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プロローグ

遠くに聞こえる救急車のサイレン。取り巻く騒々しい声。冷たいアスファルトに広がる血溜まりと、血液と共に失われていく意識。


大量の血を垂れ流し横たわる彼が助からないことは、誰の目から見ても明らかだった。



田中晶、25歳無職。大学卒業後、就職もせずに親の仕送りを受けながら都内に一人暮らし。アルバイトもせず、ほぼ引きこもりに近い生活をしていきた。


晶が就職しなかったのは単に就職活動に挫折したからだ。


今まで情熱を持って打ち込んできたこともなく薄っぺらい人生を送ってきた晶には、他人に誇れるエピソードや、アピールできるスキル、経験は皆無だった。


そもそも目指すものがない、やりたい事もない、今まで目の前に敷かれたレールをただ進んできただけなのに、急に進む道を自分で選べと言われても無理な話だったのだ。


本当にやりたい事を探すため、という理由で一年間就職浪人をしたものの、23年間見つけられなかった人生の目標をたった一年で見付けられる筈がなかった。


結局就職活動さえせず漠然と日々を過ごし、社会人として立派に成長していく周囲にコンプレックスを感じ、自然と人付き合いを避け引き篭もりがちになっていった。


ゲームやアニメに逃避し人生を浪費するだけの生産性の無い人間、というのが晶の今の自己評価だ。何も言わず仕送りを続けてくれている親には申し訳ないが、このまま人生を終えてしまっても構わないとさえ思っていた。


そんなある日、いつも通り日が落ちてから起床した晶は朝食という名の夕食と飲み物を買いにコンビニに出かけた。


小雨降る肌寒い夜。パーカーのフードを目深に被り、顔を隠すようにビニール傘をさす。弁当と季節外れのおでんを片手に知り合いに会わないよう小走りに帰宅する。


車道を足早に通り過ぎていくヘッドライト。傘の縁で雨粒が刹那に輝く様をぼんやり眺めていた晶は、ふと道路脇の垣根から猫が顔を覗かせているのに気付く。


車道を挟んだ向こう側。深夜でも決して車通りが少なくない県道沿いの路側帯に植えられた垣根の中で、猫は道路のこちら側に今にも走り出さんと構えているように見えた。


「馬鹿、危ねえだろ……」


晶は傘を上げ左右を伺う。ちょうど車が途切れていたが、ミラー越しに見通しの悪いカーブの向こうから急速に近付いているヘッドライトが見えた。


猫にそんな事は分からないのだろう、意を決したように垣根から猫が飛び出てくる。そして強烈なヘッドライトを浴び車道の真ん中で体を硬直させた。


晶は反射的に動いていた。垣根を飛び越え車道に飛び出し震える猫を抱き抱える。


別に愛ネコ主義者という訳でも、正義ぶった訳でもないが、どこかでずっと綺麗な死に方を求めていたのかもしれない、とスローモーションで迫り来るヘッドライトを眺めながら冷静に自分の行動を分析した。


猫を路肩に放り投げ、目を閉じ不可避の死を受け入れる。後悔はただ一つ。それは遺して逝く家族にでも、喪われた将来の夢にでもなく、シャットダウンせずに遺していったPCにだ。


(せめて、アブノーマルなやつくらい消しておけばよかったな……)


もし生まれ変わる事があれば、完全なセキュリティ対策をPCに施すだろう。しかし時は既に遅し。不慮の事故で死んだ息子の負の遺産を、現役SEの母親が漁るのは不可避だった。


晶は自身のITリテラシーの低さを嘆きながら、細く短く薄っぺらなその人生を呆気なくシャットダウンした。




死後の世界には、天国とか地獄とか浄土とか冥界とか色々な表現があったが、本当の死後の世界ってこんなものなのか、と晶はぼんやりと思った。


そこは宇宙に近いがそれとも違う何にも形容しがたい世界だ。上とか下とか右とか左といった方向を示す概念は当てはまらず、大きいとか小さいとか高いとか低いといった尺度を測る概念さえも当てはまらない。ただ漆黒の闇が無限に広がる虚無の空間だった。しかし晶は確かにそこに存在し、視覚では捉えられないが大きな存在を知覚できるような摩訶不思議な世界だった。


