侯爵の屋敷8
辺りは光しかない虚無の空間だった。
「田中さーん、約束通り迎えに来たわよ」
目の前に神々しい光を纏った天使が舞い降りてくる。痔薬天使ボラギノールだ。
契約の条件が整ったので晶の魂を昇天させに来たのだ。
ボラギノールはバインダーをうちわ代わりに扇ぎ、偉そうに晶を見下ろしている。
「大した働きもせずに良い気なもんだな」
「あら、【預言者のカリスマ】の効果は絶大だったでしょう? 憐れな民を導く力で、ホビット族が貴方の味方になったのだから」
「ああ、そういうことだったのか……」
晶はようやく腑に落ちる。
何もしていないのに、アバさん亜種たちが戦女神様、戦女神様とやたらと慕ってくるので不思議に思っていたが、それこそが【預言者のカリスマ】の効果だったのだ。
結果的にアバさん亜種がリトナーを倒してくれたが、奇跡の効果が憐れな民を導く力ということは、彼らはずっと誰かの導きを待っていたのだろう。無意識だったが、ちょっとはアバさん亜種たちの役に立てていたのだ。
「そんで、社会貢献ポイントはどうだ?」
晶の問いかけに、ボラギノールは手元のバインダーを眺める。
「へぇー、【預言者のカリスマ】があったとはいえ、奴隷にされていたホビット族と幼気な少女たちを解放して一気に6000ポイントも稼いでるわね。ソフィアちゃん救出で予想どおり1000ポイント入っているからこの短期間で合計7000ポイントよ。もしかして向いてるんじゃない? こういう仕事」
ボラギノールにそう言われ晶は満更でもなかった。
「そうかも知れないな」と得意げに言った。
「リアルニートがよく言うわ」
「お前が言ったんだろ」
現実世界では部屋に引き篭り、親の脛をかじってばかりの何の役にも立たない人間だったが、天使の力を借りたとはいえ、今ではちゃんと社会に貢献しているのだ。
別に社会の歯車になれたのが嬉しいという訳ではないが、皆のために働けているというのはそれなりに気持ちが良いものだった。
「さて……」とボラギノールが気を取り直して晶に向き直る。
「無駄話もこれくらいにして、そろそろポイントを精算するわよ」
「ポイントを精算?」
晶は首を捻る。
始めの手持ちが37500ポイントで、そこから勝手に転生したとかいう言い掛かりのせいで残り2500ポイント。ソフィアの居場所を聞いて残り1500ポイント。それで、サポート契約を結んで手持ちの社会貢献が0ポイントになったのだ。
そこに7000ポイントを加点するだけなのだから精算も何もない筈だ。
「ふふふふ……」
痔薬天使が不敵に笑いだす。
「な、なんだよ急に」
「勝手に転生した罪で貴方が背負った借金35000ポイントを今から精算するのよ」
「はあ? それはもう差し引いただろ?」
「始めに言ったと思うけど、借金35000ポイントは【後精算】よ。だから契約を結んだ時点のポイントはまだ36500ポイント残っていたってわけ」
「ていうことは、あのクソみたいなサポートの対価は1500ポイントじゃなくて、本当は36500ポイントだったってことか……。って、ふざけんな! 思いっきり詐欺じゃねえか! 」
随分気前のいい契約内容だとは晶も思っていたが、まさか裏があったとは思ってもみなかった。
「誰がふざけてるって? ちゃんと確認せずに契約を結んだあんたが悪いんでしょ。ただの自業自得よ。というか、そもそもさっさと昇天しないからこうなったのよ。良い? こっちはね、あんたのせいで合コンに参加できなくなったんだからね。人生台無しよ。ふざけてるのはあんたの方でしょ」
ボラギノールは目を吊り上げ言った。完全に逆切れだ。
「お前、本当に天使かよ……」
晶は呆れて言った。
人の人生より合コンの方が大切な天使なんて聞いたことがない。むしろ天使より悪魔と名乗った方がよっぽど清々しいだろう。
「はあ? どう見ても可憐で純潔で美麗な天使でしょ。ていうか、随分偉そうな態度だけど責任取ってくれるの? 高収入のイケメン紹介してくれるの? 引きこもりニートの人脈じゃ無理でしょ。だったら文句を言う資格なんてないのよ」
ボラギノールに反省の色など微塵もなかった。むしろ自分こそ被害者だと言わんばかりの傲慢な態度をしている。
ボラギノールは死者の魂を天界に誘導してるのだから、見た目は兎も角として仕事の内容的には死神のようなものだ。
死者と向き合い続ける死神の仕事はさぞ辛いだろう。だから性格が捻じ曲がってしまったのだ。と晶は仕方なくそう思うことにした。
「で、結局マイナス28000ポイントになるってことだろ? ポイントがマイナスのまま昇天したらどうなるだよ」
気を取り直し話題を変える。
嵌められたとはいえ、ボラギノールの言う通りちゃんと確認せずに契約を結んでしまったのは自分の落ち度でもある。それは認めざるを得ない。
ならばその先の待遇はちゃんと確認しておく必要がある。
「前にも言ったと思うけど、天界ではポイントがマイナスの魂用に救済プログラムが用意されてるわ。カルマシステムっていうんだけどね。地獄で他人の分まで業を背負うことによって現世の人々に救いを与える。ようは間接的に社会に貢献してポイントを稼ぐシステムよ。具体的には、叫喚地獄で大釜で茹でられたりとか、等活地獄で永遠に殺されたりとか、まあそんな感じね」
「うわ、マジか……」
