潜入者たちの冒険譚1
その日、晶達は細やかながら先日の祝勝会兼ミキちゃんの歓迎会を開いていた。
アバさん手製の地ビールを木製のカップに注ぎ、簡素なテーブルを囲んで談笑する。質素だが娯楽のないダンジョンでは精一杯の華やかなパーティーだ。
「いやー、ミキちゃんが来てからもう一ヶ月か。あっという間だよねー。ははは」
晶は上機嫌にカップを傾け、下顎骨にビールを流し込む。爽快感が頸椎を伝い胸骨に広がって肋骨から滴り落ちる。上気した頬骨をぱたぱたと指骨で仰いだ。勿論、大した風は起こらない。
「そういえば親方。俺が来た時は歓迎会なんて開いてくれませんでしたよね。別に恨んではないですけどー。でも何だかんだ言って、やっぱ親方も若い女の子には弱いですよね」
「……」
「もしかして怒ってます? ははは、今日は無礼講ってことで!」
木の器に盛られた木の実を顎骨を使ってぽりぽり嚙り、空になったカップにアバさんビールを注ぐ。
親方とミキちゃんはそんな晶の言動を黙って見詰めていた。晶も二人から返答がないことは承知していたが、空虚な眼窩と漂う沈黙に耐え切れず口を開く。
「あ、ミキちゃんビール進んでないみたいだけど苦手だった? 甘い系にする?」
「……」
晶は手に持っていたカップを静かにテーブルに置く。「ごめん、トイレ……」と呟き部屋を出た。
ダンジョンの冷んやりとした風が火照った頬骨を撫でる。晶は小さく身震いし、当てもなく歩き出した。
転生して骨の体になってからというもの尿意どころか疲労も眠気も感じたことがない。適当に口実を付けて一人になりたかったのだ。
「はぁ……」
小さいため息が静かな洞窟にやけに大きく響く。
最近、生前のことをよく考えてしまう。薄っぺらな人生でも気になることくらいはあるのだ。家族は晶の死をどう捉えたのかとか、助けたあの猫はどうなったのかとか、急にいなくなってネットゲーム仲間は怒っていないかとか、遺していったPCの負の遺産はどうなったかとかだ。
どれも他愛のない事だけれど、今となれば人間だった時の自分との唯一の繋がりだ。忘れることはできない。
「ん?」
道の真ん中、扉の前で晶が足を止めた。違和感を感じたからだ。
粗末な木製の扉は晶たちの部屋と同じ物で、建具担当のスケルトンが整備しているものだ。しかし「こんなところに扉なんてあったっけ」と晶は頸椎を傾げる。
この場所は何も使われていない小さな空洞があった場所で、少なくとも晶が昨日ここを通った時には扉など無かった筈だ。
ダンジョンに扉を付ける理由は二つ、侵入者からの防衛能力を高めるためと、住人の生活区域を区切るためだ。意味のない場所に扉があるとすればそれは罠なのだが、ダンジョン内の罠を全て把握している晶もこの場所の扉には覚えがない。
晶は慎重に扉に手を伸ばす。錆び付いた鉄製の取っ手を握ろうとして「あれ?」と素っ頓狂な声を上げた。指骨がすり抜け空を掴んだのだ。
目が霞み遠近感がおかしくなってしまったような感覚。眼窩をごすごす擦ってみるが、扉は確かにそこにある。晶はもう一度取っ手を握ろうとするが、やはり掴めない。
「なんでだろう」
晶は古びた木板の扉を押そうとしてバランスを崩した。扉を押そうとした手が木板に吸い込まれ前につんのめってしまったのだ。
「うわっ!」
晶は勢いよく扉の向こうに倒れこみ、ぐるりと一回転してどしんと盛大に尻もちをついた。
「痛たた……」と、身を起こそうとして地面についた手にぬめりとした感触。扉の内側、四畳半程度の狭い空間に広がる凄惨な光景を目にして晶は絶句した。
剥き出しの岩壁にべったりと付いた血飛沫。冷んやりとした石床に広がる真っ赤な血溜まり。目の前に積み上げられた死体の山。
「--ッ!」