この摩訶不思議な世界にいると現世に遺してきた様々な遺産--主にアブノーマルなコレクション--さえどうでもよく思えた。


そして晶の魂は浄化され輪廻転生の円環に加わり、再び生を受ける順番を待つ


--筈だった。



『お兄ちゃん……』


晶は確かに自らを呼ぶ少女の声を聞いた。


晶には生き別れの妹も、幼き頃に亡くなった妹もいなかったが、摩訶不思議な世界での鋭敏な知覚が、その美少女の--と思わしき--声が自分を呼んでいると確信していた。



『お兄ちゃん……』


方向という概念すらない虚無の空間で、しかしその声だけは微ロリコンの晶の心をしっかりと掴み、確かな座標を示していた。


晶はその座標に向かって魂を移動させる。感覚的には真っ暗なデスクトップ上でマウスのカーソルを移動させるのに近い行為だった。



『お兄ちゃん……』


そして、美少女の声が示す座標上で魂という名のカーソルをクリックさせる。今後のゲームの展開を左右する大切な選択肢をwikiも見ずに選ぶような期待と不安を胸に抱き。



--カチリ


と幻聴が聞こえたその瞬間、晶の魂は眩いばかりの閃光に包み込まれた。




(キタァァァァッ!!)


白色透明の光のトンネルを潜りながら、晶のテンションは頂点を迎えていた。


これが噂に聞く異世界転生ってやつなのだろう。しかも美少女召喚士に呼ばれるというベタなハーレム展開だ。


人生をリセットしたいとさえ思っていた晶にとって、それは願ってもないことだった。期待に胸を膨らませながらトンネルの先にある虹色の空間を目指す。晶の直感がそこが異世界への出口だと告げていた。



程なくして晶の存在を包んでいた眩い閃光が白色から虹色に変わり、一瞬にして遠ざかる。同時に、久方ぶりの気怠い重力の感覚が蘇る。



(転生した……、のか?)


意識を覚醒させた晶は、眼前に広がるぼんやりとした景色を視床下部に焼き付けた。


そこは薄暗い正方形の空間で、石で出来た壁に囲まれていた。四方の壁に照明ランプが掛かっており、狭い部屋を心許なく照らし出している。


壁面には木棚が添え付けられており、胡乱な道具や物珍しい植物などが並んでいた。床は石畳が敷き詰められ、奥には古い木製の扉。晶のいた世界、少なくとも現代日本でには見られない景色だった。


そこまではまだ晶の想像の範疇だったのだが--


肝心の、自分を異世界に呼んだ美少女召喚士の姿が何処にも見当たらなかった。


晶は仕方なく、目の前に突っ立っている--恐らくモブだろう老人に尋ねてみることにした。


「すみません。美少女召喚士はどこですか?」


老人の皺だらけの顔が歪み微妙な表情を浮かべる。驚愕、戸惑い、疑心、憤慨、あるいはその全ての感情が篭っているようにも見える。


しかし返答はない。


(ああ、きっと耳が遠いんだろうな……)


いくら異世界のモブ住人相手といえど『美少女召喚士』なんてワードをリアルに口に出すのは流石に恥ずかしかったが、今後の異世界生活を左右するとても重要なことだったので晶は仕方なく二度言った。


「あのー! 俺を召喚した美少女召喚士は何処にいるんですか!?」


恐らく齢70は超えているだろう、禿げ散らかした頭に腐った人参のように萎れた鷲鼻、痩せぽそった肢体にボロボロのローブを羽織った如何にも怪しい魔術師然とした老人にもしっかりと聞こえるように、大声ではっきりとそう問いかけた。


