口に出すのは何だか格好悪い気がして、晶は悔しいが黙って昨日から急接近しつつある二人を、歯噛みしながら眺めることしかできなかった。
翌日、アルバトラスが部屋にやって来た。いつもノックをしないが、どうやらこの老人にはそういう習慣がないらしい。その日もノックはなく突然扉を開けて中に入ってきた。
晶は慌てて席を立ち椅子を引くが、アルバトラスは「良い」とそれを手で遮った。
親方とミキちゃんは相変わらず仲睦まじく並んで座っている。むしろ昨日より、二人の距離が更に近くなっている気がした。
悔しいが、無口でクールな二人は端から見てもお似合いに見えた。
「先日言っていたボーナスとやらのことだ」
「あ、はい」と、晶は緊張した面持ちで居住まいを正す。
しかし、どうやら今日はボーナスを渡すために来た訳ではないらしい。
「以前、女の同僚が欲しいと言っていただろう。ボーナスとやらはそれで良いか?」
「え? それは既に叶えて貰ってますし、ボーナスはお金で良いですよ」
「叶えた? 何のことだ」
この年寄りは一ヶ月前のことすらろくに覚えていないらしい。晶は呆れ顔で、行儀よく椅子に座っているミキちゃんを指差した。
「先月、ミキちゃん--この女性の新人スケルトンを配属してくれたではないですか」
晶の指骨の先に視線を向け、怪訝そうに眉根を寄せるアルバトラス。
「何故あのスケルトンを女だと思ったのだ」
「え? だって、背が低くて骨格は丸みを帯びているし、それに長い髪の毛が……」
「ああ、確かに背が低く長い髪をしていたな。だが、あれは洞窟の前で行き倒れになっていた背が低く長髪の男の骨で作ったものだ」
「長髪の男……」
(ガーン!)
晶の中でガラガラと何かが崩れる音がした。
「では、2、3日後にボーナスとやらを持ってくるとしよう」
顎骨をあんぐり開け放心する晶を置いて、アルバトラスはさっさと部屋を出て行った。
アルバトラスは約束通り、2日後に再び部屋にやって来た。
「ボーナスとやらを持ってきたぞ」
「……」
ノックせずに入ってきたアルバトラスに、晶が覇気のない空虚な眼窩を向ける。その曲がった背骨はこの世の不幸を全て背負っているかのように悲壮感に満ちていた。
晶はこの2日ずっとこの調子だった。なにしろ男の骨で作られたスケルトンを女性と信じて疑わず胸骨をときめかせていたのだ。
一ヶ月間、職場BLを展開し続けていたという真実は、晶の矮小な自尊心を吹き飛ばすには十分過ぎる威力があった。
親方とミキちゃん--改めミキオ君は相変わらず並んで座っていたが、もはや晶の眼窩には共に死線を潜り抜けた仲の良い戦友同士にしか見えなかった。
「タナカ・アキラ、今回の騒動におけるお前の活躍は目を見張るものがあった。よってお前の望み通り女の同僚を与えよう」
「へ?」
「さっさと中に入れ」
アルバトラスに促され、おずおずと少女が部屋に入ってくる。それはどこから攫ってきたのか、人間の娘だった。
赤茶けた髪を二つにお下げにし、痩せぽそった小柄な体を地味な服に包んでいる。どう見ても未成年、多分14歳かそこらだろう。
しかし、その容姿は傷心中の晶でも空虚な眼窩を見開くものがあった。
穢れのない珠玉のような双眸に、すっきりとした鼻梁、薔薇の蕾を思わせる艶やかな唇、桜の花びら色に染まる頬。もし欠点があるとすれば、その双眸が涙に赤く腫れていることだったが、それすら大人の庇護欲を掻き立てる天性の武器となるだろう。
この世の慈愛を一点に集める女神のような美貌を備え、美少女という言葉さえ陳腐に思えるほど純潔で愛らしい少女。
つまり、微ロリコンの晶のハートのど真ん中に突き刺さる、とても可愛いらしい女の子だった。
しかし晶には、この華奢で可憐な少女に罠の整備という『危険、キツい、気が滅入る』の真3Kの仕事が務まるようには思えなかった。
「こんな子に罠の整備をさせて本当に良いんですか? メイドさんとか給仕の仕事をやらせて上げた方が良いと思いますが」
「これは儀式の生贄用に手に入れたものだ。元々労働力としてはみていない。入り用になるまでお前に預けてやるから好きに使え。ただし手は出すなよ。生娘でなければ生贄としての価値が無くなるからな」
(アルバイトをさせちゃいけないような年齢の子を連れて来て、好きに使えと言われてもな……)
晶はアルバトラスの発言にブラック企業の片鱗を垣間見た気がしてとても嫌な気持ちになった。
「あの、差し出がましいかもしれませんが、こういうのってバレたら捕まったりしませんか? 労働監督署とか警察に」
「貴様が不要だというなら、これは魔術の材料にでもするだけだ」
アルバトラスが不機嫌に吐き捨てる。自分の選んだボーナスに晶が不平を漏らしたからだろう。魔術の材料という言葉に晶は何か不吉なものを感じた。
「いや、じゃあ、大丈夫です。僕が面倒みますよ」
晶の言葉にアルバトラスは途端に機嫌を直す。「では頼むぞ」と、少女を置いてさっさと部屋を出て行った。
アルバトラスが去り、しんと静まり返った部屋で晶はやれやれと内心ため息を吐く。
ゲイなんじゃないかと疑いたくなるほど距離の近い親方とミキオ君。そして目を腫らし俯いている不遇な美少女。
相変わらずこの部屋は静かだ。
晶は取り敢えず、緊張を解そうと少女に声を掛ける。テーマは極めて爽やかな近所のお兄さんだ。
「俺、アキラ。よろしくね」
「近寄るな下級モンスター! うちを助けて上げたとでも言いたいわけ!? 勘違いしないでよね、この恩着せがましいロリコンインポ野郎!!」
「あ……、なんかごめんなさい」
今回の新人はとんでもなくツンな娘だった。