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ユキカゼ  作者: 天野弱
第二章【少女たちの邂逅】
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第五話:枝垂桜の邂逅

 けれど、いつまで経っても鎌の痛みはやってこなかった。

 恐る恐る瞳を開き、背後を見やる。


「……え……?」


 伽耶の目に飛び込んできたのは、鷹だった。

 否、鷹に酷似した動物の顔を象った深緑の羽織を纏う、伽耶と同い年程度の少女が背後に立っていたのだ。

 色素の薄い、月の光の加減で何色にも染まるような滑らかで清純な黒髪だった。その黒髪を一つに縛り、風になびく姿はまるで古強者の侍のよう。

 この位置からでは彼女がどんな表情をしているのかは分からないが、とても同年代とは思えないほど貫禄のある後姿だった。

 少女は伽耶に襲いくる筈だった大降りの鎌をいとも容易く剣で受け止めており、それを軽い調子で弾き飛ばした。小太りの男がよろめいたのが視界に飛び込んでくる。


「――何をしている」


 芯の通った、耳触りの良い声だった。しかし、その口調には相手を簡単に萎縮させる威圧感と、氷のような冷たさが込められている。目の前の男たちが息を呑んだのがこちらからでも分かった。


「貴様ら、高麗の者だな。これは、ここが新羅の領地ということを分かった上での狼藉か?」


 今度は少女の少し後ろに佇んでいた、二十代半ばの細身の男が口を開いた。

 まるで深い海の底のような、伽耶のいた現代では考えられないほど美しい青の髪が腰まで伸びており、男の背にも鷹のような顔をした深緑の羽織が主張している。


 少女たちの鋭利な視線に怖気づいたのか、小太りの男が慌てたように手の中の鎌を消失させ、痩せこけた男はおたおたと提灯を握りながら視界を彷徨わせる。


「ち、違う! 俺たちはただ、迷い込んでしまっただけなんだ!」

「迷い込んだだと? 世迷言を言うな、高麗の羽織りを着た者がどうしてここへ迷い込むというのだ」


 ぐっと息を詰まらせる小太りの男とは対照的に、痩せこけた男は何故かへらへらと薄気味悪い笑みを浮かべて少女へと近寄った。

 まるで道化のような変貌に、ひやりと背筋が凍る。


「申し訳ございませぇぇん、新羅のお嬢様。私たちは任務で高麗への帰還途中、本当にここへ迷い込んでしまっただけなんですよぉぉ」


 何を思ったのか、先刻と打って変わって仰々しい態度な上、口調まで不快でねっとりとしたものに変化していた。

 そうして彼女に媚びする様子は、薄気味悪く肌が粟立つ感覚がした。


「情けない姿は演技だったということか……」

 

 青の髪を持つ男が独り言のようにごちる。

 嘘の仮面を被っていた道化の男がぶるぶると情けなく小刻みに震える伽耶に視線を向け、にやりと口角を釣り上げる。

 小太りの男が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして道化の男に声をかけるが、まるで聞こえていないように何も語らぬ少女へ向かって媚びへつらう。


「おい、お前何を言って――」

「なのでこの娘に道案内をして貰おうとしたのですが、なんと驚いたことに、彼女は高麗の大事な(ふみ)を持っていたのですよぉぉ。それを渡して貰い問いただそうと思ったのですが、逃げられてしまいましてねぇぇ? やむなく強行手段に及んでいた訳なんですよぉぉ」

「何……?」


 疑心の声をあげる青の髪の男の背後で、伽耶は驚愕に目を見開いた。

 

(道案内!? 文!? この人は一体何を言っているの!?)

