表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/60

最後の言葉

 拓途の身体の下で、わたしは足をバタバタさせて暴れる。


 嫌がっていると気づいて欲しかったのに、拓途にはぜんぜん伝わっていない。彼の指先は、わたしの太ももをゆっくりと上へ伝って、ショーツに触れる。


 どうにか逃げようとしているうちに、わたしは押入れの奥へ入り込んでしまった。


 バン! と音がして、拓途の足がふすまに当たる。その勢いで、ふすまが半分くらい閉まって、押入れの中が真っ暗だ。


 暗闇の中では、目の前にある彼の顔も見えない。荒い息づかいがはっきりと聞こえる。

 

 カチャカチャと金属音もする。拓途がベルトを外そうとしているのかもしれない。彼は腰を少し浮かせた。


 今しかない。逃げなければ。


 拓途が体勢を変えて、横向きになった。キスでふさがっていた口も、やっと自由になる。


「いやんっ、もう、ダメ」


 私は叫んで、押入れからはい出す。


 とにかく拓途の興奮が治まるまで、どこかへ隠れようと思った。


 私はとっさに、洗面所まで走る。


 鏡の前へ立ったとき、見えたものに、私はびっくりして、頭が真っ白になる。


「えっ?」


 鏡に映るのは、黒い髪。子育てに追われて、美容院にも行かずに放ったまま、肩につくまで伸びた髪。


 私は、35才の姿になっている。


「あっ」


 いつ戻ったのだろうか。私が変身するのを見ていれば、拓途は何かを言うはずだ。もしかしたら、真っ暗な押入れにいる間に、元へ戻ったのかもしれない。


 私は思わず、鏡に触れる。


 これが35才の私。頬にくっきりと入ったほうれい線、たるんだ口元。くたびれた顔をしたおばさんが、白いワンピース姿で立っている。胸元にむちっとはみ出る贅肉。その姿は、必死に若づくりしているようで痛々しい。


 肩ひものついた少女っぽいワンピース。普段は、このワンピの下へTシャツを重ねたり、デニムパンツを履いたり、1枚だけで着ることはない。けれどさっきまで、私は15才の姿をしていた。いつもと違って、肌へ直接、着ているのだ。


 後ろで、弾むような足音がした。振り返ると、そこに拓途がいた。 


「元に戻っちゃった」


 自分の声が震えているのに気がつく。なぜ、戻れたのが嬉しくないんだろう。


 もう二度と、元の姿にはなれないかもしれないと覚悟していたのに、35才に戻れた。娘のはると平穏に暮らせる。母や弟に心配をかけずに済む。いつもと変わらず仕事にも行ける。飛び上がって喜んでもいいはず。


 拓途は最初、ぽかんとしていた。一瞬、何が起こったかわからなかったのだろう。そのあと急に、怯えた顔つきへ変わる。


「拓途、どうしたの」


 私が突然、おばさんに戻ったせいで、彼は驚いているのだろうか。私の正体がおばさんだって、彼はとっくに知っているのに、なぜこんなに怯えるのかわからない。


「何かあった?」


 私は、拓途に近づく。


 彼が顔をひきつらせて、後ずさりをした。


「何なのよ、そんな顔して」


 私は、彼の頬に手を伸ばす。


 拓途は身をかわして、足をもたつかせながら逃げるように走る。


「待って」


 私は彼のあとを追う。私が追いついたときには、拓途は玄関で靴をつっかけていた。余程あわてているのか、制服のカッターシャツはズボンからはみ出して、肩にかけた通学カバンのひもが、ぐるぐるにねじれている。


「ねえ、本当にどうしちゃったの」


 私は恐る恐る、訊いてみた。拓途が私を避けている。それはわかったけれど、彼がそうする理由を知りたい。


「私、何か悪いことしたのかな。嫌だと思うことは隠さず話そうって、さっき海で約束したよ」


 私は言った。うちへ来る前、海にいたとき、彼とケンカして、仲直りのあとにそう約束したのだ。


 拓途は困ったように、視線を泳がせる。


「お願い。どうして嫌なのか教えて」


 私はもう一度、拓途に頼んだ。


 拓途はしばらく思いつめたような顔をしていたけれど、やがてため息をつき、うつむいた。


「あんた、キモいの通り越して、怖い」


 彼はボソッと言うと、玄関を出て行く。


『怖い』


 自分に向けられた最後の言葉が、頭の中でこだました――



「もう、くたくただわ」


 母はそう言いながらも、嬉しそうだ。


 昨夜からずっと、はるを預けていた。その間に、はるの大好きなアンパンマンのテーマパークへ行ったみたいだ。孫と過ごした一日のできごとを、母は楽しげに話してくれた。


「ばあば、かってくえたの。アンパンマンいーっぱいなの」


 はるは、真っ赤な浴衣を着ていた。アンパンマンの笑顔が、散りばめられた柄。それに負けないくらい頬をピカピカに赤くして、はるは興奮気味に話す。


 はるは最近、言葉も増えて、よくしゃべる。舌っ足らずなのは変わらないけれど、以前と違い、何を話しているのかなんとなく伝わる。


「わあ、その浴衣、格好いいな。ばあばが買ってくれたんだ」


 私は、はるを褒めちぎる。


「こえ着ておまつりいくの」


 はるが目を輝かせて、私にねだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