浸入アホハーレム
晶達が整備する罠は、魔術師アルバトラスの宝を狙ってダンジョンに潜入してくる冒険者達を撃退するためにある。
といってもそうそう冒険者が来るわけでもなく、晶がダンジョンに来てから一ヶ月、まだ一度も侵入者は現れていない。
それでも晶たちが忙しく仕事をしなければならない理由は、ダンジョンの住人--主にアバさんが罠を作動させてしまうからだ。
アバさんはちょっとどころでは無くかなり変わっている。一日中、腰布一枚で棍棒片手に奇声を発しながらダンジョン中を走り回っているのだ。彼らが何のために走り回っているのか晶も知らないが、そのお陰でダンジョンのあちらこちらで罠を作動させてしまう。
という訳で、晶は毎日せっせと罠の整備をしてはいるものの、それがきちんと役に立ったことはないのだ。
その日も晶は初め、いつも通りアバさんが罠を発動させてしまったのだと思っていた。
「たく、アバさんったら……」
開きっぱなしの落とし穴の蓋を閉じながら、晶は一緒に作業しているミキちゃんに愚痴をこぼす。勿論、返答はないが、何となく同意してくれているように晶は思っている。
じゃりっと小石を踏む音に、晶は手を止め顔を上げる。そこには親方が槍を片手に立っていた。ダンジョンの奥を空虚な眼窩で見詰め、どことなくその頬骨が強張っているような気がした。
「どうかしたっすか?」
「……」
相変わらず寡黙な人だが、親方がこういう感じの時には何か伝えようとしていることを晶は知っている。その時--
『……キャーー……!!』
親方の視線の先、洞窟の奥から小さな悲鳴が聞こえてきた。岩壁に反響し聞こえ辛いが女性の悲鳴のようだった。勿論アバさんのものでもなければブタさんのものでもない。久しぶりに耳にする人間の声だ。
「親方! 今のは……!」
晶の問いに答えることなく、親方は悲鳴の聞こえてきた方に向かって走り出した。晶は慌てて後ろを振り返る。
「ミキちゃん! 行くよ!」と晶が言う前に、ミキちゃんは既に晶の横を通り過ぎ親方を追い掛けていた。相変わらずの塩対応だ。
声の主はそう遠くない場所にいた。といってもダンジョンの構造と罠の位置が頭に入っている晶には大体どこにいるのか予想はついていたが、実際に罠に掛かっている冒険者達を目にして驚きを隠せなかった。晶は顎骨をあんぐりと開き、空虚な眼窩に驚きの色を浮かべる。
そこは親方が仕掛けた壮大な罠の終着点だ。巧みに隠蔽された無数のダミートラップに誘導され奥へと進んだ先にある袋小路。ジャイアント・スパイダーと晶が呼んでいる巨大蜘蛛の巣が天井まで張り巡らされている大きな部屋だ。
何より恐ろしいのが、この部屋まで30分の道のりはアルバトラスへの居住区に繋がっていないただの行き止まりなのにも関わらず、それを当人達に気付かせることなく最後まで足を進めさせた親方の巧みな心理トラップだ。
冒険者の数は4人。彼らは全員、光苔がない暗黒に包まれた部屋の中、ロープほどの太さがある丈夫な蜘蛛の糸に手足を絡め取られ身動きの取れない状態でいた。
因みにこの蜘蛛の巣トラップの部屋にジャイアント・スパイダー本人はいない。晶達が本物のジャイアント・スパイダーの巣からせっせと糸を運んで作った人工の巣だからだ。ジャイアント・スパイダーは小動物を獲物としているため天然の巣は人間が集団で引っ掛かるような代物ではない。ようはこの部屋の罠は侵入者の捕縛に特化して作られたものなのだ。
「離せ! 化け物ども! 」
魔法使いと思われる小綺麗なローブを着た若い男が鋭い眼光で晶達を睨み付ける。何故か上から目線だが、どう考えても離す訳がない。晶はその魔法使いの男をアホ1号と勝手に名付けた。因みにイケメンとは程遠いブ男である。
「お願い! 私が犠牲になるから皆を逃がして!」
縋るように懇願する聖職者とみられる法衣の女を晶はアホ2号と心の中で命名した。供物としてこの中で一番価値がなさそうな中高年齢の女性だ。若者を生かすという考えは年長者としては正しいのかもしれないが、こちらの都合は完全に無視だ。
「ウォォオオオオオ……!!」
あり得ない程隆々とした筋肉をお持ちの露出の多い金属鎧を着た巨女が、噛み締めた無駄に白い歯の隙間から地鳴りの様な呻き声を漏らし、手足に絡み付いているジャイアント・スパイダーの巣を気合いと筋肉だけで引き千切ろうとしている。空気を読まないこの脳筋女に、晶はアホ3号の称号を与えた。
「……早く殺して」
最後の一人、盗賊であろう軽装の女性は完全に諦めていた。目を閉じ蜘蛛の巣に身を任せている。逆にやり辛い。この異様に彫りの深い顔をした女を晶は仕方なくアホ4号として扱うことにした。
男1人に女3人という夢の様なハーレム構成なのだが羨ましさが微塵も湧かないとても残念なこのパーティを、晶は適当にアホハーレムと名付けてやった。
アルバトラスの命令は「冒険者はなるべく生かしたまま連れて来い」だ。元同族として多少やり辛くはあるが、サラリーマンとして社長にうだつの上がらない晶は渋々、親方とミキちゃんと協力して持ってきたロープでアホハーレムの面々を縛り上げた。
アホ1号はロープに縛られても上から目線で、2号はしきりに自分を犠牲にしようとしてるし、3号は気合いと筋肉でロープを引きちぎろうと頑張っている。4号は「早く殺して」しか言わない。
「ああ、疲れたー」
ようやくアホハーレムをアルバトラスのところに送り届けた晶は、部屋に戻るなり倒れるように椅子に身を預けた。肩甲骨の辺りからどっと疲れが滲み出てくるような気がする。
彼らの末路がどうなるのか晶には窺い知れないことだったが、自分でトドメを刺すよりかは幾分マシだと思う。いくらスケルトンに転生してしまったとはいえ、人殺しは流石に抵抗があるからだ。
晶はふと、テーブルを囲んで座っている親方とミキちゃんを見る。彼らの眼窩には深い影が落ちるばかりで、そこに潜む感情を読み取ることはできなかった。
晶は胸骨に広がる寂しさを誤魔化すようにアバさんビールを下顎骨に流し込むと、テーブルに突っ伏し下腕骨に顔を埋めた。
現実世界ではずっと孤独だった。異世界に来て社会人になって同僚ができて職場恋愛もした--筈だった。けれどその胸にはまだポッカリと穴が空いているようだった。
(実際、胸骨の内側は空洞だけど……)
晶は心の中で呟き自嘲する。その首に掛けられた翠緑のペンダントが胸骨の上で悲しく光る。
その翌日、新たに四体のスケルトンがダンジョンの従者として加わったことを、晶が知ることはなかった。