第八話:無邪気で危険な爆弾
「―――失礼致します」
膳を台所に片付けた雀は、そう告げて伽耶の部屋とは比べ物にならないほど豪奢な戸を開ける。
そこには、深い青の髪をした男―――雀の同僚である子龍が部屋の端で鎮座していた。その隣に座ると、顔半分を覆う長い髪を揺らしながら、入ってきた雀を静かに一瞥する。
「……どうだ、あの娘の様子は」
あの娘、というのは恐らく先刻まで共にしていた雪野伽耶のことを指しているのだろう。
雀は純粋無垢そうな微笑みを浮かべていた少女を脳内に思い描きながら、ごくごく端的に告げる。
「……まるで何も知らない様子だったわ」
「……ならさっさと殺してしまえばいいものを……主様はお優し過ぎる」
「……そう、ね……」
―――今回、雀があの少女の素性を聞き出す役割を買って出たのは、未知の相手の警戒心を解くためだった。
あの少女の身なりはこの国ではかなり異彩を放っており、どこを探しても彼女と同じ服装の人間はそういるまい。隣国からの襲撃者の可能性がある。更に、雪野伽耶の発したこの国の事情を全く知らないという言葉は、益々彼女に対する疑わしき意識を強めさせる要素となってしまった。
この国の現状を知らず、平然と我が国に足を踏み入れる人間など到底考えられないのだ。旅の行商人ですら、この国を通りたがらないというのに。
子龍のように、疑わしき人間は即刻切り捨てたがる性格では、聞き出せる情報も聞き出すことが出来なくなってしまう。
そもそも、あの少女をこの屋敷へ連れて来ようと決めたのは、我が主に無遠慮に触れた彼女の頭を背後から子龍が剣の柄で殴ったのが始まりなのだ。
主至上主義である子龍にとって、無礼な真似を働いた雪野伽耶は今すぐにでも切り捨てたい人間であるのは間違いない。しかしながら、どういった風の吹き回しなのか、いつもならば見知らぬ土地の者なら即刻切り捨てるか放置するかの二択でありながら、我が主はこのまま放置するのは寝覚めが悪いと彼女を屋敷まで運んできたのだ(実際運んだのは雀だが)。そうして、朝まで面倒を見てやれと雀に命じたのである。
「―――雀」
凛とした、たった一声で背筋が伸びる声が自分の名を呼んだ。
雀は弾かれたように顔を上げ、上座に座る我が主――――李風杏翡に向き直った。
「はい、杏翡様」
屋敷での朝ということもあり、杏翡はいつもの一つに括った髪を下ろし、長い黒髪を風に靡かせながら、じっとこちらを見下ろしていた。中性的な顔立ちがより一層際立っている。
「あの娘からは、何か情報は聞き出せたのか?」
「はい。……ですが、少々、厄介なことがありまして」
「……厄介なこと、だと?」
雀の引っかかる言葉に眉を寄せる杏翡だったが、言葉を発したのは雀の隣に座る子龍であった。訝しげな顔つきでじっと次の言葉を待っている。
しかし、そんな二人の突き刺さる視線の中、雀はぐるぐると思案していた。否、苦悩していたといってもいい。
―――雪野伽耶。
あの少女は、とても危険だ。杏翡の傍に置いておくには、とても安心出来る存在ではない。
といっても、身体は特に力を秘めているとは思えないほど平凡だし、話せばどこにでもいる普通の少女という印象だ。身なりとこの国にやってきた経緯が不明なのが些か気になるが、ごくごく一般人と考えるのが妥当だろう。
しかし、雀が懸念しているのはそこではなかった。
(……これは、杏翡様には申さぬ方が良いことなのかもしれない。けど……)
「……雀、どうした」
杏翡が静かな声で雀の思考を断ち切る。はっと雀は我に返った。
美しい空色の瞳が、暗雲が立ち込めていた雀の胸の内をすっと軽くしていくような気がした。その感情の読めないと言われる杏翡の瞳の奥には、苦悩する雀を気遣わしげに見ていることが分かる。
全てを見透かすようなその瞳に射抜かれ、雀はぎゅっと拳を握り締め、俯いた。それまでうじうじと悩んでいた自分がとても恥ずかしく思えてくる。
(私はなんて馬鹿なの……! 杏翡様の為とはいえ、主君に心配をさせてしまうなんて……家臣失格だわ)
雀はすぐに板張りに額を付け、杏翡に対して頭を垂れた。
「申し訳ございません、杏翡様。お心遣い、痛み入ります」
「杏翡様にご心配をおかけするとは貴様……切り捨てられたいのか?」
隣の子龍が怒気を孕んだ声で瞳をぎらつかせる中、杏翡が小さく嘆息する。
「子龍、その辺にしておけ。……雀、面を上げろ。話してくれるな」
杏翡の声に顔を上げた雀は、力強く頷いた。
そして、意を決してあの無邪気で危険な爆弾を秘めた少女について語り始めた―――。