ダンジョン社会人
苔と湿った土の臭いと、冷んやりとした岩肌の壁。
照明はなく代わりに、凸凹した岩壁に群生する苔が蛍光色に淡く光っており、歩く分には苦労しない程度の光量を保っている。
巨大な岩盤をくり抜いたような洞窟に細く長い道が迷路のように入り組んでいて、所々に部屋のような空洞が存在する。晶の職場はさながらファンタジー世界のダンジョンといった感じだった。
晶が転生した石畳の部屋はダンジョンの再奥、老魔術師アルバトラスの居住区の一画だった。残念ながら美少女召喚士はそこにはおらず、住んでいるのはアルバトラス一人だけだ。
アルバトラスの居住区とダンジョンは堅固な扉で隔てられており、普段はアルバトラス以外入れないようになっている。
晶はアルバトラスに連れられ、その堅牢な扉を越えてダンジョン内を歩いていた。30分ほど進み、古い木製の扉の前でアルバトラスが足を止める。
「ここがお前の部屋だ」
アルバトラスが扉を開けるとその先は小さな部屋になっていた。中には木製の簡素なテーブルと椅子のセットが備え付けられており、目立った調度品はそれだけだった。
剥き出しの岩壁に錆びた剣や朽ちた槍などの武具が無造作に立てかけられており、床には木製の盾や革鎧などの防具類が埃をかぶって転がっている。
そして、扉の前にまるで二人を出迎えるようにして、理科室にある模型のような完璧な骨格のスケルトンが一体、槍を片手に立っていた。
「お前はこのスケルトンと行動を共にしろ。いいな」
「はぁ……」
晶は目の前に立つ先輩スケルトンを眺める。身長は晶より少し高く、骨格もしっかりとしているように思えた。
「今日からお世話になります。田中晶です。気軽にアキラと呼んで下さい。よろしくお願いします」
先輩スケルトンは空虚な眼窩を晶に向け、黙って耳を傾けていた。助けを請うように上司--アルバトラスに視線を向けるが、彼もまた全く無反応だ。
続く沈黙に一抹の不安を覚える晶。
「これから俺は何をすれば……」
「命令は与えただろう。それに従って働けば良い」
アルバトラスは眉をひそめて冷たくそう言い放ち、さっさと部屋から出て行ってしまった。
しんと静まり返った薄暗い部屋。人骨が二体向かい合って立っている。薄いドア越しに、遠くから謎の生物の奇声が聞こえてくる。
先輩と二人きりになってから続いていた沈黙を、晶は意を決して破る。
「えーと、改めまして、これからよろしくお願いします」
「……」
「先輩はお名前なんて言うんですか? 見た感じ熟練スケルトンって雰囲気ですけど、やっぱこの仕事長いんですか?」
「……」
続かない会話。どうやら先輩は寡黙なスケルトンのようだった。
先輩は何かを晶に指示することもなく「黙ってついて来い」と言わんばかりに、ゆっくりと部屋を出て行く。仕方なく晶もそれに続くことにした。
先輩スケルトンが古びた宝箱を開けると「ビービービー!」とけたたましい警報音が鳴り響いた。先輩スケルトンは慣れた手つきで宝箱の内側の窪みに指骨を差し込み、「カチリ」とスイッチを切ると警報音も直ぐに鳴り止んだ。
「えーと、今のは何ですか?」
「……」
相変わらず返答はない。
その宝箱は晶達の部屋から10分ほどの場所にある小部屋の中心に置いてあった。鍵は掛かっておらず中には記念硬貨みたいな大きめの銀コインが一枚だけ入っていた。
「これ、侵入者を検知するためのアラートなのかもしれませんけど、部屋の真ん中に置いてあったら怪しすぎて警戒されちゃうんじゃないですか? それに警報だけだと中身は盗られちゃうし」
「……」
先輩は何も言わず部屋の隅を指差す。そこには注視しないと気付かないような小さな穴が空いていた。先輩は手で晶を押しのけると静かに宝箱を閉じた。瞬間--
ビュン! と、その穴から勢いよく何かが飛び出し晶の頬骨を掠めていった。壁の穴から矢が飛び出し宝箱の正面に突き刺さったのだ。
晶はゴクリ、と存在しない喉を鳴らす。
「なるほど……」
宝箱を開ける時の警報はただのダミートラップで、警報を解除し中のお宝を奪って気が緩んでいるところに、矢が飛んできて致命傷を与えるという二重の仕掛けになっているのだ。宝箱が部屋の真ん中に置いてある理由は、わざと警戒心を仰いで警報の罠を解除させるよう誘導するためのもの。
人は相手の裏をつき策を見破ったと感じると慢心し相手を侮るものだ。この罠はその隙を突き相手に致命傷を与え宝を守る仕掛けになっている。意地は悪いが、人の心理を逆手に取った優秀な罠だ。
先輩スケルトンは矢を拾い、慣れた手つきで壁の穴に戻す。
「もしかして、この罠は先輩が考えたんですか?」
「……」
返答はない。しかし否定もなかった。
多くは語らないが--というか全く喋らないが--仕事に関しては完璧な人(?)のようだ。
