海風が懐かしい人を連れてくる
わたしは、波打ち際で足を浸す。海水は、思っていたよりも冷たい。風が、わたしの頬をなでる。夏のきつい日差しにさらされて火照った身体には、とても気持ちいい。わたしは15才の姿で、麦わら帽子をすっぽりとかぶって、浜辺に立っている。
自転車で、拓途との待ち合わせ場所へ向かう途中、あまりに暑くて、わたしは寄り道をしてしまった。彼と初めて会った、あの防波堤沿いの道。そこを通りかかったとき、心地のいい潮風が吹いてきて、わたしはひと休みしたくなった。それで、銀色の自転車を停めて、波打ち際へ下りた。
急に大きな波が迫ってきた。わたしはあわてて、ワンピースのすそを引き上げる。肩ひもがついた真っ白のワンピース。そのスカートのすそが、ちょっとだけ濡れてしまった。
わたしは目を細めて、空を見上げる。太陽は、わたしの頭の真上あたりにある。もう正午を過ぎたかもしれない。あと少し足を冷やしたら、ここを出よう。そうしないと、拓途との待ち合わせに遅れてしまう。拓途は、12時30分頃には、補習授業が終わると言っていたから。
わたしはふと、砂浜に目を向ける。中高生ぐらいの男の子達が、Tシャツと短パン姿でダッシュの練習をしていた。どこかの学校の部活動なのだろう。顧問の先生らしき男性が、手を叩いて男の子達を励ましながら、自分も一緒に、砂まみれになって走り回っている。イマドキ珍しい熱血漢タイプの人みたいだ。
「よし、一旦、休憩だ」
その男性が、大声で叫ぶのが聞こえた。
男の子達はその場にしゃがみ込んだり、ペットボトルの飲み物に口をつけたりしながら、思い思いに身体を休めている。
わたしもそろそろ、拓途に会いに行かなくては。サンダルを履こうとしたら、強い海風が吹いた。わたしのかぶっていた麦わら帽子が、風にあおられて、砂浜を転がっていく。
わたしはあわててサンダルをつっかけると、帽子を追う。けれど、砂が熱くなっていて、走れない。帽子はどんどん転がって、休憩している男の子達の方まで行ってしまう。顧問の先生らしい男性がさっと立ち上がって、帽子を拾ってくれた。それを、わたしのところまで走って届けてくれる。
「ありがとうございます」
わたしはお礼を言って、帽子を受け取ろうとする。でも男性は、帽子を手に持ったまま、びっくりした顔でわたしを見ている。
「なっ……ちゃん」
彼がまるで夢でも見ているように、ぼんやりした様子でつぶやいた。
なぜこの人がわたしの名前を知っているのだろうと思って、男性を見つめ返す。そうしているうちに、わたしは懐かしい友達を思い出す。わたしを『なっちゃん』と呼ぶ相手は、今まで、ひとりしかいなかった。太い眉に、角ばったあご。意志の強そうな顔をした少年の面影と、目の前にいる男性のごつい風貌がぴたりと重なる。
「シゲく……」
シゲくん、と思わず呼びそうになって、わたしはあわてて口をつぐむ。
彼と会わなくなってどれくらい経つのかと、わたしは考えた。シゲくんが大学進学のために東京へ行ってしまい、それきりだった。もうあれから――17年にもなるのだ。
もしもわたしが35才のままなら、お互いの近況を教え合ったり、17年も前の昔話なんかをして、再会を喜べただろう。
けれど、今、わたしは15才の少女の姿をしている。夕日を浴びたあと、15才に変身してしまって、それきり元の大人の姿に戻れないなんて馬鹿みたいな話を、シゲくんが信じてくれるとは思えない。頭のおかしい女の子だと思われるだけだ。この場では知らないふりをするしかないと、わたしはあきらめた。
「あっ、失礼しました。あなたが、私の昔の知り合いに、すごく似てらっしゃったもんで」
シゲくんが突然、我に返ったように謝る。彼は照れくさそうに頭をかき、わたしに帽子を返してくれた。
「いいえ」
わたしはシゲくんに微笑んでみせる。
「でも、そういう風に言われるの、嬉しいです」
「あの」
シゲくんは遠慮がちに言って、わたしの目を覗き込む。
「あの、大変、失礼ですが……もしかして、お母さんのお名前が『奈津』さんってことはないですよね」
彼は確かめるようにわたしに訊く。
「残念だけど、違います」
シゲくんは、17年前に彼の友達だった『神崎奈津』という女性が、今現在も、昔のままの少女の姿をしているなんて、まさか思いもしないだろう。容姿がそっくりそのまま同じだから、わたしをその娘かもしれないと思ったのだ。
「そうですか。そうですよね。おかしなこと言って、すんません」
シゲくんはがっかりした顔で、わたしに頭を下げる。
わたしも残念だった。17年ぶりに会えたのに、まともに話をすることもできず、知らないふりをしなくちゃいけないなんて。
「そんなことないです。……じゃあ」
わたしは名残り惜しい気持ちで、シゲくんにさようならを言おうとした。そのとき――