しかし老魔術師はその窪んだ眼窩に戸惑いの色を浮かべ、壊れた人形のように呟くだけだった。


「何故だ……、何が原因だ……」


耄碌しているのだろうか、それとも目の前に突然現れた眉目端正な勇者に仰天しているのだろうか。晶は顎に手を添える。


その時初めて、晶はずっと手に何かを握り締めていた事に気付く。徐ろに手を広げそれを確認した。


「………なッ!」晶は思わず絶句する。


手に握られていたのは翠緑のエメラルドを意匠を凝らした黄金の縁にはめ込んだ豪奢なペンダントだった--が、今はそんな事どうでもよかった。問題はそれを握っている手だ。


「嘘……だろ?」


目の前に翳した手は白魚のような極細の指--を通り過ぎて白骨化した手だった。慌てて視線を下ろし余計に混乱する。


「え? はあ? ない……! ない……!」


引き篭もり生活で弛んだ腹と、その下に隠れていたであろうシックスパックの腹筋、更にその下にあるはずの健康な五臓六腑も、すべて綺麗さっぱり無くなっており、乳白色の肋骨、腰椎、骨盤が剥き出しになっていた。


「うわああああ!!」晶は思わず叫び立ち上がる。カラカラと乾いた骨の音が、石壁に囲まれた狭い部屋に虚しく響き渡る。


晶の体は、理科室に置いてある骨格標本の如き完璧な骨の体になってしまっていた。


晶の知る限り異世界転生には2つのパターンが存在する。現世の姿のまま転生しチート的超能力を得るパターンと、全く別の誰かの体に魂が宿ってしまうパターンだ。


(これは一体、どっちのパターンだ……)


二つ目のパターンでは、依代になる体は容姿端麗な勇者や超人的な魔神の類など初めから破格の性能を持っていると相場が決まっている。それが何ということだろうか。


晶は髑髏に穿った空虚な眼窩に怒りの炎を燃やし、指骨を強張らせ老魔術師の胸ぐらを掴みあげた。


「何だこの異世界転生は! ふざけるな! 美少女召喚士はどうした! 俺の肉体はどうした!」


老魔術師が顔を歪め呪文を唱える。その直後、晶の大分軽量化された体が、いとも簡単に宙に吹き飛ばされた。


硬い石壁に背骨をしこたま打ち付けた晶は石畳の冷たい地べたを盛大に転げ回る。骨が折れたのではないかと思える程激しい痛みに、骨剥き出しの体を見て納得する。肉がないということは体の大切な部分を守る鎧がないということだ。


「くそ……」


「ふむ、呪文が抵抗されることはないようだな……。ならば問題ない」


老魔術師は冷たい眼差しで晶を見下し、筋張った手を晶の頭蓋骨に翳す。


「永遠に続く深淵の闇、命に飢えし生者を貪る死神よ、我が盟約に於いて、見えなき軛で仮初めの魂を繋ぎとめよ。我が名はコルテス・カラマ・アルバトラス。邪悪なる大魔術師である。汝も名を名乗れ」


自らを邪悪なる大魔術師と名乗る怪しい老人。晶は逡巡し、渋々自らも名乗る。


「……どうも、田中晶です」


名乗られたら名乗り返すのが礼儀だと母親に厳しく教育されてきたからだ。


「不死なる僕タナカ・アキラよ。我が名に於いて汝にダンジョンの守備と罠の整備を命ずる」


「ダンジョンの守備と罠の整備?」


その瞬間、晶は微かな違和感を感じた。アルバトラスに対する感情の変化だ。まるで旧知の仲のような親しさと、小学生の時の恩師に対する尊敬のような感情が湧いてくる。しかし、それ自体に嫌な感じはしなかった。


「無断で潜入してくる不敬な冒険者から我が宝を守るのだ」


「はあ……」


こうして晶は異世界で、不本意ながらもスケルトンとして人生初の就職を果たすのだった。


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