 

 そこではっと思い至った。この男は伽耶を(おとしい)れ、彼女の言及から逃れようとしているのだ。

 自分に謂れのない濡れ衣を着せようとしている魂胆が見え、伽耶は震える声でやせ細った道化のような男に声を上げた。


「わ、私……文なんて知らないよっ。だ、だって、コマとか、シラギとか、貴方の言っている事が一つも分からないんだから!」

「……と、この娘は言っているが?」

「そんなのあなた方を陥れる為の嘘に決まっているじゃありませんかぁぁ? 真に受ける必要はございませぇぇん」

「ど、どうしてそんなことを……本当に私、知らないのに……っ!」

「―――五月蝿い小娘ですねぇぇぇ」

「……ひっ!」 


 少女に対する仰々しい態度とは一変し、伽耶に向ける視線と口調はぞっとするほど冷たい。

 凍りつくほど鋭利な視線に、伽耶は再び閉口した。


「さあさあ、新羅のご令嬢? その娘をこちらにお渡し頂きたい。さすれば我々は早急にここから立ち去りましょう」

「……どうされますか、我があるじよ」


 青い髪の男が少女に小さな声で囁いたと同時に――少女が間髪入れずに、道化の男の腹部へ向かって何の躊躇いもなく剣を横薙ぎに振るった。


「――去るがいい。お前の虚言はつまらない」


しかし、鮮血が飛び交うこともなく、男がまるで巨大な台風にでも遭ったかのように遙か先まで吹き飛ばされる。どうやら剣の峰を使ったようだった。

 伽耶は少女の圧倒的過ぎる力に息をすることも忘れ、恐怖を覚える前に彼女の美しい動作に見惚れてしまっていた。

 しかし、剣を振り下ろしただけであれだけの長距離まで人間を吹き飛ばすことなど、果たして可能なのだろうか。


「くそっ……! このままでは終わらんぞ!」


 負け惜しみのような怒号の声を発した小太りの男に、伽耶はようやくはっと我に返った。今度は男が再び風と共に鎌を出現させ、勢いよく少女へと詰め寄った。

 だが――。


「――愚かなことです」


 いつ現れたのか――男の背後に燃えるような緋色の髪をした女が右手で彼の顔を抑え、左手で喉元に短剣を当てていた。いつ喉を掻っ切っても構わないとでもいうような、完璧な立ち位置である。


「こ、この女……! いつの間に俺の後ろに!」

「我が主に剣先を向けることは、万死に値します」


 緋色の髪の女は更にぐっと短剣を男の喉元に押し付ける。鋭利な短剣は、小太りの男の喉にいとも容易くめり込み始め、一筋の鮮血が喉を通っていく。

 自分の体から血が滲み出していることに気が付いたのか、男の顔面が真っ青になる。感情とリンクしているのか、男が動揺したことによって両手の鎌は光の粒子となって消失した。


「わ、分かった! もうこの娘には関わらない! すぐ新羅の領地から出ていく! だから頼む、見逃してくれ!!」


 小太りの男は真っ青な顔をしたまま、少女に向かって唾を飛ばしながらそう叫んだ。

 短剣を握ったままの緋色の髪の女、少女に付き従う青髪の男――そして、少女の後ろ姿だけを見つめる伽耶。三人の視線が一点に少女に向けられる。

 風になびく黒髪を揺らしながら、少女が静かに長剣を鶯色をした鞘に納めた。

 そして、すぐに男に興味を失ったように淡々と口を開く。


「……(すずめ)。その男を解放しろ」

「御意」


 少女の言葉に、緋色の髪をした女――雀は瞬きをした刹那の速さで小太りの男の傍から姿を消し、次の瞬間、風と共に少女の脇で膝をついた。彼女の背にも、鷹に似た顔をした羽織が纏われている。

 ふいに目の前に現れた女に、伽耶は目を丸くして息を呑んだ。

 解放された男は、吹き飛ばされたやせ細った男の方角へと慌てた様子で駆け出して行った。


「さて――」


 騒ぎの元凶である男たちがいなくなり、冷えた夜風だけが伽耶たちの周りに吹き始める。

 沈黙しかけた空間に、少女が再び口を開きながらこちらに向かって振り向いた。


「――お前は何者だ?」


 桃色の花弁に包まれた夜風が、伽耶と少女の間を駆け抜けていく。


 ―――これが、始まりの邂逅だった。

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