晶は手で触れていたものが臓物らしき肉片だったことに気付き、声にならない悲鳴を上げ飛び退いた。
死体はアバさんやブタさん、そして同胞のスケルトンのものだった。鋭利な刃物のような物でバラバラに切り刻まれているものや、真っ黒に焼け焦げているものもある。指骨の先に残るまだ生温い感触に、晶は胃から何かが込み上げてくるような幻覚を感じる。
「……おや、お客さんみたいっすね」
突然背後から掛けられた声に晶はピクリと肩骨を震わせる。振り返ると、透ける扉から人間が顔を覗かせていた。青い虹彩を晶に向け口元を冷たく歪めている。
「スケルトンっすか。このダンジョンは下位モンスターばかりっすね」
そう言いながら扉をすり抜け中に入ってくる。さらさらのプラチナブロンド。白く艶やかな肌。青い瞳をした、まだ十六、七といった少年だった。
未発達の細身の体に軽装の革鎧。左手に握られた短刀から鮮血が滴る。眉目秀麗な顔に冷淡な笑みを浮かべる。
「雑魚はとっとと片付けるっす」
晶の脊椎に怖気が走り、踵骨が自然と後ろに下がる。
ここはダンジョンの中でも奥の方、アルバトラスの居住区に近い位置だ。入り口からここまで警報が鳴る罠は幾つもあるが、目の前の少年はそれらを全て避けるか解除し、ここまで誰にも知られずに潜入して来たのだ。
アホハーレムと違い高レベルの冒険者なのだろう、悍しい威圧感をひしひしと感じる。自分一人でどうにかなる相手ではない。
(親方とミキちゃんに知らせないと……)
晶は意を決して地面を蹴る。転がるようにして少年の脇を通り抜けようとするが--
「おっと!」
少年の華奢な短刀が素早く行く手を遮る。晶は一旦後ろに飛び退き体勢を整え直す。
(くそう、速い……!)
肩甲骨を揺らし息を整える晶。目を丸くする少年。
「気のせいっすか? 今、アンデットが逃げようとしたように見えたっすよ」
「うるさい!」
「え……?」
晶は思わず叫んだ。唖然とする少年。隙だらけだ。
晶は「今だ!」と再び地面を蹴り少年の脇を通り抜ける。地面をごろりと一回転して、今度は無事扉を潜ることができた。
「よし!」と、晶は拳骨を掲げて小さくガッツポーズし、すぐに自分たちの部屋に向かって走り出した。
後ろから少年のわめく声が聞こえた、が晶は一心不乱に走り続ける。捕まったら逃げるチャンスはないと思った。それ程ヤバい相手だということを本能が告げていた。
直線を走り抜け、角を曲がる。その瞬間、晶は何か柔らかいものに衝突した。
「ふぁッ!」と、情けない声を上げて地面に転がる。ぶつかった何かも「キャッ!」と甲高い声を上げた。
鼻骨を摩りながら身を起こすと、若い女が地面に尻もちをついていた。甘栗色の髪を肩のところで綺麗に切り揃えた色白の華奢な二十歳前後の女。小綺麗な法衣を着ていて、手には水晶をはめ込んだ杖。艶やかな髪から尖った耳の先端が顔を覗かせている。
女は「ごめんなさい」と、慌てて晶に頭を下げると手探りで地面を探り出した。どうやらぶつかった拍子に何かを落としたようだ。
恐らく先ほどの少年の仲間なのだろう。落とした何かを探すのに夢中だからか、今のところ晶を攻撃してくる気配はない。逃げるなら今のうちだ。しかし晶は逡巡し、女の横にしゃがんだ。
「何か落としたんですか? 探すの手伝いますよ」
女はびっくりしたように晶に目を向け、その愛らしい顔に清らかな微笑みを湛えた。
「ありがとうございます。実は、眼鏡を落としてしまいまして」
「眼鏡……、ですか」
「ええ、眼鏡です。私、目が悪いから眼鏡がないと何も見えなくて。とても助かります」
女はそう言って再び地面を探しだした。その額には女が探しているだろうその眼鏡がしっかりと掛かっている。
(べ、ベタ過ぎる……!)
