やきもち
「え?」
さっきまで、拓途はひどく怒っていたはず。それが突然、満面の笑顔になった。わたしには、さっぱり訳がわからない。
「なつが、自分の思ってること話してくれたの初めてだし、嬉しい」
拓途はくるりと自転車の向きを変えて、わたしのそばまで戻ってくる。
「なつって、思ってることはっきり言わないだろ。だから、俺のことも、どう思ってんのかわかんないし」
拓途が照れくさそうに視線をそらす。
「それで、なつがあんな風に笑ってんの見たら、なんか腹立った」
「ちょっと待って。わたし、拓途の言ってることがわからない。笑うって?」
わたしが拓途のことを馬鹿にしたように笑って、そのせいで、彼は腹が立ったとでも言いたいのだろうか。けれど、わたしはそんな失礼なことをした覚えはない。
「笑ったろ。あいつの前で、めっちゃ嬉しそうに」
拓途はふてくされたような顔をする。
「あいつ?」
「重田だよ」
拓途がそっけなく言う。重田って、シゲくんの苗字だ。
「なつの笑う顔って、いつも大人っぽくて。どう言えばいいかな……。あんまり歯見せないで、静かな感じで笑うんだ。それって、俺にちょっと距離、置いてる感じがする」
拓途は寂しそうに笑う。わたしにそんなつもりはなかった。わたしは、拓途と一緒に居ると、嬉しくてたまらないのに。
「だけどさっき、重田の前では、子どもみたいにめっちゃ笑ってた。口大きく開けて、もう顔中が嬉しいって言ってるみたいな感じで」
「えっ、そうかな」
わたし自身は、普段と変わらないと思っていた。でも、本当に久しぶりにシゲくんに会えたから、その喜びが、素直に顔に出たのかもしれない。
「そうだよ。俺にもたまには、ああいう顔見せろ」
拓途は、ちょっぴり偉そうな言い方をした。
「うん、わかった」
わたしは意識して、大口を開けて笑ってみる。拓途も照れたように笑った。
「わたし、なるべくこうやって笑うね。そうじゃないと、わたしが嬉しいって思ってるのが、拓途に伝わらないもん。だから拓途も、怒るときにむっつり黙っちゃうの、止めて欲しいな」
わたしも拓途に提案する。
「さっきは、拓途がどうして怒ってるのか言ってくれなくて、わたし、何て謝ったらいいかわかんなかった。拓途は人を無視するような子じゃないのに、急にどうしちゃったんだろうって不安だったし。これから、嫌だと思うことはちゃんと口で言おう。わたしもそうする」
「うん、俺もそうするように気をつける」
拓途は、わたしの目を見て、約束してくれた。
「でも、シゲくんが学校の先生やってるなんて、似合いすぎて笑っちゃう」
わたしは話題を変える。
「あいつのこと、『しげくん』って、呼んでんだな」
拓途が不機嫌な声を出す。
「そうだけど」
「その呼び方、嫌だ」
拓途は、子どもが駄々をこねるような言い方をした。
「何でよ」
「なんか、あいつと特別に仲いいって感じに聞こえる」
「だって、仲良かったもん」
拓途は目を伏せて、ものすごく沈んだ顔をしてみせる。
「まあ、長いこと会ってないから、今は、どうかわかんないけど」
わたしはあわてて言い足す。
拓途がほっとしたように、顔をほころばせた。
「だけど、拓途もあの子のこと、下の名前で呼び捨てにしてるでしょ。家族みたいに親しそうに。わたしだって、嫌だったんだよ」
わたしも、自分の思いを素直に拓途にぶつけてみる。
「あの子?」
「拓途のお向かいの家の女の子だよ。『みずき』さんって名前だったよね」
彼女は小さな頃から拓途をよく知っているようだったから、きっと拓途の幼なじみなのだ。冷たく透き通った水みたいに、きれいだった女の子。
「みずき?」
拓途が吹き出す。
「何で笑うの」
今、わたしは15才の少女の姿をしているけれど、正体は35才のおばさんだ。あんな美人の女子高生に嫉妬するなんて、みっともないとわかっている。それでも、わたしは、拓途が彼女を『みずき』と呼ぶたびに、本当に寂しくてたまらなかった。
「だったら俺、これからあいつのこと『彩乃』って呼ぶ」
拓途は、面白がっているみたいに笑う。
「あやの? えっ、じゃあ、『みずき』さんっていうのは」
「苗字だよ」
拓途が、また吹き出す。
「やだ、そうなの。いいよ、そのまま『みずき』さんって呼んで」
ひとりで勝手に勘違いをして、やきもちを焼くなんて恥ずかしい。顔がすごく熱かった。拓途が口元をゆるめて、わたしを笑った。