晶は先輩に生意気な口を利いてしまったことを猛烈に恥じる。社会人たるもの、まずは先輩から教えられた仕事をきっちり覚えるのは当然なのだ。
先輩スケルトンはダンジョン内を回りながら、仕掛けられている罠を作動させては元に戻していった。その一連の作業を晶の前で黙々と続ける。
先輩は座学ではなく「仕事は見て覚えるもんだ」という考えの職人気質の人なのだろう。晶はこのシャイで職人気質なスケルトンのことを親方と呼ぶことにした。
親方は全く喋らないが、ダンジョンに住む他のスケルトン達も同様だった。彼らは晶たちとはまた別の、ダンジョン内の清掃や掘削、光苔の水やりなど様々な仕事を与えられているようだったが、晶が挨拶をしても無視して黙々と仕事を続けた。異世界転生でようやく社会人になれたのにこれではあんまりだと思ったが、しかし会話のできる相手もいる事を晶は直ぐに知る事になる。
「アババ!」
それは一言で表すなら小さいおっさんだった。
身長は子供程度しかないが、頭は禿げ上がり顔も厳つい。尖った耳とデカい鼻、緑色の肌が特徴的で、晶が知るファンタジー世界のゴブリンに該当するだろう--が小さいおっさんにしか見えない何とも珍妙な生き物だった。
その珍妙な生物が晶を見上げて「アババ!」と話し掛けてきたのだ。
「親方、これ一体何ですか?」
「……」
よく見ると、その個体以外にも同じ種類の生き物が腰布一枚に棍棒を掲げ「アババ!」と奇声を発しながら辺りを忙しなく走り回っていた。この周辺は彼らの生息区域のようだった。
晶に話し掛けてきた個体は木片をくり抜いて作ったカップを差し出している。中には濁りのある泡立った液体がなみなみと注がれていた。顔を近付け臭いを嗅いでみるとツンとしたアルコールの香りが鼻骨を刺激した。どうやら酒のようだ。
「これ、くれるんですか?」
「アババ!」
こちらの言葉を理解しているのか、珍妙な生物は不細工な顔に気の良さそうな笑みを湛え酒らしき液体の入ったカップをぐいっと差し出してきた。製造方法の分からない謎の液体は晶の繊細な腹を下すには十分過ぎる殺傷力を持っているように見えた。
助けを求め親方に視線を向けるが、晶を置いて既に遥か彼方まで行ってしまわれていた。
「ちょ……」
生前から断るのが苦手だった小心者の晶に小さいおっさんの好意を無碍にできる筈もなく、差し出されたカップを渋々手に取る。
「じゃ、じゃあ頂きます……」
「アババ」
意を決して眼窩を閉じ、謎の液体を下顎に流し込む。
「こ、これは……!」
舌骨を刺激する微かな酸味とほのかな苦味。下顎骨に広がるキメの細かい泡と芳醇な麦の香り。キンキンに冷えている訳ではないが味はまさしくビールのそれだった。
珍妙な生物手製の地ビールを、ないはずの喉をコクコク鳴らし一気に飲み干す。爽やかな感触が脊椎を流れ胸骨に広がった。
「ぷはあ!」
晶は肋骨からぽたぽた水滴を垂らしながら顎骨についた白い泡を腕骨で拭った。現世のビールより炭酸が薄く苦味が若干強いが、むしろそれが麦芽の香りを引き立て常温でも後味よく美味しく飲めるようになっているのだ。
「美味い! 美味いっすよこのビール!」
「アババ!」
小さいおっさんは嬉しそうに不細工な顔に満面の笑みを湛え、ビールの入った瓢箪を出しお代わりを勧めてくる。晶は頭蓋骨を指の先でぽりぽり掻く。
「お代わりは流石にすみません。まだ仕事中なんで」
「アババ……」
「仕事が終わったらまた来るっすよ。アバさん」
「アババ!」
晶はその気の良い小さなおっさんにアバさんと勝手に名付け、親方を追い掛けた。
会話のできる住人はアバさん以外にもいた。
初日の仕事が終わり親方と部屋に戻ってきた晶は、早速アバさんの住処へと向かった。軽い足取りで何となく記憶していた道筋を辿り、それらしき扉を開ける。
「フゴオオオ!」
「ぎょえーー!」
突然部屋の中から浴びせられた罵声に晶は慌てて扉を閉めた。扉の向こうに居たのはアバさんではなかった。革鎧に身を包み剣や槍で武装した数人の男達。ちょっと太めの人間のように見えた。
晶は確かめるため再び扉を開け、恐る恐る隙間から顔を出す。
「すみませーん……」
「フガ! フガ!」
彼らは入ってくるなと言わんばかりに、武器を構え威嚇している。一見恰幅の良い男(?)のようだったが、突き出た三角形の鼻と垂れ下がった耳、大きな口から鋭利な牙を覗かせる厳つい顔はどことなく豚に似ていた。
人間の体に豚の頭部、晶の知るファンタジー世界のオークに該当するのだろう。しかしでっぷりと太った腹をした彼らは『オーク』というより『ブタ』と呼んだ方が相応しい気がした。
「失礼しましたー……」
晶は彼らが人間ではなかったことに少し落胆し、そっと扉を閉じた。ブタさんはアバさんと違って気性が粗いらしい。「友達にはなりたくないタイプだな」と独りごち、気を取り直してアバさんを探しに行く。