晶はあんぐりと顎骨を開き絶句した。女はそんな事にも気付かず必死に眼鏡を探している。
「眼鏡……、眼鏡……」
(ワザとなのか……? ヤバいぞ、この女……)
今日日見掛けない古典的なボケを平然とやってのけている女に、形容しがたい恐怖を覚える晶。この先の行動が全く予想できない。
晶は女にバレないように、そろりそろりと四つ這いのまま遠ざかる。その時、コツリと晶の踵骨に何か硬いものが触れた。
恐る恐る後ろを振り返ると、フルプレートアーマーに身を包んだ年齢不詳の大男が仁王立ちで晶を見下ろしていた。その後ろにローブを目深に被った同じく年齢不詳の男。
大男は晶が何か言うより早く、肩に担いでいた巨大な戦斧を「フンッ!」と容赦なく晶に振り下ろした。
戦斧は凄まじい勢いで晶の頬骨を掠め、ずごりと床岩を割る。間一髪地面に転がって避けた晶に砕けた石飛礫がぱらぱらと降り注ぐ。
「すばしっこいスケルトンだな」
大男は冷たく言い放ち、再び巨大な戦斧を晶の頭上に振り翳す。
「おい、イミーナ! 何をやってる」
ローブの男の呼び掛けに、眼鏡の女が顔を上げる。
「私の眼鏡が--」
「眼鏡ならおデコだ」
「え? ああ、こんなところにありましたか」
イミーナと呼ばれた女が眼鏡をかけ直す。縁をかちゃかちゃと鳴らし位置を調整し、地面に転がるスケルトンを見付けて「ああー!」と指差した。杖をコツンと床に打ち付け水晶の嵌った先端を晶に向ける。
「私を謀ったのですね!」
「おいおい、スケルトンに謀られる聖職者ってどうかと思うぞ」
「まあ良い、始末しておくぞ」
大男がやれやれと戦斧を振り下ろす。今度はしっかり晶を捉えていた。
避けられないことを悟った晶は片腕を捨てる覚悟で、下腕骨で戦斧を受け止める。ばきりと乾いた音が鳴り響き、その腕が枯れ枝のように容易く断ち切れ吹き飛んだ。
「--ァァァァッ!」
悶絶するような凄まじい激痛。晶は失った腕を押さえ地面を転げ回る。その様子を見た三人の冒険者は一様に表情を凍らせた。
「なんだこのスケルトン」
「さ、叫んでるな……」
「信じられません。眼鏡が曇っているのでしょうか」
「眼鏡は関係ないだろ」
晶は激痛を噛み殺しよろよろと立ち上がる。満身創痍、足を引きずるようにして前に進む。
(早く、親方と、ミキちゃんに知らせなきゃ……)
霞んだその眼窩に見覚えのある顔が映る。
「あー! こんなところにいたっす!」
プラチナブロンドの少年。晶は絶望に膝蓋骨を地面につき、崩れるようにその場に座り込んだ。
晶の背後で三人の冒険者がそれぞれの武器を構える。
「おい、アルミ。この喋るスケルトンはなんだ?」
「俺も知らないっすよ。死体置き場を漁ってたっす」
「おいおい、未知の上位アンデットってわけじゃないだろうな」
「まさか、モンスターの怨念ですか!?」
「聖職者が言うセリフじゃないだろ」
「まあ良い。取り敢えず始末するぞ」
大男が巨大な戦斧を振り上げたその時、カラカラと乾いた音が遠くから聞こえてきた。聞き覚えのある音に晶が顔を上げる。
少年の後ろ、晶が進もうとしていた道の先から革鎧と木盾と錆び付いた槍で武装した二体のスケルトンが走ってきていた。
「親方、ミキちゃん……」
幻覚ではない。間違いなく親方とミキちゃんだった。
「チッ、仲間か」
大男が晶を一瞥し、新たに現れたスケルトンに向って走り出す。
「あいつらも知性を持ってるかも知れん。スケルトンと思って油断するなよ」
「分かってるっすよ、リーダー」
プラチナブロンドの少年が短刀を構えて後に続く。
「あの二体から怨念を感じます!」
「だから、それ聖職者のセリフじゃないだろ」
残りの二人も杖を構えて呪文の詠唱を始めた。