想像以上にハードな労働内容に晶はドン引きする。
きょうび大釜で茹でられる地獄なんて日本昔話くらいでしか見ない。むしろ、曲がりなりにも天使の口から地獄という和な言葉が出てくること自体違和感バリバリだ。
「最初はキツいかもしれないけど、大体の人はすぐに気が狂って何にも感じなくなるみたいよ。あんた元々骨なんだし楽勝でしょ」
ボラギノールは平然と言った。
流石に骨の身だろうが茹でられたら出汁くらいは出るだろうし、熱さも感じる。まさに地獄の苦しみだ。
「……因みにだけど、マイナス28000ポイントを稼ぐのにどれくらい地獄で働かなきゃならないんだ?」
「そうね、頑張りにもよるけど最短で600年、長いと1000年は地獄から出られないわね」
「最短で600年……!? 生まれ変われる時には大分文明進んじゃってないっすか?」
「大丈夫。転生したら今の記憶は綺麗さっぱりなくなるから。地獄の苦しみも、引きこもりニートだった経歴も、その凝り固まった杓子定規な考え方も、残念な顔も、全部白紙に戻して、心機一転、新たな世界で人生をリスタートできるわ」
「ああ、そうだな。今度はイケ面に生まれ変われたらいいなあ」
「うんうん」
「……って誰が残念な顔だ!」
流石に記憶がなくなりゃなんでも良いってわけじゃない。600年間気が狂うような責め苦を味わい続けるのは記憶を消される以前の問題だし、どう楽観的に考えても辛すぎる。
だが、業を負った魂を校正させるという意味では間違ってはいないようにも思える。
刑務所だって犯罪者に楽をさせるためにあるわけではないし、地獄だって同じだ。記憶がリセットされても多少は真っ当な人間に生まれ変われるようにと、地獄の苦しみを魂に刻み込むのだろう。
とはいえ、自分がその地獄の苦しみを味わいたいかといったら答えはノーだ。
「まあ良いや。色々参考になったよ。ありがとう。それじゃあ俺は、もうちょっとこの世界で社会に貢献してから昇天するわ」
「は? 今なんて言ったの?」
ボラギノールがきょとんとして言った。
「いや、だからさ、地獄はキツそうだから今すぐ昇天するのはやめて、あと28000ポイントはこの世界で頑張って稼ぐことにするよ」
「何寝ぼけたこと言ってんのよ。天界の契約を破れると思ってるの? 天罰が下るわよ?」
「いやいや、その言葉そっくり返しますよ。契約の内容は絶対でしょう」
「ちょっと! 良い加減にしないと怒るわよ!」
ボラギノールはそう言って、懐から契約書を取り出して広げた。
【天使サポート契約書】
一、乙(晶)は甲(天使)に、契約締結時に所持する社会貢献度を全て捧げる。
二、乙(晶)の希望(ソフィアをリトナー侯爵の屋敷からダンジョンに連れ戻す)が叶うまで、乙(晶)は甲(天使)の奇跡によるサポートを無制限に受けられる。
三、乙(晶)の希望が叶ったら、甲(天使)の指示に従って乙(晶)は昇天する。
四、この契約は如何なる理由があっても解約できない。
五、この契約は乙(晶)の希望が叶うまで有効。
甲、ボラギノール
乙、田中晶
「ほら! 三番目に、希望が叶ったら指示に従って昇天するって書いてあるでしょ!」
「書いてあるけど、それが何か?」
「……それが何か?」
「だって、その契約ってもう無効じゃん」
晶は平然として言った。
「何言ってんのよ! 四番目に、この契約は如何なる理由があっても解約できないって……」
ボラギノールの表情が固まる。
「まさか、五番目に追記した内容って……」
「この契約は俺の希望が叶うまで有効。つまり、ソフィを助けられた時点でこの契約は無効ってことだよ。だから今すぐ昇天しなくっても良いでしょ? なんか怪しかったから、一応保険をかけておいてよかったよ」
契約書を見た時、晶は解約出来ないという文言が引っかかっていた。
ボラギノールの目的は晶を昇天させることなのだから逃がさないというのは当然といえば当然だが、逃げ道くらい作っておかないと不利な状況になった時にヤバいと思ったのだ。
解約が出来ないなら契約自体を無効にすればいい。受けた奇跡を無かったことには出来ないから支払ったポイントは諦めていたが、昇天のタイミングくらいは自由に選べるようにと掛けた保険だ。
結果的に、即地獄行きという痔薬天使の小癪な罠から逃れられたのだから想定以上の効果だ。
「そ、そんな屁理屈が認められる訳ないでしょ!」
ボラギノールの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「契約内容を良く読まないでサインしたのはそっちじゃん。自業自得だろ?」
晶はここぞとばかりに追い打ちを掛ける。
「う……」
「ということで、さっさと帰らせてくれよ。ソフィアを待たせてるんだからさ」
「ムカつく! 良いわよ! 帰してやるわよ! けれど、あんたが勝手に転生したって事実は変わらないんだから! このままで済むと思わないでよね!」
ボラギノールはどこかの悪役のような捨台詞を残し、天上へと上って行く。
一際眩しい光が視界を覆い、次の瞬間には晶は元の世界に戻っていた。
「ふう……、ただいま」
額に滲んでいるだろう汗を上腕骨で拭い、眼前で佇むソフィアに声を掛ける晶。
「お、お帰り……」
何が起きたのか分からないソフィアは、きょとんとしていた。